もしかしたら夢だったのかもしれないと思う時がある。
あの日の時間は、どこかふわふわとそのあたりを行ったりきたりしている。
でも、講演会が開催されたあの会場も、佐々井さんたちが宿泊されたあの家も、朝ごはんを食べたお店も、訪れた保育園も目の前にちゃんとある。
確かに感じたものが心の奥底にある。
夢じゃない。
確かに私はあの日、佐々井さんと同じ時間を過ごしていた。
2017年6月21日。
佐々井秀嶺さん講演会当日。
天気予報では、この日は何日も前から大きな雨マークがついていた。前夜は土砂降りの雨。明日も雨だろう、と頭の中で色々と段取りを考えながら眠った。
当日の朝を迎え窓を開けると、何と雲の切れ間から太陽の光が見えていた。もしかしたら天気も味方してくれたのかな、と青空をのぞかせ始めた空を見上げた。
うん、大丈夫。きっとよき日になる。
そう思った。
そしてその思いは、やっぱり現実になった。
2017年6月21日、16時半。
土佐町農村環境改善センターの駐車場に白いバンがとまった。
まず佐々井さんのお付きの方たちが車から降り挨拶している間に、佐々井さんがゆっくりと車から降りて来た。
佐々井秀嶺さん。
紫と茶色が合わさったような色の袈裟を着ている。
佐々井さんは想像していたよりもやせていた。
長旅でお疲れだったことだろう。
杖をつきながら、けれどもしっかりとした足取りで土佐町の地に立たれた。
本物だ。
本物の佐々井秀嶺さんが、土佐町に来てくれた。
佐々井さんが土佐町に到着した頃はまだ日差しが強く、佐々井さんは少しまぶしそうに目を細めていた。改善センターの周りに置かれている人の形をしたいくつかの像に気づいて「あれはなんの像ですか?」と私に聞いた。私が知っていたのは誰かの作品ということぐらいで「あれは……飾りです…。」としか答えられず恥ずかしかった。
多分インドでは「像」は大抵何かの神様だったり、人が手を合わせ祈るものであるだろうから、きっと佐々井さんは改善センターの像もそういったものだと思ったのかもしれない。
土佐町に来る途中は大雨だったこと、山の上から見下ろすように雲が広がっていてとても美しいと思ったこと、関東地方は大雨で避難した人もいるということを佐々井さんは話した。
この時、まだ私は緊張の中にいてわからなかったけれど、後から振り返ると、こういった会話の中にもしっかりと佐々井さんの人柄や生きてきた道のりが現れているのだということに驚かされる。
さりげない会話の中でみせるはっとするような視線。向き合う人を見つめる時の慈しみが込められたまなざし。ふと笑った時に刻まれる深いしわ。一歩一歩をゆっくりと踏みしめるように歩く音。
その瞬間のその人がつくりだす空気の感じは、多分その人が思っているよりも、人の心の奥底に語りかけてくるようなものを持っている。
それは佐々井さんだったから、なのだろうか。
佐々井さんは「少し横になりたい」と言った。
お布団を用意していなかったので、慌てて畳の部屋に座布団を6枚ひいて即席の布団を作った。佐々井さんは気持ち良さそうに横になっていた。
講演会のお話の中でも「先ほど畳の上で寝て、子どもの頃のことや故郷を思い出して涙が出ました」と言っていた。きっと本当に気持ちがよいと感じてくれたのだと思う。
そっと襖を閉める。
本当に遠いところから、よくぞ来てくださったなあ…という思いで胸がいっぱいだった。
佐々井さんが休んでいる間、佐々井さんのお供をされている佐伯さん、小林さん、亀井さんと打ち合わせをしたり、資料をクリアファイルに入れたり準備をした。
会場作り、音響チェック、看板を立てる、食器の準備、会場確認、マイクの確認、原稿の確認、お花を活ける、カメラやビデオのチェック、受付作り、電話対応…。とにかく当日やることも、この日を迎えるまでにやってきたことも山のようにあった。
今回の滞在で佐々井さんが何よりも喜んでくださったのは、このお食事だった。
土佐町の仙田聡美さんが作ってくれた夕ごはん。
・鮎の塩焼き
鮎は土佐町の澤田しのぶさんが、佐々井さんに食べていただきたいと届けてくれた。
大皿の上に扇を描くように並べられた鮎の塩焼きの下には、びわの葉が3枚、美しく扇状に並べられていた
・ナスのたたき
素揚げした米なすに大根をおろし、新玉ねぎと紫の紫蘇をのせ、
かつおぶしと聡美さんの友人の醤油屋さんのポン酢をかけたもの
・ポテトサラダ
私が和田農園さんからおすそ分けしてもらったじゃがいもを、さらに聡美さんにおすそ分け。
インゲンは聡美さんの連れ合いさんが仕事先のお客さまに分けてもらったもの
・きゅうりの梅和え
