土佐町はかつて、土佐村でした。
昭和41年頃から、町制の実施の希望が村民の間で高まり、昭和44年に町制施行が決定しました。
さて、ここで「新しい町名をどうするでよ?」問題が勃発します。
町制を施行するにあたっては、町制調査研究特別委員会という会が立ち上げられたそうで、新町名もその委員会で検討されました。
その当時、すでに「土佐市、中土佐町、西土佐村、土佐山村、土佐山田町」など、土佐という名称のつく市町村が多かったので、間違わんように他の名称にしたほうがえいんじゃない?という意見が多く、各委員が新町名を提案しました。
「嶺北町」
「水都(みと)町」
「吉田(よしだ)町」
「土北(どほく)町」
「奥土佐(おくとさ)町」
「早明浦町」
「昭和(しょうわ)町」
「登佐(とさ)町」
「美都(みと)町」
「大海(おおうみ)町」
さらにこの中から、「2つだけ選ぶとしたらどれがえい?」と選ばれたのが「嶺北町」と「水都町」。
委員会では決定的な名称は選定せず、この2つの中から住民投票で町名を選ぶことに。
その際、「候補の中にない町名を自由記載してよいか」という意見が出ます。
「えいろう。」「それも住民の意見じゃ。」
そうして行われた住民投票。
蓋を開けてみれば、自由記載の「土佐町」が一番多かったのです。
その結果に、すったもんだ てんやわんや あれやこれや あったという話も聞きますが、やはり住民の大多数が支持した土佐町、ファイナルアンサー。
そして、昭和45年2月20日に『土佐町』が誕生しました。
今となっては「土佐町」以外考えられませんが、もしかしたら全然違う町名になっていたのかもしれませんね。