樫山集落の中腹より少々上の方に細長い池があり、それに面して住吉神社があるが、弁才天さんの名で親しまれている。
この池は清掃するまでは沼地のようになっていて、小さな丸池が二ヶ所ほどあった。願ほどきに鯉を入れたりすることもあったが、お釜さまといって不浄なものを投げ入れることを嫌っていた。
明治の初めのことであったと言う。そのお釜さんに稲を干すサデを突っ込んだことがあった。一本で届かないので継ぎ足して突っ込んだところ、お釜さんから矢のように赤い水が噴き出たという。
家に帰ってみると、子が腹が痛いと言ってきりきり舞いでうめいていた。太夫さんに見てもらったところが、お釜の蛇の目を突き刺してその罰が当たったのだとのことであったと言う。
また池に生えているガマを刈って筵にした家は焼けてしまったとも言い伝えている。
もともと広い池で龍神が棲んでいたと伝えられ、それを岡田という人が田にしてしまったと言う。
ところがその田に早乙女(田植えをする女)が入ると、足や泥に濡れた着物に鱗がくっつき、そんなことで早乙女さんも田の中に入るのを嫌うようになって、荒れたままになってしまった。
そして二つのお釜さんが残っていた。それを浚えて、ずっと昔のように大きな池にしたようです。
町史