鳥山百合子

土佐町ストーリーズ

玄関先の一升瓶

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家に帰ったら玄関先に一升瓶が置いてあった。
それが何なのか、誰からなのか、すぐにわかった。
わざわざ家に来てくれたんやなあ、と思いながら玄関の戸を開けて一升瓶をそっと家へ入れる。
一升瓶の口は和紙のような紙で覆われていて麻ひもでリボン結びになっている。ひもをほどいて和紙を取ってみると、古い服をちょきちょき小さく切ったものをきゅ、とねじって栓にしている。これは毎年一緒やなあとなんだか安心する。

この前、我が家のもち米をおすそ分けしたから、醤油の一升瓶と物々交換、ということだ。

 

こんな風に「玄関先になにか届いている」ことが、今まで一体何回あっただろうか。
ちょっと思い返すだけでも、冬は大根や白菜、干しいも。春は山菜、じゃがいも、たらの芽。夏は梅、トマトやカラーピーマン、米ナス、きゅうり、すいか。秋は柿や栗、柚子、さつまいも、しいたけ、なめこ…。季節を問わず、卵やもち米、こんにゃくや味噌、お米、カステラ、梅干し…。
玄関先じゃなくて庭の真ん中に、きゅうりの入った袋とおせんべいがどさっと置かれていた時はびっくりした。
「鶏にやって」と二番米が入った30㎏の米袋2袋や、食べ物じゃないけれど庭にどっさり薪が届いていたこともあった。おさがりの服も。

玄関を開けたらダンボールが置いてあって、手紙とその人が作った野菜と味噌が入っていた時もあった。
(大きな声では言えないが家に鍵をかけてないのだ!)

多分こういうことは私だけじゃなく、土佐町の人たちの間で日常的にあることだと思うのだが、一体どれだけのものがお金のやりとりなしに行き交っているのかなと思う。

都会ではもののやりとりが行われる時にはお金を介在するし、それが当たり前だと思っていた。でも、土佐町に来てからそうじゃないあり方もあるのだということを初めて知った。いただくばかりで何もお返しができていないのだけれど…。

ちょっと多めに作ったから、ちょっとたくさんもらったから、ちょっとたくさん採れたから、あの人に持っていこう。

あの人に持って行こうと思った時に、顔を思い浮かべてもらったんやなあということが何よりうれしい。

 

 

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お知らせ

ただいま70か所

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とさちょうものがたりZINE 01は県内外ただいま70か所の場所に届けられています。

 

その中のひとつ、東京にある「よもぎBooks」さんがこのように紹介してくれていました。

 

こちらは山口県長門市の「ロバの本屋」さん。

 

こんな風に受けとめてくださって、とてもうれしかったです。ありがとうございます。

土佐町からちょっと遠い誰かの元へ。
手から手へ。
このようなやりとりも大切にしていきたいと考えています。

 

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土佐町の人々

40年目の扉

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いつだって美味しいかおりがして、いつだって長野さんがいる。

土佐町地蔵寺地区にある長野商店。店主の長野静代さんは82歳。長野さんが40年前に開いたお店には毎日いろいろな人がやって来る。カラカラカラ…と扉をあけて入って来て、みんな大抵“ちょっと”ゆっくりしていく。

食材を届けに来た業者さんは盛ってもらったおでんを美味しそうに食べ、魚屋さんはコーヒーを入れてもらっている。保険やさんは「お昼はここでいただくんよ。」と嬉しそうにうどんをすすり、小さな男の子は、お菓子をひとつ選んでいいよ、と長野さんに言われてじっくりお菓子を選ぶ。今日が卒業式だったんです、と制服姿の中学生とその子の両親が晴れ姿を見せに来ていた日もあった。

長野さんがいるから、みんながここにやってくる。

 

 

やっとひとり通れるくらいの入り口の向こうに長野さんの調理場はある。
ぼんやりとした黄色の蛍光灯の下にある使い込まれた調理台。シンクの上にある棚には、少しずつ大きさが違う中くらいの鍋が6つほど逆さまにして置かれている。隣には頭の磨り減ったすりこぎが3本、ボウル、押し寿司の木の型。竹の筒には菜箸が何本も入っている。寿司飯を混ぜる飯台やおもちを並べるもろぶた…。すべての道具にみな、それぞれの場所がある。

