「しばらくしたら『じつは日本でコーチを探しているところがあるんだけど、行ってみないか』という連絡があった。
話を聞いたら、競技レベルはそれほど高くない、高校の生徒たちに教えてくれという。
私もコーチ1年生みたいなものですし、スタイルが固まっている上級者よりも、まっさらな初心者のほうが素直に言うことを聞いてくれるだろうし、教え甲斐もある。
高知県のこと、嶺北のことは何も知らなかったけど、一も二もなく日本行きを決めましたね」
こうして元世界チャンピオンが、嶺北にやってくることになったのだ。カヌーを愛する大男のフットワークは極めて軽い。
「水に恵まれた嶺北はカヌーのための環境はそろっている」
嶺北での拠点となる土佐町に居を構えたラヨシュは、さっそく早明浦ダムにハンガリーから持ってきたカヌーを浮かべ、力強くパドルを漕いだ。
「カヌーは水がなければ始まらないスポーツですが、嶺北にはダムがあって川がある。水に恵まれた嶺北はカヌーを練習する環境はそろっていますね。
嶺北高校の生徒たちだけでなく、いずれ子供たちのカヌー教室を開けたら楽しいでしょうね。
そうやって徐々にカヌーに親しんでくれる人たちを増やしていけたらいいんじゃないかな」
昨年のリオ五輪男子カヌーカナディアンシングルスラロームで日本人初の銅メダルを獲得した羽根田卓也選手がいるように、東アジアにおける日本の競技レベルは決して低くはないが、いかんせんヨーロッパに比べると絶対的な選手層が薄い。
老若男女を問わずカヌーを楽しめる環境が整備され、また指導者にも恵まれたヨーロッパと日本とでは、競技人口に差が生じるのは致し方がない。
だが、ラヨシュが言うように、子供たちが水に親しみ、カヌーに触れる機会が増えることによって、いずれは強豪国に肩を並べる日がやってくるかもしれない。
「とにかくカヌーを楽しむこと。まずは楽しさを知らなければ、ハードなトレーニングをやる気になんてならないでしょう。もしも今後、本格的に選手を目指す子供たちが出てくれば、私も喜んでサポートするつもりです」
嶺北高校カヌー部の生徒たち、とりわけ今年4月に入部した1年生の多くは、カヌーを漕ぐのはうまれて初めてという初心者だ。
ラヨシュを通じてカヌーの楽しさを知ることが、最初の一歩となるのだろう。
「ハンガリーから家族を呼び寄せる予定ですし、私も嶺北の一員になるつもりでチャレンジしていきます」
ハンガリーからやってきた元世界チャンピオンと、カヌー初心者の嶺北高校の生徒たち。彼らはこの嶺北にどんな変化をもたらしていくのだろう。
文化とは一朝一夕でできあがるものではないが、嶺北高校カヌー部がその礎となることは疑いようがない。
(敬称略)
つづく
文:芦部聡 写真:石川拓也
書いた人:芦部聡
1971年東京都生まれ。大阪市在住。『Number』『NumberDo』『週刊文春』などに寄稿し、“スポーツ”“食”“音楽”“IT”など、脈絡なく幅広~いジャンルで活躍しているフリーライター。『Number』では「スポーツ仕事人」を連載中。