1960年、山中義雄がぶどうの樹を土佐町田井三島地区の裏山に植えた時、私(山中こずえ)はまだ生まれていませんでした。
当時の写真が何枚か残っているだけで今となってはその時の苦労話を聞くことも出来ませんが、その頃は舗装の道もついていないいわゆる「赤道(あかみち)」と言われる険しい山道しかありませんでした。
ぶどうの苗木の他に柵・棚の材料などを赤道(あかみち)を歩いて毎日往復するだけでも大変だったでしょう。
更にぶどう畑を開墾するために山の木を切り倒してその伐木を片付けたり、畑に柵を作り、ぶどう棚を設置したりと、重機どころか軽トラックすら通れない山あいでの仕事は今から考えると本当にきつい仕事だったと思います。
1975年、そこまで苦労して作った山あいのぶどう園を今の圃場に移すことになります。
元々は今のぶどう園は祖父の知人の土地だったのですが、その方のご好意で売っていただけることになったのです。当初からハウスの無い「露地栽培」だった山の圃場は害獣被害がかなりあったのと作業性が悪かったので農業用ハウスを建てられるような農地に移転を考えていたようです。
ぶどうの木も当然お引越しです。数年の間で長く伸びたぶどうの根を優しく掘り返して根をグルグル巻きにして山から下ろしてきた光景が今でも目に浮かびます。
そうして現在の場所に農業用ハウスを建てて観光農園「ミシマファーム 」として新たなスタートを切ったのです。
今、私たち夫婦は圃場のある敷地内の家に住んでいるんですが移転当初は今の場所に住居は無く、ただの作業小屋しかありませんでした。当時は裏山のふもとに家があり、そこで暮らしていました。まあ、歩いて2〜3分のところなのですぐ近くですけどね。
当時の航空写真がありました。と言ってもぶどう園移転から20年経過した1996年頃の航空写真です。左下の弓状に通っている太い道が国道439号線です。ミシマファームは真ん中に縦に通っている舗装路の右側の短いハウスと長いハウスとアスファルトの敷地がそうです。
下の写真は航空写真の時から6年後の2002年のものです。写真が冬なので葉っぱが枯れ落ちて分かりづらいんですが、今やうちのシンボルとなっている「イチョウ」と「モミジ」が写ってます。(写真手前がモミジ、奥がイチョウ)
航空写真をよく見るとイチョウの木は1996年にはありますがモミジはまだ無かったんです。実はモミジはわざわざ重機で成木を旧家から移植したんです。
ちなみにイチョウの右隣の小屋は今「珈琲茶房・甘味処地蔵庵」として改築して利用しています。イチョウの左隣の屋根付き作業場は現在「ワイナリー」として改築して使っています。
前回からここまでの話でお気付きの方もおられると思いますが、屋号の「ミシマファーム 」は私たちが住んでいる「三島地区」から取っているんです。この地域が大好きな父らしい名前で、私もこの屋号が大好きです。でも私の苗字を「三島さん」と勘違いされることもしばしばありますけどね。
〜続く〜