足元に置かれているストーブの上の鍋はことこと音をたてていて、鍋の中身はおでん、ある時は干したけのこ、またある時はあんこを作るための小豆だったりする。
大きな冷蔵庫には柚子酢が入った一升瓶、干し大根や手づくりの焼肉のたれ、生姜のしそ漬けががずらりと並ぶ。カレンダーにはお弁当やおかず、皿鉢料理の注文がいくつも書かれていた。

長野さんの40年間がこの調理場に確かに存在している。

羊かんに使う棒寒天を溶かす。

 

長野さんの家はお店のすぐ近くにある。長野さんは毎朝3時半に起き、近所の家々がまだ寝静まっている中を歩いてお店にやってくる。
「1日も休んだことはないね。今まで、もうしんどいからやめようと思ったことは全然ない。仕事がなかったらいらいらするくらい。いつも手を動かしよりたいね。」と長野さんは言う。

 

「長野さんが作るさば寿しと皿鉢料理は本当に美味しい」と土佐町の人からよく聞いていた。長野さんの皿鉢料理を初めて見た時のことは忘れられない。中でも、銀色に光るさば寿しの存在感は特別だった。お腹から尾っぽの先までご飯がつまっていて、尾っぽは誇らしげにぴんと立っている。
作り方を教えてほしいと頼むと、長野さんは快く、いいよと言ってくれた。

教えてもらうのが私だけではもったいないから、皿鉢料理とさば寿司の作り方を教えてもらう教室を開くことにした。「たいていのものはできるよ。」と一緒にやろうとしてくれることがとてもありがたかった。

人参と白菜は畑から採ってこようか。
ゼンマイは戻しておかんといかんねえ。
ふきのとうもその辺にあるから採ってこよう。
羊かんの小豆も前の日からコトコト炊いとかんと。
材料も調味料も身近にあるもので…。

相談しながら作るものを決めていくことは本当に楽しかった。
メニューは、さば寿司、山菜寿司、ばってら寿司、なます、白菜と人参の白和え、季節の野菜の天ぷら、羊かん…。

さばは魚屋さんが運んで来てくれるけれど、それ以外は土佐町のものでできることにあらためて驚く。

 

ところが、教室を開く日が近くなった頃、長野さんの右手の筋が切れてしまった。
「長年痛みをこらえて作り続けてきたき、とうとうね…。」と右手を見つめ、手をさすりながら話す長野さんを見るのは切なかった。
考えたすえ、手が治ってからまた教えてほしい、と言おうとお店を訪ねた。この時も長野さんは調理場に立ち、注文の品を作っていた。

手を止めて私の話に耳を傾けると長野さんは言った。「手は大丈夫やき、やりましょう。」

 

 

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上田房子さんは近所に住んでいる私の師匠。(房子さんのお話はこちら

房子さんの干し柿作りは、冷たい風が吹き始める毎年11月から始まります。
干し柿作りは、まず柿を取りに行くところから!
「柿を取りに来なさいや。」と声をかけてくれた房子さんのご主人、覚さんと一緒に柿を取りに行きました。(記事はこちら)その柿を使って「房子さんの干し柿づくり」が始まるのです。

 

干し柿用の縄を綯う房子さん。しゃっ、しゃっ、しゃっと綯っていく姿は最高にかっこいいなと思います。
最後の「撮れたかね?」という言葉が、房子さんらしいなあ…といつも笑ってしまいます。

 

 

 

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毎年、年末になるとふみさんの家の前には立派な門松が飾られる。

ふみさんは土佐町にある「ふみ美容室」の店主。

昨年、ふみさんに着付けをお願いした。
帯をどちらにしようか迷っていた時「自分の好きな方をつけたらいいのよ。楽しんでらっしゃい!」と背中をぽんと叩いて送り出してくれたことがとてもうれしくて、それからは勝手にお母さんのように思っている。

2017年12月27日、いつものようにふみさんの家の前を通ると、てっぺんが斜めに切り取られ、下はぱかっとくり抜かれたように穴の空いた太い竹がお店の前に立てられていることに気づいた。

門松を作る準備をしてるんだ!