たたいたきゅうりに聡美さんが作った自家製梅干しとごま油を和えたもの
・ごはん
もちろん土佐町のお米
・お味噌汁
聡美さんのお子さんのお友達のおばあちゃんが作ったレタス、しめじ、えのきを具に、
お味噌は聡美さんの隣の家の友人が作ったものをおすそ分けしてもらったもの
・びわ
聡美さんの連れ合いさんが仕事先のお客さまから分けてもらったもの
・お茶
こちらも土佐町産。土佐町老人クラブのみなさんが土佐町南川でお茶摘みをして作ったもの
佐々井さんはひとつひとつの料理を「これは何ですか?」と聞き、その答えに頷きながら「真心のこもったお食事をいただいて心から感謝します」と言った。
聡美さんの作ったお食事は、自分で作った野菜や保存食、近所の人やお友達のお家のおばあちゃん、仕事場のお客さまからのおすそ分けがたくさん使われていた。
ナスを素揚げしたり、庭の紫蘇を摘んで刻んだり、そういった一見小さなひと手間を大切にする聡美さんだったからこそ、食材を分けてくれた人の思いも生かされた。
多分、土佐町の家々の毎日の食卓には必ずと言っていいほど、誰かからのおすそ分けやいただきものが登場するのではないだろうか。この町で暮らしていると、知らず知らずのうちに誰かとどこかでつながっていく。このお食事にもたくさんの人の存在があった。そのことを佐々井さんはしっかりと感じ取っていたのだと思う。
講演中に客席に向かって「鮎をくれた方はこの中にいますか?(お食事を)心を込めて作ってくれたんですよ。こんなところはありませんよ。土佐町というところはあたたかい。生涯において忘れ得ぬところとなりました。本当にありがたいと思っています。」とその思いを伝えてくれた。
(食卓にお箸を並べた時、お付きの亀井さんが「素敵な箸置きですね」と気づいてくれたこともとても嬉しかった。四つ葉のクローバー、うさぎ、そら豆、小さな魚の形をした箸置き。割り箸よりも木の塗り箸がいいと思った。お家で過ごすみたいに。)
佐々井さんは食べる前に目を閉じ、手を合わせ、祈りの言葉を唱えた。
そして「仏飯(ぶっぱん)をいただきます」と言い、食事を始めた。
取り皿に鮎をのせ、子どもの頃、鮎は贅沢な魚であったこと、故郷の川で遊んだことを懐かしそうに教えてくれた。
食べることは、生きること。
心のこもった食事は人に力を与える。
子ども時代の思い出を語る佐々井さんの表情はとてもやさしく穏やかだった。
食べることは、人と人を近づける。
「インド仏教徒1億人の指導者」は、美味しい美味しいと鮎を頭から食べ、作ってくれた人への深い感謝の気持ちを伝える「佐々井秀嶺さん」だった。
気持ちを込めたら、その人にちゃんと届く。その人の心の奥深いところにある何かにきっと、届く。
この夕ごはんを喜んでくれている佐々井さんの姿を見ていたら、今までぼんやりと感じていたそのことは、確かな気持ちとなった。
こつ、こつ、こつ。
壇上への階段を登る、杖の音が響く。
こつ、こつ、こつ。
佐々井さんは壇上へ立ち、ゆっくりと正面を向いた。
お腹のそこから響くような声。
「みなさま、こんばんは」
佐々井さんは合掌し、頭を下げた。
拍手が起こった。
会場は満席、立っている人もいた。
遠く愛知県や兵庫県、高知県内でも宿毛市や土佐清水市から来てくれた人、もちろん土佐町をはじめ嶺北の人たちもたくさん来てくれた。
佐々井さんを迎える拍手はとてもあたたかく、心にしみた。
「戦争が終わる頃は、日本が一番大変なときだった。日本中が焼け野原になった時に、食べ物がない、貧富に耐え、悩み、悶え、生き抜いてきた人生でした。インドに渡っても貧しい貧しいインドの民衆の姿を見て、同じ人間として、同じ心を持つものとして、一緒に共に、悩み、苦しみ、悶え、泣きながらインドで生きる道を選びました。」
佐々井さんの声や姿から伝わってくるものを一体どんな言葉で表したらよいのだろう。
悩み、苦しみ、悶え、泣きながら、佐々井さんが選んで来た道のり。その道は今までも、これからも、ずっと続いていくだろう。命がある限り。
佐々井さんが選んだ道。
ひとりひとりが選択する道。
私は、どんな道を選ぶのか。
佐々井さんはマイクを手に取り客席に向かって「質問をお願いします!」と大きな声で言った。直接話をしたいという気持ちがひしひしと伝わってきた。
質問の中にこういったものがあった。「佐々井さんの心の軸、心の真ん中にあるものはどんなものですか?」
佐々井さんはこう答えた。
「同体大悲(どうたいだいひ)。みなさんと私の体はひとつである。苦しみも悲しみも、みなひとつである。インド仏教徒は貧しい人ばかりです。日本の比ではありません。虐げられたり、辱められたり、そういう人たちと共に在りたい。これが大乗仏教の極点です。」
