ドキュメンタリー映画「天から見れば」
正文さんは10歳の時、実家が営む製材所の機械に巻き込まれて両腕を失い、生死を彷徨いました。一命を取り止めましたが、今まで当たり前のように出来たことが自分でできなくなり、周囲からからかわれ、指をさされ、もう生きていてもしょうがないと自ら喉を突こうとしたこともあったそうです。
家に引きこもっていた中学校2年生の時、京都山科にある仏光院の尼僧である大石順教尼の元を訪れた正文さん。大石順教尼は義父に両腕を切り落とされるという壮絶な経験を乗り越え、その生涯を障がい者支援に捧げました。順教尼は口で筆を加え、絵を描く人でもありました。
「自分は何もできない」と想いを順教尼に話すと、返ってきた言葉は「弟子になりなさい」。でも、弟子になるためには条件がありました。
弟子になる条件
一つ目の条件は、正文さんの自宅のある大阪・堺から一人で仏光院へ通うこと。当時は順教尼のいる京都の仏光院まで片道約3時間、電車やバスを5回も乗り換える必要があったそうです。その度誰かに切符を買ってもらわなければならない。思い切って声をかけると両腕のない正文さんを見て逃げる人、罵声を浴びせる人、からかう人もいたといいます。でも、その人たちを「自分の先生だと思いなさい」と話した順教尼。社会には色々な人がいて、親切な人もいればそうでない人もいる。でも皆が社会を教えてくれる先生なんだ、と。この教えは、後述する正文さんが生涯大切にした言葉「禍福一如」につながっていきます。
もう一つの条件は「絵を描きなさい」。この時から正文さんは口に筆をくわえ、絵を描き始めます。口で筆を咥えていると苦しく、口も歯も痛くて、ポタポタと唾液がこぼれていく。一枚の絵がやっと完成した時、自分にもできることがあるんだと思えたといいます。
「何もできない」から「何でもやってみよう」、正文さんの思考が変わった瞬間でした。考え方が変わると生き方が変わる。絵を描くことを糸口に、正文さんは何でも挑戦するようになっていきます。
出来ないとしないはちがう
映画では、正文さんの日常も描かれています。正文さんは絵の具のチューブの蓋を足で開け、パレットに絞り出します。キャンバスを顎の下で挟み、勢いをつけて机の上にのせていました。自作の道具を使ってシャツのボタンをはめ、ベルトをし、自転車に乗っていました。
正文さんの奥さまの弥生さんによると、正文さんは字を書くのもとても上手で、お礼状を書くのはいつも正文さんの役割だったそうです。巻物のような紙に書いてくるくるっと丸め、最後に小さなかわいい絵を描いていたといいます。雑巾も上手に絞っていたとか。
「出来ないとしないはちがう」。正文さんはよくそう言っていたそうです。「やってみたけど、できない」のと「最初から無理だと諦めて、しない」のはまるで意味が違う。「正文さんに言われたら説得力がまるで違う。本当にその通りだ、って思っていました」と弥生さんは話してくれました。