きび
【名詞】とうもろこし
例:きびがきびきび歩いちゅう。
意味:とうもろこしがキビキビ歩いてる。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
This photo book has been created to present the beauty and power of photography, storytelling and the landscape and agricultural practices in and around Tosa-cho. Learning about the various ways in which residents in Tosa interact with the landscapes around them in sustainable and meaningful ways has been eye-opening. Hopefully, this book will encourage all residents in Tosa to continue to cherish the land that has been so valuable to them. I also hope this book can add to the existing work and narratives that photographers and writers have created to document and preserve what life has been like for people living in rural areas of Japan.
Working on this book has also given me the opportunity to learn and think more about the effects of the decreasing population in Japan and how others feel about this happening in more rural areas of the country. I wonder how other artists are bringing attention to the future of landscape maintenance and agricultural practices in Japan…
Spirit of Inquiry is a 220 page book that features 101 photos. It was completed over the course of two years and contains eleven short essays as well as twelve transcribed interviews conducted with residents who have had special experiences living and engaging with the land in Tosa-cho. Each photograph featured in the book has been carefully chosen to reflect the experiences and feelings I and those featured in the book have had while living in Tosa-cho.
To all of you who helped create this book, thank you…
This quote from Italian photographer Mattia Panunzio aligns well with my own feelings about photography and how I use the art form. Please read it and know that you have participated in something that is very meaningful to me and to those who care deeply about environmental sustainability.
“When I create my images, my goal is to provoke genuine emotional responses and inspire viewers to contemplate the world around them. I aim to capture authentic slices of life that invite viewers to connect with the subjects and narratives portrayed. I put emotions and thoughts into every shot but I don’t dictate how viewers should interpret them. Rather, I want individuals to engage with my work on a personal level, allowing their own experiences and perspectives to shape their reactions.”
探求の精神
この写真集は、土佐町およびその周辺の風景と農業の魅力、そして写真やストーリーテリングの美しさと力を紹介するために作成されました。
土佐町の住民が持続可能で意義のある方法で周囲の風景とどのように関わっているかを学ぶことは、非常に啓発的でした。
この本が、土佐町のすべての住民が自分たちにとって非常に価値のある土地を引き続き大切にすることを促すことを願っています。
またこの本が、地方に住む人々の生活を記録し保存するために、写真家や作家が作り上げてきた既存の作品や物語に貢献できることを望んでいます。
この本を制作する中で、日本の人口減少の影響について学び、考える機会も得ました。
特に地方でこの現象がどのように感じられているのかについても考えるようになりました。他のアーティストたちが、日本の風景維持と農業慣行の未来にどのように注目を集めているのかも気になります…。
『探求の精神』は、220ページからなる本で、101枚の写真が収められています。
この本は2年間かけて完成され、11篇の短いエッセイと、土佐町に住み、土地と特別な経験を持つ住民への12回のインタビューが文字起こしされています。
本に掲載されている各写真は、私と本に登場する人々が土佐町で生活している間に感じた経験や感情を反映するために慎重に選ばれました。
