部屋の壁に「こぶて」のセットが掛かっている。西石原での少年時代、山で小鳥をとるために作ったものである。
「こぶて」といっても判らぬ人も居るだろうが、山の子にとっては大切なものであった。
弾力のある跳ね木にセットを取り付ける。そして木の実や、籾のついた稲穂などを餌として仕掛ける。鳥がそれを食べようとして桟木を踏むと、それがはずれ、跳ね木が仕掛けを強く跳ね上げ、鳥をバタンキュウとはさみつけるという仕組みである。
仕掛けは横木や桟木止めや、それぞれの部品になる木を、細くて強い紐で結び付けている。
今はどんな紐も買えるが、物資不足の戦時中だから、すべて棕櫚縄である。
棕櫚縄は、いわゆる「棕櫚の毛」で作る。幹からこれをはぎ取り、その毛を目的に合わせた分量に裂き分け、それを綯うのである。こぶて作りはこの棕櫚縄綯いから始まる。
棕櫚の毛は固くて、扱いやすいものではないが、こぶてを作りたい一心で、最初は大人のやり方を見様見真似で始め、小学校の5年生の頃には自由に綯っていた。そうなると、色んな使途の縄を綯うのが楽しかった。
棕櫚縄は本当に強いものである。こぶてに使うのは細い紐、といった大きさだが、跳ね木が跳ねて引き詰めても、切れたことはなかった。
その強さは、日常の仕事に活かされていた。
牛や馬の引き綱は殆ど棕櫚縄であった。牛馬が少々暴れても切れなかった。中学生になると祖父から、
「牛の綱が古うなったきに。綯うちょいて」
と言われ、何日もかけて綯った記憶がある。牛の引き綱として使ったのは、何も戦時中だからというのではなく、古来使っていたのだと、多くの古老から聞いた。
みんな、「なんと言うても、棕櫚縄が一番強い」と言っていた。
田舎で一般的に使うのは藁縄で、自分もいつも綯うことを手伝った。米俵や炭俵などはこれで結んでいた。これは棕櫚縄ほど強くはなかったので、強さが必要な用途には棕櫚縄が使われた。土木工事で石や土を運ぶ「もっこ」は、棕櫚縄を編んで作ったものが多かった。
藁ぞうりも、当時の子どもは自分で作ったが、体重が一番かかるかかとの部分には、棕櫚の毛を編み込んで補強した。
棕櫚の思い出は毛だけではなく、葉にもある。はえ叩きを作ったことである。
これは祖母に習ったのだが、葉を長い柄の元から切って取り、葉をぎっしりと編み詰めて、はえ叩きにした。
古い友人の中には今もこれを作り、愛用している人が居て、「売りよるはえ叩きと同じ効果があるきに、何もわざわざ買うことはない」と笑顔で言っている。