後日、千恵野さんを訪ね、話を聞いた。
「今年亡くなった初めての仏さまは、8月13日の晩にお墓に迎えに行って、たいまつを焚いておまつりするのよ。
新しい仏さまのない家はね、8月14日の晩から。お墓でたいまつを焚いて、しるし(燃えている小さな木)だけ持ってきて、それを家の前の大きなたいまつへ移すのよ。
次の日の15日も明かりを灯すのよ。16日にはもうお墓へ帰ってもらわんといかんきね、送り火をさげてお墓へ送っていくが。」
「昔は家ごって(家ごと)に、みんながたいまつをつけよりました。あっちこっちでたいまつが燃えゆうところが見えよった。
ようけつける人はね、10も20も石垣のところに並べてね。田んぼの畔にも、竹に松の束をつきさしたんをたくさんこしらえて並べて、つけよりました。
こっから向こうのたいまつがきれいに見えてね。きれいなね、きれいなね、って見ながらおそうめんやおうどんをたくさん作って晩に食べましたね。それがお盆のごちそうでね。うれしかったのよ、こどものころは。
普段のごちそうがないかわりに、お盆のたいまつを灯すときには、みんながね、たるほど(おなかいっぱい)食べたのよ。」
「たいまつに使う木は松の木。“肥え松”というてね、油が多い、まっ赤な松の根っこ。よう燃えるのよ。松の木は大きいですきね、根っこをつるで掘り出して、大きい根っこは割って干して、わざわざお盆のために蓄えてね。松の木は普段は焚かなかったの。
私の育った大川村には松の木はめったに見んかったの。竹を割って束にしたりしてね、それをたいまつにしてたのよ。このあたりは松の木がたくさんあったきね、そんな不自由せんかったね。
今は、お盆の時でもたいまつを灯す人は少ないですわ。
昔は『まあ、このお家はたいまつをようけつけちゅう、早う来てきて!』って言って。こっちの人は谷の向こうのたいまつを、向こうの人はこっちのたいまつを『きれいなねえ、きれいなねえ』って見たのよ。見事だったねえ。」
渡部仁海
迎え火の行事も土佐町は原点に近いものがありますね。
鳥山百合子
渡部さん、時代とともに迎え火の行事も変化していくのでしょうか。地域によって色々なやり方があるのでしょうね。
多分、同じ土佐町でもその家によってそれぞれの方法があるのだと思います。
お話を伺っている時、「きれいなね、きれいなね」と言いながら、火を見つめていた人たちの姿がすぐそばに見えるような気持ちがしました。