ふみさんに「門松を作るところを見せてほしい」と話すと「明日の昼頃からやると思う。午前中は『わかば』と『うらじろ』を山に取りに行くから。ほら、あそこの山よ。」と指を差して教えてくれた。

白い四角い建物とその裏にある山の間に『わかば』があるそうだ。
その場所はふみさんの家の山ではないけれど、その山の持ち主の人が「取っていいよ〜」と言ってくれているとのこと。
土佐町の人は「自分くの(自分の家の)山」と普通に言うけれど、「自分の家の山」って都会にはなかなかない感覚。

 

「これが『わかば』。別名『ゆずりは』とも言うよ。縁起物やねえ。これにおもちをのせて床の間に飾ったりするよ。普通、古い葉が落ちてから新しい葉が出てくるんやけど、ゆずりはは、新しい葉が少し大きくなってから古い葉がゆっくり落ちるんよ。代々ゆずっていくので、ゆずりはっていうんやないかな。」

 

これは『うらじろ』。こちらは表。

 

こちらが裏。
「よく見て。小さな胞子がついてるでしょう?」とふみさん。(よく見ると茶色の小さな小さなつぶつぶがついているのが見えます)

うらじろは別名「オナガ」ともいうそう。
「うらじろは裏が白いから(確かに表よりも裏は白っぽかった)気持ちに裏表がないように、っていう意味なんやないかな?」と言う。
こんな感じなんやないかな?という感じがゆるやかでいいなあと思う。

 

山から採ってきた材料が広げられている。
「今年は自分くの裏山の南天を使うんやけど、毎年わざわざ持ってきてくれる人もいるよ。南天は「難を転じる」という意味があるんよ。『難転(なんてん)』が『南天(なんてん)』になったんやないかな?お正月に飾るものには理由があるんやねえ。」
とふみさん。

竹はふみさんの家の裏山から切って来たもの。大人の手のひらを思い切り広げたくらいの太さで、斜めに切ってあるところから次の節のところまで水がたっぷり入っている。まずは南天をいけ、余分な葉ははさみで切り落としていく。

 

友人の笑子さんがやって来た。笑子さんもこれから門松を作るのだという。

ふみさん:「わかば、ある?」
笑子さん:「あるよ。」

ふみさん:「どうやろ?」
笑子さん:「もうちょっと、南天の葉っぱを足したらいいんやない?」

南天のたわわな実をゆたかに、わかばは左右に広がるように、松(松だけは買ったのだそう)を上へすくっと立つように、そしてうらじろをいける。「うらじろは下に(地面に)生えてるし、下がいいのかなーって思って。」とふみさん。
「自己流、自己流、でね。」とふみさんは笑った。

 

下側の穴には葉牡丹を。この角度だといけにくいということで、ふみさんのご主人がのこぎりで斜めに切り口を入れる。

 

完成!
なんて美しいのやろう、と思う。

 

笑子さんが見せてくれた。
「こんな風にわかばと南天を重ねて、台所のすみっこやお風呂のたき口、かまど…、火のあるところに置くのよ。『今年もありがとう、来年もよろしくお願いします』っていう気持ちでね、毎年してるの。(写真の笑子さんの親指のあるところに)お餅をのせるのよ。」

「これも自己流、自己流。」と笑子さん。

 

この日、門松の材料を乗せた軽トラックを何台も見かけた。
みんな山から材料を取って来て、家で門松を作るのだろう。

 

もうひとつの門松も完成。こちらの葉牡丹は白。紫の葉牡丹が紅で、紅白を表しているのだそうだ。
なるほど!

 

門松が完成した頃、軽トラックの魚屋さんがやって来た。
ふみさんは魚屋さんにおすすめを聞き、あれこれ見ながらお正月用のお魚やおじゃこを買っていた。

美容院で使う品物を運んでくる人や、近所の人が次から次へとやってくる。
その様子をそばで見ながら、ふみさんがいるこの場所は人が集まる場所になっているんやなあと気づいた。

ふみさんは、しらすの入った袋を私に渡してくれた。
「これ、ひとつ多めに買ったから、どうぞ。夜、しらすごはんにしたら?ここの美味しいから。」
(この日の夕ごはんはふみさんのいう通り、しらすをたっぷりのせた『しらすごはん』にした。本当に美味しかった!)

 

山の向こうに沈もうとしている太陽の金色の光を見ていたら、2017年にあった出来事がひとつひとつ思い出された。
お正月を迎える準備をしながら、新しい年を迎える心の準備もしていくのだなあと思う。

 

 

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西村ユウキCD「Live in 土佐町」店頭販売が始まりました!

