(前編はこちら)
「キネマ土佐町」を「映画館」で上映した。
石川は土佐町に来てから、秋も冬も春も夏も、朝も昼も夕方も夜も真夜中も、土佐町のさまざまな姿を撮影し続けてきた。数え切れない映像の数々を厳選し、季節ごとにキネマ土佐町を制作、完成させるたびに土佐町の各地域で上映してきた。まず土佐町の人にこの映像を届けたい、という思いはきっと多くの人に伝わっていたのではないだろうか。
皆が寝静まっている間に夜空の星たちが描く弧をとらえ、雪が降り積もる真夜中の稲叢山でカメラを回し続けた。笹ヶ峰の紅色の夕焼けに心を震わせ、車の中で寝て迎えたという陣ヶ森での夜明け。土佐町の人たちの日々の営みとの出会いを石川は心から楽しみ、真摯に向き合って来た。
「キネマ土佐町」の上映中、「あれ、私や!」という声が上がった。その人ははっと口を押さえていたから思わず声が出たのだろう。それは「キネマ土佐町・春」の夕方の田んぼのシーン。山の向こうに沈んだ太陽が残していった光の満ちた田んぼで、苗の植え直しをしているのがその人、川村佐代子さんだった。
佐代子さんが映画館から出てきてから、石川が「あの時はありがとうございました。」とあらためてお礼を言うと「あの時、あの時!そうやったねえ。」とちょうど一年前に撮影した日のことをとてもうれしそうに話し始めた。
心のどこかにあった出来事がまるで昨日のことのように蘇ったのかもしれない。佐代子さんの表情はその映像を見る前と見た後では全く違っていた。手を振りながら軽やかに帰っていった佐代子さんは、きっとこれから何度もこの日ことを思い出すだろう。
またある人は「キネマ土佐町、これ、なんなんでしょうか?なんで涙が出るんでしょうか?」と自分でも訳がわからない、という風に涙を拭きながら映画館から出てきた。
「ありがとう、ありがとう。ありがとう、ありがとう。」
そう言いながら振り返り振り返り、名残惜しそうに帰る人もいた。
その気持ちは、とてもよくわかる。
きっと人は心の深いところに誰もが共有できる「なにか」を持っている。
きっと人間が誕生してから引き継がれて来ただろう大切ななにか。
時々、そのなにかへの扉が開くような瞬間に出会うことがある。
毎日通る道や毎日見ている風景、毎日の暮らしの中に、きっとそのなにかがあることは感じていた。
「キネマ土佐町」を観た人たちの姿は、そのなにかの存在を確かなものに変えてくれた
写真展が始まってから何日か経ったある日の夕方、学校帰りの小学生、川田真靖君が自転車でやって来た。
真靖君はゆっくりと写真と写真の間を歩きながら、一枚ずつ丁寧に見ていった。
自分の写っている写真の前で立ち止まり、仁王立ちしながらしばらく眺めた後、つぶやいた。
「うーん…。いい思い出や!」
そして、撮影した日のことを懐かしそうに話してくれた。撮影場所へ向かう時にくねくねの山道で気持ちが悪くなったこと、水がとてもきれいで気持ちがよかったこと…。
稲叢山の麓を流れる清流で撮影した写真を、後からやってきたおじいちゃんとおばあちゃんに「これ、僕!」と指差す彼の表情は誇らしげだった。
不思議なことに写真はその時の空気の感じや人との関係をも写し出すのだなと思う。
その写真は真靖君と石川のあいだに気持ちのよい風が吹いていること、そこに互いへの信頼があることを教えてくれていた。
赤ちゃんから人生の大先輩まで、撮影させていただいた人たちをはじめ、土佐町の人たち、町外、県内外からも本当にたくさんのお客さまが来てくれた。
1ヶ月の期間中、石川はできる限り会場にいて、来てくれた人たちを迎えた。
石川が世界中、日本中を旅しながら今まで培って来ただろうこの世界へのまなざしと深い愛情が多くの人の心に届いている様子は何よりうれしかった。
「土佐町がこんなに美しいところだったなんて気づかなかった。」という声を何度も聞いた。
流れていく季節、流れていく時間、流れていく、今。
重ねられてきた時の上を私たちは生きている。
私たちの毎日には、美しくかけがえのない瞬間がちりばめられている。
生きているということはそれだけで尊いことなんだと石川は思い出させてくれた。
石川が真正面から向き合って来た土佐町の姿の数々が、10年後も20年後も、誰かの扉を開くきっかけになったらうれしい。