地福寺は、東西両石原の境界の小高いところにあって、非常に清楚なところで、寺としては申し分のないところにあります。
この寺の初代住職に、古川という人がおりました。
この古川氏は、大変偉い坊さんだったそうです。古川氏は一人の弟子をつれていました。この弟子は、大変心の悪いやつで、主人を殺して金を取って逃げようという恐ろしい考えを起こし、常にすきをうかがってました。
そうとも知らず古川氏は、ある日用事があって、夜のうちに寺を出て東にむかって旅に出ました。その後をつけて来た弟子坊主が、筋川の前の橋の上で急に古川氏に向かって切りかかりました。
一大格闘が演ぜられましたが、何しろ一方は刃物を持っているからたまりません。弟子坊主は、この橋で切り殺し、川に投げこんで逃げるつもりをしていました。
古川氏も決死の抵抗をし、「助けてくれ」という救いを求めたところ、近所の人々に聞こえ、人が来て、ようやく助かりました。
すぐに医者を迎え、手当をしましたが、傷の全長が5尺(1尺=約30cm)にも及んだということですから、いかに格闘が激しかったかが想像できます。
幸い、あまり深傷でなかったのか、養生の結果、元の体になって、再び勤めができるようになったそうです。
これより、誰言うとなく、俎板坊主(まないたぼうず)というあだ名がついたと言うことです。
岩崎吉正(館報)