土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
四国の水がめ、早明浦ダム
やまでたくわえられた ゆたかなみず
ひとしずく ひとしずく
ちいさなながれとなって たどりつく
しこくのみずがめ さめうらダム
「むかし つりぶねでかわをわたって がっこうへいきよったがよ」
かつてのむらは ダムにしずんだ
そのダムにいま ひとがあつまる
土佐町と隣町の本山町にまたがるように位置する「早明浦ダム」。ダム湖面は朝に夕に澄んだ空を映し、カヌーや釣り、サイクリングなどを楽しむ人たちが訪れます。
赤い吉野川橋の右下、カヌーに乗っているのは、ハンガリーからやってきたカヌーの元ワールドチャンピオン、ラヨシュ・ジョコシュさん。子どもたちにカヌーの楽しさを教えています。
橋の下に描かれている緑色のジャケットを着た若者たちは、NPO法人さめうらプロジェクトのメンバー。高校生のワカサギ釣り大会「さめうらワカサギ甲子園」を開催したり、ダムは若い人たちが活躍する場となっています。
↓ダムは「土佐町ポストカードプロジェクト」にもたびたび登場しています。
ダムに沈んだ土地
早明浦ダムが完成したのは1973(昭和48)年。ダム建設のため、土佐町や隣接する大川村の多くの家々や土地がダムの底に沈みました。その時、この土地で暮らしていた人たちは一体どんな風景を見ていたのでしょう。
時代とともに当時のことを知る人は高齢化、語ることのできる人は少なくなっています。編集部は、当時の様子を知る人の元を訪ね、お話を伺いました。
記事を書いてくれたのは石原透さん。知りえぬ歴史と事実に耳を傾け、かつてこの地にあった暮らしを記してくれました。
川村友信さんのお話
ダムの横、古味地区に住む川村友信さんのお話を聞きました。
ダム建設により古味地区はダムの底へ沈むことに。立ち退きに伴う補償の交渉を重ね、多くの住民は本山町や高知市内、土佐町の中心地である田井地区へ引越しましたが、友信さんのお父さんは古味地区に残るという決断をしました。そして移動した先が、造成された今の土地。友信さんは今もこの場所で暮らしています。
川村雅史さんのお話
ダムの底に沈んだ柿ノ木地区。柿ノ木地区に住んでいた川村雅史さんにもお話を聞きました。
「柿ノ木」という地名がついたのは、地区内に樹齢300年と言われる大きな柿の木があったから。とても美味しい柿が実ったそうですが、ダム建設が決まったら枯れてしまったそうです。
川村長康さんのお話
同じく柿ノ木地区出身の川村長康さん。
早明浦ダム建設により全戸が立ち退きした柿ノ木集落。12戸の中で最も高い位置にあった「新宅」という屋号を持つ家が長康さんの家でした。家屋は失われましたが土地は残りました。今も、長康さんは生まれ故郷である「新宅」へ通い、畑や沿道に立ち並ぶ木々の管理をしています。
吊り船で川を渡る
絵には、ロープで吊り下げられた「吊り船」に乗っている人が描かれています。これは、古味地区に住んでいた濵口幸弘さんのお話から。
昭和36年(1961年)に本山町から土佐村に編入合併した古味地区。幸弘さんの母校である西部小中学校も本山町から土佐村に編入され、校名も大河内小中学校に変わりました。
本山町の時代より吉野川を挟んだ向かいの土佐村(東和田地区、柚ノ木地区)から川を渡って通っていた生徒がおり、川を渡る手段は地上高約30mの吊り舟(人力ロープウェイ)。3本のワイヤロープで吊られた舟の定員は5人程度。人数が多いと重く沈むため、ロープ中央まで下ると後半は上りに。渡るのはかなり重労働だったそうです。
買い物へ行くために利用する人もいて、吊り船は川の上を行ったり来たり。風が吹くと、吊り船が揺れて怖かったとか。
1963年に橋が完成したため吊り船は廃止。周辺一帯はダム水没地となり、大河内小中学校は1969年に閉校し、ダムの底に沈みました。
その吊り船の下には「サッシー」が。早明浦ダムには「サッシー」がいたとか、いないとか。かつてそんなお話もあったそうです。
編入合併
ダムができる前、周辺の「大渕・古味・井尻・下川・上津川」の5地区で熱い闘いが起こりました。そのお話はこちら。
早明浦という地名について
なぜ「早明浦」というのでしょう?その言い伝えはこちら。
早明浦ダムの底には、この場所で生きていた人々の暮らしが沈んでいます。
かつての風景を知る人は年々少なくなっています。その人たちから話を聞き、過去を少しでも知ることで、目の前の風景が違って見えます。
ろいろい ろいろい。
早明浦ダムを見つめる時、この地に沈んだかつての生活を少しでも想像してもらえたらうれしいです。