この本の制作に協力してくれた皆さん、本当にありがとうございます…
イタリアの写真家マッティア・パヌンツィオのこの言葉は、私の写真についての感情や使い方に非常に共鳴します。ぜひ読んでいただき、この作品が環境の持続可能性を深く気にかけている人々にとって非常に意味のあるものであることを知ってください。
私がイメージを作成する際の目標は、視聴者に真の感情的な反応を引き起こし、周囲の世界について考えるきっかけを提供することです。私は、視聴者が被写体や描かれた物語に共感できるような、本物の人生の断片を捉えることを目指しています。私は感情や考えをすべてのショットに込めますが、視聴者にその解釈を強制することはありません。むしろ、個々の経験や視点によって作品に対する反応を形作ってほしいと思っています。
2024年7月。
土佐町伊勢川の大国様(大国主神社)の境内で、カキランがひっそりと1株だけ咲いていました。
日当たりのよい水路沿いなど湿気の多い環境を好んで自生するラン科カキラン属の多年草です。
6~7月ごろに茎の高さが30~70㎝になって、オレンジ色の花を咲かせます。
ふつう花は茎の上部に10個余りつくのですが、この株には2個しかありません。
よく見ると茎に別の植物の細いつるが巻き付いています。茎の先の方は無くなっている様子です。
それでも緑の藪の中で、花弁のオレンジ色と唇弁の紅紫色の模様がよく目立ちます。
綺麗なランです。
柿の実と同じ色の花を咲かせることからその名が付いたそうです。
カキランは多くの都道府県でレッドリスト(※)の指定を受けていますが、幸い高知県は該当しません。県内には自生がまだ多くあるという証でしょう。
一般的に自生地では群生することが多いと言われており、土佐町のカキランについても「~に群生している」とか「していた」とかいう話は耳にしますが、まだそんな光景に出くわしたことがありません。
私にとっては稀な植物の一つです。
隣の本山町も同様で、つい先日吉延の山で見たカキランも連れがいません。1株だけでした。
この株には蕾を含め花が17個もついています。これがカキラン本来の姿なのでしょうか。
因みにカキランにはスズランという別名があります。蕾が鈴に似た形をしていて、鈴生りに花がつくことがその由来となっているようです。
※レッドリスト:絶滅のおそれのある野生生物の種のリストこと。国際的には国際自然保護連合が作成しており、国内では、環境省のほか、地方公共団体などが作成している
まず大会名から。
世界で初めて開催されたアドベンチャーレースの名前が「レイド・ゴロワーズ」。
世界初であり世界一過酷なアドベンチャーレースの大会名を文字ってレイドをレイホクに変え「レイホク・ゴロワーズ」と名前をつけました。
では、アドベンチャーレースって何⁉︎ となりますよね…
アドベンチャーレースとは⁉︎
(Wikipediaより引用) アドベンチャーレース(Adventure racing) とは、山、川、海など、各地の自然をフィールドに、多種目なアウトドア競技をこなしながら、ゴールを目指すレースである。チーム戦で行われるものが多い。
概要
アドベンチャーレースは、本来、スタートからゴールまで、夜間行動もある3日以上の超長距離レースである。
国内では、1~3日のレースが開催されている。 主な種目は、オリエンテーリングを伴うトレッキング・マウンテンバイク・パドリング・ロープワークなど。
各レースにより、競技種目、チーム人数が異なる。1チーム3~7人(男女混成)で構成されるレースが多いが、個人戦(競技者1名+同行者1名)で争われるレースもある。
歴史
フランス人のジェラール・フュジーが、1989年にニュージーランドで開催した 「レイド・ゴロワーズ」が世界初のアドベンチャーレースとされている。
このような大会がアドベンチャーレースとなっております。 なお、細かい内容は、スタートからゴールまで決まったルートがある訳ではなく、コンパスと地図を使い、決められたチェックポイントを必ず通過して最短ルートでより速くゴールを目指すのがアドベンチャーレースです。
ただ… このような過酷で危険を伴う競技を子供達にとって、いくら「良い思い出」や「良い経験になる」と言っても、子供達のイベントとして開催するには危険だしリスク回避も準備も大変になります。
そこで私は考えた
様々な競技、(アクティビティ)をコンパスや地図を頼りに何日もかけてゴールを目指すのではなく、同じようなアクティビティをひとつずつの競技とし、その競技の順位にポイントを付け、最終種目のトレイルランニングまでポイント制でみんなが安全にチームで協力してミッションをクリアしていく手法を考えました。
ポイントランキング制を取り入れる。
各種目の順位、ラフティング、カヌー、sup、マウンテンバイクのレースの順位、ロッククライミングではチームメンバーで移動した距離の合計で順位をつけます。
それだけでなく集合時に早く集合できたチームや片付けの早いチームから良い点数が付いていきます。
本場のレイド・ゴロワーズの要素だけでなく、子供達の成長過程に必要な経験と面白いモノもプラスしています。 そのひとつにオモチャの「黒ひげ危機一髪」を入れています。メンバー全員で何本刺せるか?コレは運任せではありますが、子供達は話し合いドキドキしながら行います。
また、なぞなぞのペーパー問題集を作り、チームで答えていく問題を考え、待ち時間を使ってできるようにしています。 問題の題材は、子供が解きやすいように考えて面白くアニメやゲームから出題しております。
また、1日目の宿泊場所である大豊町のみどりの時計台は、旧川口小学校校舎なので、長い廊下があります。
その長い廊下を利用して、チームごとのメンバーで雑巾がけのレースを行って、この雑巾がけの順位にもポイントがあり、加算されます。
最終種目のトレイルランニングまでこのようなアクティビティーのポイントを合計し、ポイントの高いチームからトレイルランニングをスタートしていきます。
2位以降は30秒ずつ時間差でスタートしていき、ゴールに入った順位がそのままの大会の順位となります。
またゴール時は必ず5人全員が手を繋いでゴールしないとチームが失格となるルールにしています。
最後の最後まで気を抜かずに協力してゴールする事、仲間を置き去りにしない事、SDG’Sの「誰ひとり取り残さない」みたいですが、そういった大切な事を目標としています。
この大会手法は、大人がやっても安全に楽しく真剣に助け合いながら協力して取り組めるアウトドアイベントとして成立します。
なので、婚活イベントで大人版ゴロワーズを開催したら、男女5人がチームを組み、男子3人、女子2人で1チームとして開催したら面白くなると思います。
話はそれましたが^_^
もっともっとこの大会の魅力的な中身を書いていきたいと思います。
次回は更に、レイホク・ゴロワーズという大会の中身の中身(構成)を話したいと思います。
お楽しみに!
