当ウェブサイト「とさちょうものがたり」は6月15日にオープン1年となりました!
これもひとえにいつも訪れていただいている読者の方々、そして楽しんで記事を作成してくれる執筆陣、様々な形で支えてくださっているたくさんの方々、みなさまのおかげです。改めて御礼申し上げます。
今回は1周年記念として、とさちょうものがたりが手がけた記事の中で、特にゲストを招いて開催された講演やイベントを、何回かに分けて振り返ってみたいと思います。
No.2 1日限りのパクチーフェス in 黒丸
ちょっと話が長くなるかもしれません。
現在の日本のパクチーブームの火付け役が、東京の経堂という町にあった「パクチーハウス東京」というパクチー料理専門店であることはよく知られている事実です。
ここで供される食事は全てがパクチー。何から何までパクチーで、パクチー好きなら天国のようなお店でしょう。
●「絶対失敗する」と言われながら繁盛店
このお店の店主が佐谷恭さん。佐谷さんは10年前にパクチーハウス東京を立ち上げたのですが、当時はもちろんパクチー料理専門店なんて世界のどこにも存在していなかった。この新しいアイデアを実現したかった佐谷さん、周囲に意見を求めたところ、「絶対失敗する」「危険すぎる」とネガティブな反応がとても多かったそうなんです。
それでも「世界初のパクチー料理専門店」というアイデアに熱中し挑戦したところ、パクチーハウス東京は予約困難な大繁盛店になりました。いつしか日本全体でパクチーブームとでも呼ぶべき現象が起き、パクチー料理店はあちこちにでき、コンビニで売っているお菓子やカップラーメンなんかにも「パクチー味」が登場しています。
●黒丸でパクチーフェス
2017年7月30日、とさちょうものがたりはパクチーハウス東京のスタッフと「1日限りのパクチーフェス in 黒丸」を開催しました。
黒丸という土佐町の中でも最も山奥にある集落。その旧・瀬戸小学校が会場です。ここで土佐町で採れる季節の食材とパクチーを掛けあわせたイベントを開催しました。
食材集めには、黒丸を始め土佐町の方々に大きく助けていただきました。「これ使って!」と野菜を持ってきてくれる方もいらっしゃいました。土佐町という土地の大きな底力を感じさせてもらったイベントとなりました。
当日は予想を超え、100名以上のお客様が集まっていただきました。四国はもとより、東京からわざわざ足を運んでいただいたパクチーハウスのファンの方々もいらっしゃいました。到着するとみなさんが笑顔で「遠い!」「ここまで山奥と思ってなかった!」などと笑顔で言われていたのが印象的でした。
スタッフ側から見たイベントは、バタバタのひと言。予期せぬことの連続で、厨房は戦場のような様相でした。料理をお待たせしてしまったお客様もいらっしゃったと思いますが、それでもニコニコと楽しんでいただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。改めてありがとうございました。
●ほんとにやりたかったこと
パクチーフェスを黒丸でやるにあたって、隠し味のようでいて大切にしていた思いがありました。
それは、店主の佐谷さんのストーリーを土佐町の、特に子供たちに少しでも伝えること。
先述したように、佐谷さんがパクチーハウスを東京に作ろうと考えたとき、そこに先駆者は一人もいませんでした。
ビジネスの先輩、飲食店の先輩はいても、パクチー料理専門店の先輩はいなかった。
周囲の「絶対失敗する」「危険すぎる」という意見を聞きながら、それでも佐谷さんは自分のやりたいことに耳を傾け、実現させました。結果は先に書いた通りです。
このストーリーには、「仕事」というものを考える上でとても大切なことが含まれています。誰かが作ってお給料の出るいわゆる「仕事」ばかりが仕事ではない。今はまだ世の中には現れていない新しいものが、多くの人をわくわくさせるような仕事になる可能性はあるのです。
●そのとき、あなたは誰の意見を聞きますか?
考えてみれば、当時佐谷さんに「絶対失敗する」とアドバイスした方々は、パクチー料理専門店に挑戦したことがない人たちばかり。そういった状況で、「ああやっぱりダメか」と諦めてしまうといったことは、もしかしたら世の中にとても多いのではないかと思います。
土佐町の子供たちがこれから将来の仕事を考えていく上で、佐谷さんのように「やりたい仕事を作る」という選択肢も存在するという事実を、少しでも伝えられたらいいなと考えていました。
念のため付け加えておくと、これは「夢を追え」という単純な話とは少し違います。佐谷さんもパクチーハウス以降に作ったお店を一つ失敗しているということも聞きました。そしてそれもこのストーリーには大切な要素なのです。
○以下は当時とさちょうものがたりで公開した記事です。
○パクチーフェスをきっかけに設立されたパクチー銀行土佐町支店もよろしくお願いします。