2017年末に発売が始まった西村ユウキCD「Live in 土佐町」。
これまでとさちょうものがたり編集部の石川か鳥山を捕まえていただくしか購入方法がありませんでしたが、このたび土佐町近隣のお店にご協力をお願いし、店頭にて販売していただけることになりました!
ご協力いただいているお店のみなさま、本当にありがとうございます。

CDにはライブで歌った全12曲、土佐町で作詞作曲した『土佐町のうた』が収められています。

 

【CD販売場所】

むかし暮らしの宿 笹のいえ
〒781-3331  高知県 土佐郡土佐町地蔵寺3652

青木幹勇記念館
〒781-3401  高知県土佐郡土佐町土居437
TEL.0887-82-1600
開館時間:午後1時~5時
休館日:土・日・祝日・年末年始

cuddle cafe
〒781-3521  高知県 土佐郡高知県土佐郡土佐町田井1485 (旧八菜館)
営業時間:10時〜16時
定休日:土・日・月曜日

レイホクファーマーズカフェ
〒781-3601  高知県長岡郡本山町本山582-2(本山さくら市内)
TEL:0887-76-3541
営業時間:9時~17時
定休日:月曜・不定休

Joki Coffee
〒781-3601  高知県長岡郡本山町本山521-1
TEL: 0887-72-9309
営業日時:月–金/10:00–17:00(L.O. 16:30)
土日祝/10:00–18:00(L.O. 17:30)

 

一枚1000円で販売中です。

遠方の方は、お手数ですがinfo@tosacho.comまでご連絡ください!

ぜひ多くの方に聴いていただけたらと願っています。

 

 

・こちらの記事もどうぞ!CDに入っている曲が紹介されています。

[CD発売!!] 西村ユウキ Live in 土佐町

 

・2017年10月に西村ユウキさんが土佐町へやってきた様子はこちらをどうぞ!

西村ユウキさんがやって来た!

 

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『とさちょうものがたり ZINE』を送付するために土佐町役場近くにある森郵便局へ行った。
いくつものダンボールを何度かに分けて郵便局内へ運び入れていると、郵便局の人が出てきて運ぶのを手伝ってくれた。

そのいくつかのダンボールはまだふたが開いていた。
送り状と中に入れた手紙を確認をしながら、あたふたとガムテープでふたを閉じようとしていると、中にいたお客さんが「手伝おうか?」とそばに来てダンボールの口をおさえていてくれて本当に助かった。

 

今日は東京、兵庫、山口へ送った。

冊数が多い時はダンボールに入れて送る。近くのホームセンターで購入し、土佐町のスタンプを押している。
(土佐町スタンプについてはこちら
今まで何度も郵便局から送っているから、郵便局の人たちも箱に何が入っているのか知っていて、「たくさんの人に届くといいね。」と言う。

発送作業をいろんな人に助けてもらって「今日はいい日やなあ…。」と思いながら送料を支払い、さあ帰ろうと車に乗ると「トントン」と窓ガラスを叩く音が。
顔をあげると郵便局の窓口の人が立っていた。
「『あの本、どんな本なんやろう?読みたい』って(郵便局の人が)言ってるんやけどまだ残ってるかな?」そして「郵便局にも置いたら?同じ土佐町にあるんやから!」と言う。

もう全部送ってしまって手持ちの分が1冊もなかったから、土佐町役場に取りに行き、郵便局へ届けた。
読みたいと言った人が「わあ!」とすごく喜んで受け取ってくれて、とてもうれしかった。
郵便局の窓際にちょうどいいスペースがあって「ここに置いていいですか?」と聞いたら「もちろん〜。まるでそこに置くことが決まってたみたいにスペースが空いてたね〜。」と笑って言ってくれた。

 

今日私は郵便局で、何回「ありがとう。」と言っただろう。
小さな町だからこそ、こんなやりとりをしながら本を送ることができる。

きっと今日の郵便局での出来事で感じたうれしさも、この本にのって届くんやないかな、とそんなことを思った。

 


 

『とさちょうものがたり ZINE』はこんな風に土佐町の郵便局から色々な土地へ、色々な人の元へ送られています。

手にとってくれた人たちが楽しみ、そして同じ日本の中にある高知県の土佐町という町を少しでも感じてくれたらとてもとても、うれしく思います。

 

[創刊号] とさちょうものがたり ZINE 01

 

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お母さんの台所

覚さんと柿とりへ

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「この冬は干し柿がえいね〜」。この声を何人もの人から聞きました。
今回の冬はとても寒いため、干し柿にはもってこいだったようです。
前年(2016年)は暖冬で、いろんな人から「何百個と皮をむいて干したのに全部カビた」という悲しい話をよく聞いていたから、今度こそ!と思っていた人も多かったと思います。

