山村にはよく霧がかかる。朝も夜も、霧についての思い出は多い。
その中で、自分として一番頭に残っているのは朝霧である。小学生の頃、自分が好きなことをしたのが、朝霧の濃い時間帯であったからかもしれない。
梅雨の頃から夏にかけてよく、うなぎをとるために「つけ針」をした。広辞苑では「置鉤」と出ているが、自分たちはつけ針と言っていた。
今のようにナイロン・ポリプロピレンの強靭な糸はなかったので、紡績に釣針を結びつけた。それに餌としてゴリやカンタロウミミズをつけ、夕方に川のここと思う所につけておく。一方の端は柳の枝などへ頑丈に結びつけた。
翌朝、朝食前にそれを上げに行く。学校に行く頃は霧が薄くなっているが、その頃はまだ村が濃霧に沈んでいるようで、10メートル先も定かでなく、手さぐりで歩む気分だった。それでもつけ針に食いついたうなぎを想像して、胸躍る気分だった。
前方に人影らしいものがぼんやり。水車で搗いた米を持って帰る人だろう。水車帰りの人には、この時間によく会う。
米を背負って、うつむき加減に来るので、なかなか私に気付かない。4,5メートルに近付いて、おばあさんと判った。
「ああ、びっくりした。つけ針上げかね。食いついちょったらええがねえ。霧で見えんきに、気をつけよ」
自分の孫に言うように言われ、すれ違った。
同じようにつけ針上げに行く人ともよく会った。
「食いついちょったらええが」
互いに同じようなことを言い合った。
川に着くと、水面に顔をくっつけるようにしてつけ針の場所を確かめ、1本1本上げてゆく。糸が流れてゆらゆらしていると空振りだが、ぴーんと張って岩の下に引き込まれていたら「よっしゃあ」と小声で言って引っぱり上げ、魚篭に入れた。うなぎはぬめりがある上にくねくね暴れるので針をはずしにくく、紡績も一緒に魚篭に押し込んだ。
10か所以上につけたが、1か所も見落しがなかった。子供心にも、絶対に覚えておけよと、自分自身に言い聞かせていた。
帰る頃はまだ霧が晴れ切っていなかったので、魚篭を持ったまま川の中で転んではいけないと、注意に注意を重ねて歩いたことであった。
霧のことを話した時に、植林好きの祖父がよく、
「夏は水分が少ないきに、朝から日が照りつけたら木にこたえる。霧で朝と晩に水分を補給してやるきに、夏でも元気に伸びるのよ。天の恵みじゃ」
と、何度も言っていたことを、今もよく覚えている。