「私が学生のころ、地元にハンガリーの代表チームが練習にやってきたことがあった。街のみんなが選手たちにサインをねだったものです。もちろん私もね! 私にとっては代表チームの選手はヒーローのような存在でした」
カヌーイストとしてのラヨシュの経歴はじつに華々しい。2001年に4人乗りのK-4 1000mスプリントでハンガリーチャンピオンに輝き、2006年には世界大会で優勝した。子供のときに憧れていたヒーローに、自分がなったわけだ。
「背中を痛めてしまって、オリンピックには出られなかった」が、その後もトルコの代表チームに請われてパドルを漕ぐなど、ハンガリー国内外で活躍した。2015年に現役を引退し、2016年には韓国代表チームのコーチに就任。代表チームに帯同し、韓国じゅうをまわった。
「韓国でコーチとしてのキャリアをスタートしたわけですが、代表選手というのは多かれ少なかれ自分のスタイルを持っている。練習方法にしても、パドルの漕ぎ方にしてもね。チームとしての指導方針もカッチリ決まっていたし、私が出る幕は少なかったなあ……。
韓国料理は口に合ったし、文化的にも興味深かいものはあったけど、家族と離れてのホテル暮らしにも疲れたし、いったんハンガリーに帰ることにしたんです」
「日本でコーチをしたいと思っていた」
むずかしさを感じた1年だったが、コーチングへの熱意は消えなかった。
「ハンガリーでコーチをやることも考えたけど、韓国で1年やってみて、外国で暮らすことのおもしろさも体験した。それならば、次は隣国の日本に行ってみたいと思ったんです。それで日本カヌー連盟のスタッフに選手時代からの知人がいるので、『日本でコーチの仕事がないか?』と尋ねてみた」
ラヨシュが日本行きを模索していたのと時を同じくして、嶺北高校カヌー部の生徒たちを指導してくれるコーチの招聘を、土佐町関係者が日本カヌー連盟に打診していた。
タイミングがぴったり重なったのである。
(敬称略)
つづく
文:芦部聡 写真:石川拓也
書いた人:芦部聡
1971年東京都生まれ。大阪市在住。『Number』『NumberDo』『週刊文春』などに寄稿し、“スポーツ”“食”“音楽”“IT”など、脈絡なく幅広~いジャンルで活躍しているフリーライター。『Number』では「スポーツ仕事人」を連載中。