かくいう私も今まで何度も干し柿を作ろうとしては全滅し(全部カビた)もう嫌になってしまい、ここ数年は「いただきものを食べる」専門になっていました。

私の師匠である房子さん(房子さんのことを書いた記事はこちら)の家の軒下にこの冬もたくさんの柿が下げられていました。

なんて美しいのでしょう。
この土佐町で暮らし始めてから6回目の冬を迎えましたが、何度見てもこの風景はぐっとくるものがあります。
今年もこの季節がやって来たのだというしみじみとした気持ちと、今年もこの季節を迎えられたのだとどこかほっとするような、安心するような気持ちも混ざっています。

「この冬は干し柿がえい」。
この言葉が「私ももう一度やってみようかな」という気持ちにされてくれました。
房子さんのご主人である覚さんと柿を取りにいく約束をしていたこともあり、柿の収穫へ行きました。

「もううちはいらんから、全部取っていいきね。」と覚さん。「あたご柿」という種類なのだそうです。

 

 

覚さんは山師だっただけあって82歳の今でもすいすいとハシゴを登り、のこぎりで枝ごと落としたり、高枝切り鋏で枝を切り、一つ一つの柿を傷がつかないようにそっと下へ置きます。
紙の茶色の袋はお米が30㎏入る米袋。
お米を食べ終わった後もこんな風に柿を入れたり、収穫した野菜を入れたりと活躍します。

 

 

覚さんが取ってくれた柿に付いている枝を、園芸用のハサミで切ります。

 

 

こんな風に柿の頭の枝の部分を「 T字」になるように切っておくとあとで楽ちんです。
この「T字」をひもに通してぶら下げ、干すのです。

 

 

米袋2つ分、柿が取れました。
袋は一人では抱えきれないほどの重さです。
「お友達にもほしい人がいたらあげなさいや。」と覚さん。
友人たちにおすそ分けしたら「立派な柿!」ととても喜び、後から聞いたらみんな干し柿を作ったそうです。
覚さんと一緒に収穫した柿がいろんな人の手に渡り、それぞれの人に手をかけてもらって干し柿になるんだと思ったら何だか楽しい。

あたご柿は干し柿用としてこちらの産直市でも販売しています。覚さんだって、販売しようと思ったらそうできるのです。
でも覚さんはそうせずに「好きなだけ取っていいきね。」と言います。自分たちはもう十分に取ったから、と。
惜しげも無くそう言えるのはなぜなのかなと思います。

お金や数字でははかれない、この地で生きてきた人たちがずっと失わずにもっている何かに支えられて、私は今までやってこれたなあと思うのです。

 

(この柿で房子さんと干し柿を作りました。このこともまたお伝えします!)

 

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土佐町ストーリーズ

しし汁の約束

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「おーい!」

まだ朝もやが立ちのぼっている中を近所のおじいちゃんが手招きしている。

車を道の脇にとめて窓を開けるとおじいちゃんは近くに来て言った。

「昨日、しし(猪肉)をもらったんよ。今日炊くから、仕事の帰り、来れたらいらっしゃいよ。」

私の息子には「昨日来た時、もう伝えてある。」と言う。

息子は学校帰り、毎日のようにおじいちゃんの家に寄っては、テレビで『はぐれ刑事純情編』を見せてもらうことを楽しみにしている。
昨日の夕方も寄っていたらしい。

「じゃあ、息子と一緒に行きますね。」

 

息子は昨日、おじいちゃんの家にしし汁(猪肉との野菜の味噌汁のこと)を食べに行く約束をしていたのだ。
私も今日、おじいちゃんと同じ約束をした。
それぞれでしていた約束がこんな風につながったりする。
この日は一日中「約束」のことを何度か思い出しては温かい気持ちになった。

でもこの日の夕方、思ったよりも帰りがずっと遅くなってしまった。
申し訳ないと思いながらおじいちゃんの家を訪ねると、おじいちゃんがいつもいる小屋の薪ストーブの上には大きな鍋が置いてあって、その中にはしし汁がたっぷり入っていた。

小屋の中の温かさや鍋のふたの隙間からゆっくりとたちのぼって行く湯気の感じから、ずっと待っていてくれたことが伝わってきて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「遅くなってごめんなさい。」と言うと、おばあちゃんは笑って違うお鍋にしし汁をたっぷり入れてくれた。
「晩ごはんに食べなさいよ。」と言って。