そして、最後の一言はこういう言葉だった。
「みなさま、本日は本当にうれしいと思います。土佐町に来ることができて非常に嬉しく思いました。畳の上に寝かせてもらったこと、小さい時のお父さんとお母さんの愛情に恵まれて生きた時代を思い出しました。ごはんを作った人のお名前も、鮎をくださった人のお名前も聞きました。私は涙が出るほどうれしくなったんです。
土佐町のみなさま、本当にありがとうございます。南天笠の沙門、秀嶺、謹んで本当に心より、厚く厚く御礼申し上げます。どうかみなさま、お体を大切に。
そして、平和という目標に向かって、自己を飾らずに、人のために、世のために生きようではありませんか。みなさまと共にお話できたことを、私は一生の最大の喜びとさせていただきます。ありがとうございました。」
あたたかい大きな拍手で会場が包まれた。
佐々井さんは、人と向き合うことをとにかく大切にする人だった。高いところから人を見下ろすなんていうことは、一度もなかった。
いつも、いつも、隣に。
いつも、いつも、同じ土の上に。
インド仏教徒1億人の指導者である佐々井秀嶺さんは、そういう人だった。
宿泊先では果物を用意していた。
やまもも、小夏、すもも。
そして、土佐町溜井地区にある和田農園さんのミニトマト。
佐々井さんは果物が大好きだとのことで、とても喜んでくれた。
次の日の朝お迎えに行くと「果物もトマトもとても美味しかった。車の中で食べるからいただいてもいいですか」と残ったものも袋に入れて持って帰ってくれた。
そんな佐々井さんの姿がとてもうれしかった。
土佐町の「カフェかのん」で朝ごはんをいただいている時、夕ごはんを作ってくれた聡美さんが仕事へ行く前に駆けつけてくれた。
佐々井さんは「本当にうれしかったですよ。感激しました」と手を合わせ頭を下げた。聡美さんも佐々井さんも本当に嬉しそうだった。
直接会って話をすることはかけがえのないことだ、とふたりの姿を見てしみじみと思った。
急に思い立って立ち寄ったみつば保育園では、佐々井さんはすぐに子どもたちに取り囲まれた。
「どっから来たが?」
素朴な質問を投げかける子どもたちを、にこにこと愛情あるまなざしで見つめていた。
背中に風呂敷マントをつけている子、作ったブロックの剣を佐々井さんに見せている子。興味津々で近くに走り寄ってくる子、お部屋の中からちょっと遠慮気味に見つめている子…。本当に色々な子がいる。
いろんな人がいて、いろんな考えがあって、いろんな生き方がある。この時のみつば保育園の廊下で、「世の中」という縮図と、人が出会う喜びのエネルギーを目の前で見せてもらった。
佐々井さんは子どもたちとの出会いを心から楽しみ、喜んでいた。
さよなら。
さよなら。
子どもたちひとりひとりの頭にそっと手を当てながら語りかける佐々井さんの姿を見ていたら、胸がいっぱいになった。
インドという地から、よくぞ来てくださった。
世界の片隅の土佐町という場所で、81歳の佐々井さんの人生と、土佐町の人たちの人生が重なった。重なったから、出会えた。
今まで全くお互いの存在を知らずに生きてきたのに、その瞬間に人生が重なる不思議と尊さを思った。
佐々井さんが夕ごはんを食べている時、部屋のカーテンをふっと優しく揺らすような風が入ってきた。
佐々井さんは、この風のことを「農村の風」と言った。
農村の風。
この言葉は、私の体の中にしみわたっていった。
土佐町という地に、農村の風が吹いている。
新緑の季節に木漏れ日を揺らす風。
水の入った田んぼに植えられたばかりの小さな稲を優しくなびかせる風。
きらきらと光を揺らしながら。
美しいと思ってきた光景には、「農村の風」が吹いていたのだ。
佐々井さんはこの風に吹かれたことを、とてもうれしかったですよ、と言った。
故郷を思い出した、と。
佐々井さんと過ごした時間を私はずっと忘れないだろう。
あと何十年かしておばあちゃんになっても、きっと忘れない。
きっと100年経っても、私の心のこの場所に置かれている。これから生きていく道のりの途中で、これから何度も私の背中をそっと押してくれるだろう。
気持ちが届く喜びをあたらめて知った。そのことを何よりしあわせに感じる自分自身の心に気づいた。佐々井さんと過ごした時間は、かけがえのないものだった。
最後に佐々井さんからいただいた言葉を。
「土佐町には、気持ちのよい風が吹いている。人と人がつながっていることを感じる。そんな風に感じた町は、今までそんなになかったですよ。」