つづく
土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。(2024年5月27日追記:潔さんは現在98歳。この連載を開始したのが95歳の時だったので、題名はそのままとしています。)
昭和20年7月4日、高知大空襲。
突然の爆音に飛び起きて、廊下へ出た。他の患者も、「空襲、空襲」と大声で走り回っていた。
南の筆山の方は一面に真っ赤。熱気を感じ、見上げた空は真っ黒。ゴーゴーと爆音。シャーシャーと焼夷弾の落ちる音。地響き、真っ赤な火の玉。一瞬、気を失いそうになった。
何とかタオル、綿入れのソータ、筍の皮の草履を履いて道路に出た。その時はまだ、病院は火がついていなかった。
南の鏡川の柳原に出たら防空壕がいっぱいあることは知っていたので、必死で走った。目の前に焼夷弾の火の玉が大きな音と共に飛んできて「しまった」と思った瞬間に、目の前の側溝に飛び込んだ何人かと一緒に、隅っこにピッタリと伏せて、耳を指で潰した。このまま死ぬのではないかと思った。
市といっても、B29何機もで攻められたら短時間で焼け野原になるだろう。
頭の上からは爆音が遠のいたが、起き上がってみるのも危険と、しばらくして周囲の建物の倒れる音、焼ける音を聞き、立ち上がることもできず、このまま終わりかと思った。
やっと時間が過ぎて立ってみると、側溝の深さが自分の身長よりも高くて、足がかりも手掛かりもないことに気が付き、うろうろしていると、山内神社の社務所へ渡る狭いコンクリートの橋が見つかり、やっと参道を横切り、川沿いの防空壕へ。
周囲の変わり果てた様子に身震いした。衣服に火のついた人が叫びながら走っていたり、道路の真ん中に倒れた人が火だるまだったり。川に入っている人、草の上で倒れている人が大勢いた。体に火がついて川に飛び込んだ人、焼死した人たちだったのです。
道の両側の家の形はなく、残り火が燃えていた。その熱気、臭い。
消防団の人に、近くの第六小学校へ収容され、熱いお茶とおにぎりでホッとしたのも束の間、江ノ口の六人の家族の心配。早く確かめたい。もし家と共に焼け死んでいたら探しにも来ないだろう。病人が一人、生き残っても仕方がない。早く安否が知りたい。何とかして帰ろうと決心。
夕方、残り火のまだ熱い中を、道路の中央の整理されたところを一歩一歩と昭和町の我が家へ。愛宕町らしいところも焼け野原。
木造の江ノ口小学校もあるはずもなく、赤レンガの堀に沿って見渡す限り、真っ黒白。人影もない。もう少しで堀が終わろうとした時、突然「お母ちゃん」。6年生の次男が飛びついてきた途端に「フニャフニャ」とその場に座り込んだ。
家族皆が取り囲んで、涙の合唱。しばらくして「よう生きちょったネー」と父が一言。二度も探しに行ったが見付からなかったのでした。
何にも知らない赤ちゃんの妹は、姉の背中でスヤスヤと。
昭和20年7月4日、高知大空襲の思い出です。