息子が来たのかどうかを聞くと「来んかった」。

そして「このままだとまけるけ(こぼれるから)、トラックで運んじゃお」と言う。
そこまでしてもらっては申し訳ないと言うと「かまわんかまわん。」と軽トラックに乗り込んでしまった。

 

おばあちゃんは私の家までお鍋を運んでくれた。
受け取った鍋はホカホカと温かく、帰ろうとするおばあちゃんの軽トラックのライトがとてもまぶしかった。

私が鍋を抱えて家に入ると、息子が「それ、なあに?」と聞く。
「おばあちゃんがしし汁をくれたよ。」と言うと

「あ、僕、約束忘れてた…。」
しまった、という顔をしていた。
「約束忘れちゃってごめんなさい、って言わんといかんね。」と話すとうなずいていた。
その夜、息子は何杯もしし汁をおかわりした。

次の日の朝、「今日学校の帰りおじいちゃんち行ってくる」と行って息子は学校へ出かけ、夕方遅くに帰ってきた。

 

「おじいちゃんがね、今度柿とりにおいで、って。」

次は柿を取りに行く約束ができた。

 

家の窓から見えるおじいちゃんとおばあちゃんの家。
いつもおじいちゃんとおばあちゃんがあの場所にいてくれて「約束」を楽しみにしてくれていることを本当にありがたいなあと思う。
おふたりに何を返せるのかな…といつも思う。

 

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西村ユウキさんが土佐町に来た時は、秋真っ盛りの美しい風景を見せてあげたいと思っていたのに、ほぼ毎日雨だった。

美しい棚田の見える展望台、土佐町の一番西にある稲叢山、四国の水瓶早明浦ダム、アメガエリの滝、平石地区にあるりんご園、乳イチョウ…。
雨の中、色々なところへ行った。

でも、天気なんて関係なかった。

西村さんは土佐町を「つかまえて」くれた。

 

風が吹いては花が咲く 雨が降っては穂が実る 

水は流れてどこへゆく 人の暮らしにたどりつく

                         (土佐町のうた)

 

「人の暮らしにたどりつく」。

この言葉を聴いた時、これ以上の言葉はないと思った。

春、腰の痛みをこらえながらもゼンマイを収穫するあの人が。
夏、沈下橋から川へと飛び込む子どもたちの姿が。
秋、軒先に干し柿が下がり、真っ白い大根が風に吹かれて干されている風景が。
冬、薪ストーブの周りで手をかざしながらしゃべっているおじいちゃんたちの姿が。

山で一人で暮らしているあの人も、郵便屋さん以外には人が来ない場所で暮らしているご夫婦も、あの人も、あの人も。
大切な人たちの顔が浮かんだ。

「人が暮らす」。
それはどういうことなのか。
その答えを探しながら、この地で暮らしている。
そんな風に思う。

 

少し話はさかのぼるけれど、西村さんを知ったきっかけは、とさちょうものがたり編集長の石川が土佐町へ移住する1ヶ月ほど前、東京で開かれた熊本地震復興支援ライブに行った時のことだった。
有名なミュージシャンがいる中で、西村さんの歌は思わず「とてもよかった」と声をかけたほど素晴らしかったそうだ。
西村さんが手渡してくれたCDに入っていた曲を石川は何度も聞き込み、土佐町へ移住後、土佐町の山道を走る映像と曲を合わせた動画を作っていたのだった。

土佐町の人たちに西村さんの歌を届けたい。
そう思っていたところ、10月に高知市で西村さんのライブがあることがわかった。
石川が土佐町にも足を伸ばしてもらえるか聞いてみると、西村さんは「いいですよ」と快諾。
土佐町でのライブ開催が決定したのだった。
(後日、高知市でのライブはなくなってしまったが、西村さんは土佐町へ来てくれた。)

 

『西村さんはライブの3日前に土佐町入り。町のさまざまな場所を訪ね“土佐町のうた”を作ってもらう』という計画を立てた。
あとからわかったことだけれど、この計画は西村さんにとってかなりのプレッシャーだったようだ(笑)

西村さんは土佐町をどんな風に見つめるのか。
土佐町をどんな言葉にして、どんな音楽にするのか。
この町がずっと大切にして来た何かを、西村さんはきっと言葉にしてくれるに違いないという信頼があった。
その歌は土佐町の大切な歌になる。
その確信はやっぱり、間違っていなかった。

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