2018年6月2日、「石川拓也とさちょう写真展」オープニングイベント当日。
この日は朝から気持ちのよい風が吹いていた。
石川が土佐町に来る前に撮影した写真、色とりどりの万国旗が風にはためく通路を抜けると、そこが写真展会場である体育館への入り口。
多くのお客さまたちは体育館へまず一歩足を踏み入れると、一瞬立ち止まる。風に揺れる写真たちに目を向けながらほうっ…と深く息を吐く。まるで深呼吸するみたいに。
そして写真とゆっくりと向き合うように立つ。その姿は写真のその人や風景と何かを語り合っているかのようだった。
「そのままが写っている作品ばっかりやね。飾ってない。そのままでえい。」
地蔵寺地区の筒井政利さんと重子さんがそう言いながら目を細めた。玄関でお二人を迎え寄り添ってきた石川もそばに立つ。写真の政利さんと重子さんはぽかぽかとした春の陽だまりのしたで肩を組み、笑顔でこちらを向いていた。3人はこの写真を撮影した日のことを話しながら、あの日のよき時間をもう一度思い出しているようだった。
3人とも何だかとても幸せそうだった。
子どもたちが「たくちゃん、たくちゃん!」と石川の足元にやってくる。
写真と写真の間を駆けていく。
土佐町の人たちと風景が風に揺れていた。
体育館の中ではどんぐりのシルクスクリーンチームが中心となって、お客さまが持って来た服に印刷したりやり方を教えたり。その順番を待つ人の列が途切れることはなかった。目の前で絵が印刷される瞬間を目にした人が笑顔になる姿は、何度見てもよきものだなあと思う。
シルクスクリーンは今まで誰かに頼んでいたことを自分たちの手に取り戻す作業でもあって、1枚1枚を積み重ねていくこと、誰かが喜んでくれることがまた喜びになる。その循環はとても気持ちがいい。
この日、どんぐりのみなさんはかなり疲れたと思うけれど「とてもいい経験だった。」と話してくれた。刷り上がった絵を目の前にしたお客さまの姿は、これからもどんぐりのみなさんの背中を押し続けてくれるのではないかと思う。
その隣では笹のいえのくるくる市も開催。使わなくなったけれど誰かに使ってもらいたいものを持ち寄って、必要な人が持ち帰ることができる市。
服や本、調理器具などがたくさん並んだ。身の回りにあるものを大切に使い「くるくる」と人と人との関係も巡らせていくような笹のいえの姿から、多くのことを学ばせてもらっている。
今回の写真展では、できるだけ今あるものを使い工夫して作るということを大切にした。それはこの地の先人たちがずっと大切にしてきたことであり「とさちょうものがたり」の基本姿勢でもある。
写真展の会場はたくさんの人たちの協力でできあがった。
「 映画館」に隙間なく張った暗幕と万国旗はみつば保育園に借してもらった。写真をつり下げるために体育館の2階に渡したロープは仁井田亮一郎さんが分けてくれ、土佐町役場の近藤哲也さんが緩まないようにぎゅっと結びつけてくれた。写真の上下を支える細い竹は笹のいえの竹やぶから切らせてもらい、和田廣信さんがなたを使って竹の節をツルツルに削ってくれた。会場である青木幹勇記念館の田岡三代さん、西峯千枝さん、稲村章さんが竹に結ぶ麻紐をちょうどいい長さに切ってくれた。
みなさんの気持ちがとてもうれしくありがたかった。
会期中、記念館の近くに住む川田秋義さんが何度も足を運んでくれた。秋義さんは多くを語る人ではなかったけれど、周りの人の話に耳を傾けながらいつも静かにその場所に座っていた。
そんなある日、三代さんが教えてくれた。
「秋義さんが持って来てくれたよ。」
手渡してくれたのは高知新聞に掲載された写真展の記事のコピーだった。秋義さんがこの記事を読み、切り抜いている姿が目に浮かんだ。秋義さんはあの場所に座りながら、いつも心を寄せ応援してくれていたのだ。
1ヶ月の写真展の間、会場にいくたびに感じる風がいつも気持ちがよかったのは、たくさんの人たちの協力と来てくれたお客さまのおかげ。
(後編につづく)
*この文章は『とさちょうものがたりZINE02』に掲載されています。