顔の見える関係性
僕には10歳と8歳の娘がいる。長女が生後8ヶ月の時に家族で渡米し、次女はニューヨークで生まれた。土佐町に引っ越して来た当初は僕が日本語で話しかけても英語で返していた二人だが、今ではすっかり土佐町の子だ。
移住して1ヶ月ほど経ったある日、娘たちにこう尋ねてみた。
土佐町に来て、一番驚いたことって何?
少し考えた後、2人からこんな答えが返って来た。
「じぶんたちだけで、あるいてがっこうにいけること。」
それを聞くと、土佐町の人は理解できずにキョトンとする。「へ? じゃあどうやって学校に行くが?」
実は、ニューヨークでは安全上の問題から、小学校5年生未満の子どもは、いかなる時も保護者の監督義務が法律で定められている。だから、登下校はもちろん保護者同伴だし、一人で留守番させることもできない。それに慣れていたうちの子たちには、自分たちだけで学校に行き、自分たちだけで帰ってきて、週末も気ままに自転車で遊びに行ける土佐町での自由が信じられなかったのだ。
その自由は、田舎ならではの「顔の見える関係性」によって成り立っている。たった4000人弱のコミュニティーなので、親戚や知り合いは必然的に多くなる。都会と比べて車通りも少なく、一車線しかない土佐町では、運転していても必ず対向車の運転手を見る。知り合いだと気づけばすれ違いざまにあいさつをするし、あいさつしなければ「なんで無視するが?」と叱られる。(みんなが車のナンバーを覚えているのは、きっと白の軽トラばかりだからだ。)運転席の僕に気づいた子が、歩道から手を振ってくれる登下校の時間帯は、僕が大好きな時間帯だ。そんなことが、都会では普通でないことを、土佐町の人たちはあまり知らない。
「田舎はプライバシーがない」と言う人もいるが、僕は「地域に見守ってもらっている」のだと思っている。
「さっき国道を歩いちょったよ」
「今日は〇〇ん家の子と歩きよった」
「今日は珍しく2人で手をつないで学校に行きよったよ」
娘たちを見かけた地元のおんちゃんおばちゃんの何気ないひと言が、なんとも温かく感じる。
(続く)
(雑誌『教育』2018年6月号より再掲載)