芥川、黒丸の岡林家は、藩主山内家の一族で、山内家の裏紋の白一黒一が家紋だという。
山内家は武家でおれんようになるので早く山奥に行った方がいい、ゆうて、吾川郡吾北村(現在のいの町)の清水に来て、
それから芥川に居を構えた。
芥川には”芥川の三軒家”ゆうて、筒井姓二つと岡林姓一つがあったが、岡林しげおさんの家が本家じゃった。
今は面影の無うなったその家には,
女人禁制の”武士の間”、万一の切腹の時の”入らずの間”などがあった。
本家の主人の健在なうちは先祖祭りもしていたが、岡林家の名刀一振は神社に納めているという。
土佐町史p883
ヒロノリ
岡林ですが?物語で山内家の子孫ながでしょうか?証拠は有りますか?
ヒロノリ
自分は生まれも南国市ですが山内家の一族とは初耳ですが?歴史で証拠は残っているのでしょうか?
とさちょうものがたり
コメントありがとうございます。この記事は「土佐町史」という分厚い資料からの引用ですが、史実のご紹介というよりは、昔話や民話に近いものであると思います。そういった話が伝わり残っているということを、この時代もう一度共有するために当ウェブサイトにてご紹介しています。土佐町史に依るとこの記述がありますが、その先の(土佐町史に書かれた理由である)証拠というものは、少し調べてみないとわからない状態です。ご質問ありがとうございます。更なるご質問がございましたら、いつでもご連絡ください。
とさちょうものがたり
失礼いたしました。先日いただいたコメントの方で回答いたしましたのでよろしくお願いいたします。
こうりん
はじめまして、コウリンと申します。山内とは直接の関係かは分かりませんが、市内にいた岡林氏才谷屋は、佐川町の深尾氏が呼んだとされる酒造りの杜氏の後裔である黒金家と商いや婚姻と深い中でありました。山内家とは浅からぬ縁だと思います。
それと、吾北村樅木山は岡林のルーツで、前の姓を高樽と呼び、その前はかなり高貴な方同士の婚姻により生まれたと言われ、樅木山の大杉がある場所がそうだと伝わっております。
こうりん
もうひとつありました。
高知県の西森家は、元の姓を山内と言います。安徳帝の御一行の末裔とされております。長曽我部の家臣の時代もありましたが、土佐藩主山内の高知入り以降は、山内姓を西森姓に変えたと平家ではよく聞きます。この時代に岡林はこの山内との一族であることは間違いないとおもいます。
とさちょうものがたり
こうりんさん、コメントありがとうございます。
歴史を遡っていくと、また新たな発見がありますね。今見える世界が、ちょっと違って見える気がします。また色々と教えてください。