計美さんのお家に行くと、すがすがしいような、晴れやかな気持ちになるのはなぜなんだろう。
それは多分、「1年間」という時間のなかにあるめぐりめぐっていく季節が計美さんの心の中に描かれていて、目の前のこと、少し先のこと、さらに先のやるべきことをいつも考えているからかもしれない。いってみればいつも目の前のことに真摯に向き合いながら、同時に未来も見ているのだ。
季節のしごとは、その季節のその時にしかできない。そのしごとを始める前の見通しと準備と心構えがとても重要だ。目の前のことだけをみているのでは、いつも遅れをとってしまう。
種をまく前には畑に畝を作っておかなければならないし、畝を作る前には草を刈ったり畑の土作りも必要。土に種をおろすための準備はずいぶん前から行わなければならない。
育てる作物の1年間の見通しを持ち、時にはお天気とにらめっこしながら、こつこつと着実に準備をしていくのだ。計美さんの頭の中には多分、1年間用、春夏秋冬用、ここ1ヶ月用、ここ1週間用などの「期間別段取り表」が描かれているにちがいない。
5年前に初めて出会ってから、計美さんの存在に何度も助けてもらってきた。
一緒にしごとをしながらたわいない話をするなかで、何だかもやもやしていた気持ちがいつのまにか晴れ、また違った目でものごとを見つめることができるようになったことは1回や2回じゃない。
12月のある日、麹づくりを手伝いに行った。
計美さんは昔ながらの麹づくりをしている。麹づくりでは温度管理が重要だ。
土佐町では、電気を使い自動で温度管理をする「麹室」と呼ばれる機械を各地域の集会所で持っているところも多い。その時期が来ると地域ごとにその機械で麹を作り味噌を作る。
計美さんは綿の布団とホットカーペット、ストーブで温度管理をする。自分の感覚と経験が頼り。機械に頼らないで「自分の感覚」を身につけたいとずっと思ってきたから、この日を楽しみにしていた。
かまどの焚き口には杉の枝が長いままくべられている。杉の木は豊喜さんが山から切ってきたものだ。
ぱちぱち、ぱちぱち、ぱちぱち、
ぱんっ、ぱんっ、
木がはぜる音がする。
お米を蒸している木のせいろからは湯気があがり続けていて、その周りだけ霧がたちこめているように見える。その間も計美さんはせっせと体を動かして、あっちの仕事、こっちの仕事をしている。
お米を蒸している間、お昼ごはんのおかずのぜんまいをごま油で炒めて味付けし、弱火でことこと炒め煮している。その間にかまどの火の様子を見に来たと思ったら、次はおもちつき機の手入れを始めた。それが終わったら次は白菜の漬物を作り始めた。計美さんのお漬物は絶品。私はこれだけでごはんを何杯でもおかわりできる。
そして時間をちらりと見て「次は何分後に蒸しあがるきね」と教えてくれる。
立ち止まったり、座ってぼんやりなんてしていない。
「鳥山さーん!ちょっと来て」と呼ばれて、かまどへ急ぐ。計美さんはせいろの蓋を開けて、湯気があがっているお米を手にのせて見せてくれた。
「お米が蒸しがった時は、人差し指と親指でこうやってお米がつぶれだした頃が目安なんよ。ひねりもちっていうんよ。」
手に取ると、お米一粒一粒がぴかぴかしていて、指と指の間でむちっとつぶれる。これが目安。心にその感覚を刻む。
計美さんは「ちょうどいい」感覚を私に伝えようとしてくれている。
以前から計美さんは、自分が身につけてきた技術と知恵を若い人に伝えたいと思っていると言っていた。今この瞬間がその時なんだと思うと、背筋がぴんと伸びるような気持ちがする。
「うん、そろそろえいね」。
いよいよ蒸しあがりだ。
よいしょ!とかまどからせいろを持ち上げると、せいろの下のお湯から勢いよく湯気があがる。せいろはずっしりと重い。
友人がせいろを持ち上げて運び、私もそのあとに続いた。お米が通った廊下は、お米からあがる湯気でくもり、思わず深呼吸するくらいほかほかしたよい香りがする。
麹をつくる畳の部屋にはじゅうたんがひかれ、その上にビニールがぴんと一面にはられている。さらにその上に、計美さんが縫った麹づくり用の白い布を6畳の部屋いっぱいに広げ、せいろをゆっくり、そっと、置く。
そしてせいろを斜めにし、蒸したお米を慎重にひっくり返し、布の上におろす。
よいしょ!
その湯気で部屋中が一気に白くなる。
もわもわもわもわもわもわ…。
うっとりするくらいいい香り。
蒸し布にくっついているお米を、一粒ひとつぶ丁寧に取る。蒸しあがったお米からあがる湯気はもわんもわんとしていて、向かい合う計美さんの顔がぼんやりと見える。
ああ、こういう風景を私はずっと見たかったんだ。