筒井賀恒さん(昭和8年生まれ。85歳)の話
もう3年、はよう生まれちょったら戦争に行っていた。
戦争に行くかもしれないなと思っていた。
大東亜戦争が始まったのが小学校2年生の時、昭和16年12月8日。
それまでは満州事変や支那事変があって、小学校1年生か2年生の時に、配給で「南京米」っていう先の長いお米を馬に負わして運んで来た。南京米は中国から輸入してきたお米で、味のあったようなもんじゃなかったねえ。マニラ麻の袋に入っていて、船に積んで輸送してきたんでしょう。その匂いが染み込んで、米の味どころじゃなかった。今でもその味を覚えてる。
みんな食糧難の時代に育っちゅう。それなのに、どうして今、こんなに元気でいれるのかと思う。
小学校4年生くらいになったら「食料のいも作れ」って学校のグランドも畑にして、いもを作りよった。そんな時代だった。
小学校6年生の時に終戦になった。
6年生の時、男の子が何人もいて、友達はもう決めてしもうてた。航空兵になる、船に乗る、 陸軍へ行く…、そんな教育じゃったのよ。自分はどっちにしようか、うろうろしゆううちに終戦になった。時代の変わり目に、自分は生まれた。
戦争というたらね悲惨なものよ、話にならんくらい。どん底よ。
戦争がどんなもんだったかというと、国のため兵隊に行くことだけ、家に帰ってくるようなことを考えたらいかん。
脱走したら非国民じゃ、罪人扱い。
今、若いもんに昔の戦争の時の話をしても、なんでそんな生活をしよったのか、と言うくらい。
品物がなかった時代のことを思うたらね、こればあ豊かな生活ができるとは夢にも思っていなかった。焼畑をして、高度成長の時代がずっと続いて、最近ちょっと不景気じゃいうけど、不景気じゃない。いちばん幸せな時代に生まれたと思う。
今、人生が終わりかけてるんじゃないかといろいろ振り返ってる。自分は何をしたやろう、と思ったりします。
*このお話をしてくれた賀恒さんの記事です。