カラスがよく鳴く日に時々、子どもの頃によく聞いたことを思い出す。
特に朝、いつもより多くカラスが鳴くと、祖母が必ずといっていいほど、「今日は人が死ぬるぞね」と言った。
「どうして?」と聞くと、「昔からそう言う」と、信じ込んでいる口ぶりで答えた。
その“予言”は当たる日もあり、当たらぬ日もあったが、その日に誰かの訃報を聞いたりすると、カラスの鳴き声と関係があるのかなあと子ども心に思ったことだった。
祖母だけではなかった。カラスがよく鳴く日には道で会う人、主に中年以上の人から、「カラスが鳴くきに、今日は誰か死ぬるかもしれんねえ」という言葉が出た。そう言って、どこを見るというのでもなく、空を見上げる人が多かった。
日本中では、その日どこかで、誰かが死去しているだろうが、祖母たちが言うのは、もっと近くの狭い村内のことである。
そのためカラスが多く鳴いても、誰も死なない日が多い。そんな時には何も言わないが、時に村内で誰かが死んだりすると、「やっぱり。今日は朝から妙にカラスが鳴くと思いよった」と、納得したように言うのであった。自分も次第にそれに引きずり込まれて、カラスの鳴き声を聞くと、ひょっとして今日は誰かが、と思ったりしたものであった。
それも小学校の終わりぐらいまでで、中学生の頃はカラスの鳴き声と、人の死の結びつきは頭から消えていた。山村の人たちも時代と共に、カラスが鳴いても以前のようなことは言わなくなっていった。昭和20年の終戦が境目だったような気もする。
それでも今、カラスがやかましく鳴く時は、当時のことが浮かんでくる。
カラスの鳴き声と死の関連は、何か根拠があって言っていたのだろうかと思い、広辞苑で「烏」を引いてみた。
『スズメ目カラス属およびそれに近縁の鳥の総称』からはじまり、長い解説が続いている。その中に、『古来、熊野の神の使いとして知られ、また、その鳴き声は不吉なものとされる』とあるのを見て、“これだ”と思った。
カラスの鳴き声は不吉なものとされた、というのは、よほど昔からのことであろう。神の使いであれば、人の死も予見できると考えられたのだろう。
それがあちこちに伝わり、古い時代の信心深い人たちには、カラスが鳴けば不吉なことが起きると思われたのではないか、それが言い伝えられた。自分なりにそう思った。
物質文明全盛の現代から見れば、まことに他愛のないことだろうが、当時の人たちにはそれなりに、結構重いことだっただろう。