「夜空の下で」 益田ミリ 集英社
とさちょうものがたり
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
尾崎美穂
白髪神社
白髪神社は土佐町宮古野地区にあり、周りが田んぼの中、その場所だけ木に囲まれるようにして静かに建っています。
その白髪神社のお話です。
白髪神社信仰は、高知県下でも吉野川上流にのみみられるものである。
土佐町宮古野、大川村大藪、本川村(現在いの町)桑瀬、いの町長沢、いの町越裏門、いの町寺川、本山町沢柿内で
「産土神」として鎮座している。
越裏門、寺川あたりでは「本川女に森男」という俚諺がある。
これは本川郷1)かつて本川村から東隣の大川村を含む一帯を本川郷と呼んだの美女、森郷2)現在の土佐町の美男子という意である。
本川郷にまだ白髪神社を勧請3)神仏の分霊を他の場所に移しまつることしていないころの話である。
土佐町宮古野白髪神社の祭りには、老若男女の氏子たちが本川郷からもはるばる何時間も歩いて出掛けていた。
ところが本川女は祭りの準備やら、籠り人の食事の煮炊きなどばかりさせられ、
森の男たちは上座に威儀を正していい格好で座ってばかりいる。
そこで本川女も「時にはわしらも上座に座らせよ」と言うと、
森男は「そんな伊賀ばき(昔の田舎びた服装)の者を座らせるわけにはいかぬ」という。
さすがの本川美女もこれには腹を立て、
竃(かまど)の石を取って「氏神様もついてごさっしゃれ」と言って越裏門、寺川に帰ってしまった。
その竃の石を祀り始めたのがこのあたりの白髪神社であるという。
ところが持ってきた石に、森の白髪神社の御神霊が本当に憑いてきていて、
森の方では神様がお留守になったと大騒ぎになった。
そこで森男から本川女に詫び状が入って、本川から神霊がお帰りになったという。
森から石を奪ってきた日が戌亥(いぬい)(=乾(いぬい))であったから、越裏門は十一月戌、寺川は亥の日を祭日としたとか、
白髪様の祭りを乾祭りというのだと言い伝えて、戌亥信仰4)戌亥は北西の方位を指す。怨霊や魑魅魍魎などの災いが出入りする方角であるとして忌むべき方角としている。この方位を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁昌するとされ、神棚や神社を設けて信仰されていたが見られる。
土佐町史839p
References
1. | ↑ | かつて本川村から東隣の大川村を含む一帯を本川郷と呼んだ |
2. | ↑ | 現在の土佐町 |
3. | ↑ | 神仏の分霊を他の場所に移しまつること |
4. | ↑ | 戌亥は北西の方位を指す。怨霊や魑魅魍魎などの災いが出入りする方角であるとして忌むべき方角としている。この方位を鎮めると、家運が永久に栄え、子孫が繁昌するとされ、神棚や神社を設けて信仰されていた |
下田さんのFacebook
10/8(日)に開催された「下田昌克とさちょうアート展」には大変多くの方々にご参加いただきありがとうございました。
オープニング当日と、それに先立つ1週間の制作期間の模様は、改めて時間をかけて文章や動画でお伝えしていきたいと思っています。
それにしてもいろいろな人に会い、いろいろなことがあった1週間。
下田さん自身のFBを引用させてもらって振り返ってみましょう!
大淵に向かう道すがら出会った山の主。
雨の日は、山から立ち上がる雲が「生き物のよう」。
かっこいいけしき!! 竜みたい!! 峯石原あたりの一枚。
澤田誠一郎さんと。「描いているうちに誠一郎さんのかっこよさが際立ってきた」
高須にて。棚田の絶景を臨むお宅にて、昼食をご馳走になったあとお昼寝。
みつば保育園にて。そらぐみの子供たちとでっかい絵を描いた!
田井に住む103歳の澤田弥生さん。ダンディ!
川田ストアのお父さん!! に、似てる。
知られざるこんな特技も披露してくれました。
ノーコメントです。
後半は晴れた日が多かった。
さあ「下田昌克とさちょうアート展」スタート!
博太郎さんが軽トラに柿の枝ごと運んできてくれたのは度肝を抜かれました。
かっこよかった!
今回はTシャツも作りました。
打ち上げ2次会のスナック「なんてん」。エイ子ちゃんの絵も描いてくれました。
翌朝。午前中には最後の飾り付け。
期間中、一日に何個もアイスを食べました。
さらに詳しいレポートをただいま準備中です。乞うご期待!