山村育ちだから、子どもの頃の思い出といえば当然、山や渓流での遊びと、それに伴う楽しみのことが多い。
小学校の高学年になると、宿題は夜に回して、学校から帰るとかばんを放り出し、渓流や山へ走った。
春は渓流でのアメゴ釣り、夏は水に潜って金突きで突く。
秋から冬は山に罠やこぶてを仕掛けて小鳥をとる。空気銃も肩に掛けていた。
そういう楽しみと併せて忘れられないことがある。今の子どもたちには余り興味がないようだが、山や渓流で色んなものを口にしたことである。
アメゴ釣りで渓流を歩いて疲れた時、中洲などに生えているイタドリを食べた。すっぱさを和らげるために塩を持って行った。
川岸に垂れている椿の花をとり、その蜜を吸った。結構な甘さがあり、木によって甘さに濃淡があることも知った。
蜜といえば、川岸や山に咲いているつつじの花の蜜も吸った。時には花びらも食べた。かすかに甘かった。後日ある本で、つつじの花には、種類によっては毒性があるということを読み、ぞっとした。
山で疲れた時には、山梨をかじった。正式名は知らないが、小さな梨で、さして甘くなく固かった。それでも、噛めば梨らしい味はした。幾つかポケットに入れて、時々噛んだ。
山栗は、文字通りのご馳走であった。小さな実だが、甘さは充分であった。急いでいるときは生で食べた。歯で固い皮をむき、渋皮はナイフでむいた。
時間がある時は広い河原の安全な場所で火を焚き、その火に栗を放り込んだ。皮が弾ける音が、静かな山峡に快く聞こえた。
適当な時間を置いて火から取り出し、熱い栗を川の水につけて冷やし、皮をむいた。中身はまだ熱く、生で食べるのとは全く違う甘さがあった。幾つも幾つも食べた。
山や川で本当に色んなものを食べたが、自分としては、甘さという点では、あけびが一番であった。あけびかずらの先に鈴生りになっているのを見ると、必ず足をとめてナイフを取り出し、実をとった。
縦に割れた皮の中に、白いゼリー状の果実がのぞいている。それを口に入れると、甘さが一気にひろがる。疲れもどこかに飛んでしまう。口一杯に溜まった種を勢いよく吹き飛ばすのも楽しかった。
疲れ直しでは、ぐみ(ぐいみ)の一種の通称しゃしゃぶの渋さや、山椒の実の強烈な刺激も忘れられない。ひどく疲れた時、口にした。
こんな思い出は、今はもう、古い友人と話すだけである。