2月のある日、土佐町栗木地区の近藤雅伸さんから電話がありました。
「シシ肉、いるかよ?」
二つ返事で、近藤さんの家へ向かいました。
家の作業場には机がわりの大きな板があって、その上にはいくつもの赤い塊が置かれていました。捌かれたばかりのシシ肉です。
近藤さんは捕らえたイノシシの牙を見せてくれました。イノシシは雄で140㎏位あったそうです。牙があるのは雄だけ。写真の白いものが牙、牙の下に沿うように合わさっている茶色の部分は「砥石」。イノシシのオスは、自らの牙を「砥石」で擦り合わせ、研いでいるのだそう。牙は、いわばイノシシが生き抜くための武器。イノシシは、己の武器を日々磨き上げているというわけです。
お互い生きちゅうんやきね。できるだけ鉄砲使わず、自分の手で刺して殺す。人間はこっちが文明の利器を持っちゅうき有利で。でも、相撲を取ってでもかまんという気持ちがなかったら相手も命やき。こっちも命がけ、あっちも命がけ。その中で獲りゆうことやき。弱者をいじめたという感覚で猟はしよらんきね
むやみやたらに取ってるわけじゃない。なんでも命やきね。人間は生物の頂点におるわけやき。必要以上に命を取ることはしよらんきね。駆除のため、食べるがためには獲るよ
「何が正しくて何がダメなのか、それは全てに通じることやけ。それだけの考えを持ってせんと」
近藤さんは、そう話してくれました。
ナワバリ
近藤さんは20歳から猟を始め、現在50年以上経過。昔は山に“ナワバリ”があり、そこには掟があったとのこと。現在も掟があることにはあるそうですが、人や地区との繋がりが少なくなり、どこでも獲ってかまわないという感覚の猟師が多いと言います。
車社会になり山に道路ができ、何処へでも行けるようになったことで、猟の方法も人との関係も変化していったのでしょうか。
近藤さんが猟を始めた頃は車もなく、近くにイノシシがいなかったので、猟をする仲間と共に歩いて山へ入ったそうです。
「ひとつの和というものがなかったら、猟のグループはできにくい。今の猟は個人個人でするものになってしもうた」。
昔は無線がなかったため、猟を始める前に、“何時にここに集まる、お前は撃ち手、お前は追う役”と協議して、連絡は「ケース笛」と呼ばれるものを使っていたそうです。
鉄砲の弾が入っていた真鍮の空のケースを一本必ず持っちょったき、それを吹いて連絡をした。ピーっと甲高い音がして、回数によって意味を決めて連絡を取り合っていた
ケース笛を持っていない時には、枯れた山のイタドリを取り、縁を少し薄く切って笛の代わりにしていたそう。
イノシシの足跡
近藤さんは罠を自分で作っています。イノシシの通る道は決まっているので、足跡を見つけ、その道上に罠を仕掛けるのだそうです。イノシシが道に印した足跡の意味を見極め、捕らえるには長い経験が必要だと言います。
イノシシが何を考えもって歩いちゅうか…。餌を探しに行きゆう足跡か、人を警戒した足跡か、今晩どこで寝ろうと考えてる足跡か…、見たらわかる。
イノシシの寝場は決まっていて、人が行きかからん場所にある。イノシシは夕方から明け方3時か4時ごろまで歩くき、だんだん眠くなってきて、眠い足跡になってくる。そんな時は千鳥足になっている。寝場から300mばあのところで先に大便をして、100メートルばあの場所でおしっこをして、木の葉を集めた寝場に入って寝る
他のイノシシが寝たところで寝たら寄生虫があったり、伝染病じゃというもんもシシは本能的にわかるき、同じ場所では寝んよね。ちょっとずれたところで寝る
メスが発情しだした時、オスが付き回るき、メスが寝ゆう所からちょっと見えるところでオスは寝る。それは危険を避けるため。犬がメスのシシを追うても、自分に害がないように距離を取っている
「生きるということはそういうことやき。先を見通していかないと、生き残っていけない。行きていくことが大事やいか」
近藤さんは、つぶやくようにそう話していました。
母性
イノシシは、メスの方が獲られる率が高いのだそうです。
メスには母性があるのでどうしても子どもをかばい、結果的に獲られることが多くなる。イノシシは寝場に入る前、硬いところを通り足跡を見せないようにして入るそうですが、小さな子を連れたメスのイノシシはそこまで考えられないから狙われる。
猟犬が子を咬えたとしたら、母親のイノシシは助けにむかい犬を咬え「ずりずりにしようとする」のだそうです。イノシシの母親は、自分の命を捨ててでも子を守ろうとするのです。
子を思う気持ちは人間もイノシシも一緒です。
山を植林にしてしもうたき、食べ物がないき、作物のあるところにイノシシは来る。イノシシには本当は罪はないんよ。イノシシは人が作っちゅうなんて知らんわけやき。
人間が山を植林にしてイノシシの生活は壊しちょいて、“被害があるのはいかん”と言いもって…。みんなが自分の都合のええような考え方をするきよ、こういう世の中になってしもうた
帰り際、近藤さんが話してくれました。
ひとつの命をみんなで分けて、“ありがとう”とみんなに食べてもらったらええんじゃないかと思って、声をかけたんよ
一つのものを大事に使うて、食べて、自分があとで後悔せんようなかたちにしていきたい
手渡してくれたシシ肉は瑞々しくてずしりと重く、臭みはありません。この赤い塊は、ついさっきまで山を駆け回っていたイノシシの体なのです。
いただいたシシ肉は、近藤さんに教えてもらったように、水から煮て、シシ汁にしていただきました。
シシ汁
①シシ肉を繊維に対して直角に、一口大に切る
②①と水を鍋に入れ、一回フ〜と沸かす。上へあくが浮くので、それは捨てる。
③水をさし、決して塩気は入れないようにしながらまた水煮をする。
「シシが大きいと硬いきね、夕方にでも煮てちょっと冷ましちゃった方が熱が通るき。ずっと煮ていって、水が少なくなったら水をさしたらいいき」
④端っこをかじってみて、食べられる柔らかさになった時に火を止める
⑤好みの具材を入れて味付けする
イノシシを獲り、その肉をいただくこと。それが人間の日々の糧となっていること。
大昔から繰り返されてきた生きるための営みが切り離されることなく、日常として存在していることは、今の日本の中でとても貴重なことだと感じています。