土佐町少年剣道の草刈り事業は、もう10年以上前から行っているそうだ。
そりゃあ毎月の保護者会費を増やしたら楽やだけど、それはしたくない、と清賢先生は言う。「自分たちのために一所懸命汗を流す親の姿を子どもに見せたいんよ。」
井手先生は、さらりと僕にこう言った。「僕は剣道を指導しよるように映るかもしれませんが、子どもらと一緒に稽古をしよるだけです。」だから一緒に活動費を稼ぐのは当たり前、と。
草刈り事業を続ける理由を尋ねる中で、清賢先生が面白いことを言った。
「人付き合いの中でいろんなものが生まれる。」
草刈りを通して、親同士の一体感が生まれ、飲み会をしようかという話になり、じゃあ私は山菜を取ってこようとか、俺はイノシシを構えるとか、今度一緒にあんなことしようとか、こんなのもええんじゃないかと、活動が広がっていく。そうして、今までも様々な「お金で買えない価値」が生まれてきた。
「お金じゃないがやき。」その言葉を土佐町に来てから何度聞いたことか。
清賢先生が土佐町少年剣道を立ち上げ、今年で28年目を迎えた。元々は、町内に3つあった少年剣道が相次いでなくなり、地域における剣道の火を消したらいかん、という使命感で始めたという。
一年を通して、月水金の晩に行われる週3回の剣道の稽古を、清賢先生はよほどのことがない限り休まない。その理由をこう語った。「俺はね、道場に来たら先生がおる、というようにしたいんよ。」
何が清賢先生をそこまで突き動かすのかという僕の問いには、なんともそっけない答えが返って来た。
「剣道好きやし…。子どもが待ってるし、卒業生に会うと、この子たち剣道してよかったな、と思うんよ。ああ、剣道で育ったな、って。ただそれだけよ。」
都会では、子どもの習い事も「将来役に立つから」と経済的なリターンを得るための投資と見られがちだ。まるでスマホのアプリのように、次々とダウンロードし、市場における個人の価値や競争力を高めるのだ。だから、お金も取らず、ただ純粋に子どもの人としての成長を求める土佐町少年剣道のような取り組みが、この新自由主義社会ではやけに新鮮に感じられる。
土佐町少年剣道の道場では、ちゃんと教育が成り立っている。大声で体当たりしてくる子どもに、大人もそれに負けない大声で応え、全身で受け止める。親たちが、汗を流す子ども達の姿をじっと見守り、先生の話を子どもと一緒に正座で聴く。先生や親が、ただただ子どもの幸せを願い、子どもたちは、いつもお世話になっている先生や親の期待に応えようとする。
「義理人情」や「恩義」という言葉が死語になりつつある世の中だが、「想い」と「恩」で循環する経済が、まだここにはちゃんと残っている。
(雑誌『教育』2018年8月号より再掲載)
【追記:この記事は、2018年に雑誌『教育』に寄稿したものだが、その後土佐町少年剣道の生徒が減り、毎年恒例の草刈り事業も継続できなくなった。ただ、ここ数年で生徒数は見事にV字回復。草刈り再開も間近か…。】