「あれ、何で立てっちゅうがやろう?」何度か展示室を往復するうち、ふと気がついた。
甲冑の展示は、通常「鎧櫃」(よろいびつ)と呼ばれる箱の上に胴を乗せる形で設置するので、当然座った格好になる。立たせた展示というのは、西洋甲冑などには例があるが、初めて見た。
このままだと縅糸(おどしいと)に負担がかかりすぎ、最悪切れてしまう可能性があった。資料カードも作成しなければならないし、思い切って一度全部解体することを提案した。
以来、約3ヶ月間、1領ずつ解体し、部位ごとに写真を撮り、実測し、メモを取る。その繰り返しである。正直くじけそうになったこともあった。でも傍らには常に委員会の精鋭が3人も付いてくれている。この手厚い支援を受けては、途中で投げ出すことは許されない。
3領目が終わったころ、昔お世話になった国立博物館の先生の言葉を思い出した。「土佐は五枚胴が多いんですよ…」。確かにそのとおりで、資料館にある5領のうち4領は五枚胴だった。簡単に言うと5枚の鉄板を蝶番(ちょうつがい)で連結している胴のことで、畳んで箱の中に収納しやすく持ち運びにも便利である。
土佐の武士は機能性を重視したようだ。いやいや、機能性だけではない。「鉄地五枚胴具足(てつじごまいどうぐそく)」と名付けた甲冑がある。特徴は、地味ながらとても頑丈であること。特に胴は甲冑師の腕がいいのだろう、肌、艶もいい。そして、とにかく重い。だが、戦さなどありはしない泰平の時代に、こんな重い胴が必要だったのだろうか。
良く似た胴が昔の職場にも2領あった。矢野川家と片岡家の五枚胴だが2つとも重かった。土佐町の甲冑は5領とも西村家のもの。この3家に共通するのはいずれも土佐藩の下士(かし)、そしてその地域を代表する「郷士(ごうし)」の家柄ということだ。
昔読んだ漫画に、坂本龍馬の兄の権兵衛が、所属する組の演習に参加する場面があった。その武装は信じられないほど見窄らしく、上士からの嘲笑を買う。だが、実際の郷士の武装はそんなものではない。そもそも郷士は足軽ではない。郷士のことを極端に見下げた表現はいかがなものかと思う。
確かに、非常事態に藩が足軽などの下士、軽格に貸与する「御貸具足」(おかしぐそく)というものがあった。その類いのものを郷士も所有していた可能性は否定できないが、西村家の甲冑は明らかにそれとは異なる。質実剛健、万が一の戦さでは決して遅れをとらない覚悟、それがこの重い五枚胴に込められている気がするのである。
maeda
土佐町の郷土学習センターで、民具資料館と、とさの森美術館を見ました。土佐町にどうしてあんなにすごい資料が残っているのか不思議でした。美術館の絵もきれいでした。これらを案内してくれた女性の方も良い方でした。また資料や土佐町の歴史について、投稿してください。そして、美術館展示の絵や展覧会についても投稿してくださるとありがたいです。楽しみにしています。
とさちょうものがたり
maeda様
コメントありがとうございます。土佐町に来てくださってありがとうございました。
民具資料館の資料は、野本さんが少しずつ補修や整理をしてくださっています。町で積み重ねられてきた歴史を伝えてくれる貴重な資料です。
野本さんや郷土学習センターのスタッフの方にもコメントについて、お伝えしておきますね。またいつでもいらしてください。