鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「もりのかくれんぼう」 末吉暁子作, 林明子絵 偕成社

このお話の主人公けいこが家に帰る途中、お兄ちゃんを追いかけて生垣の下をくぐり抜けると、そこには金色に色づいた森が広がっていました。

けいこは、この森の「もりのかくれんぼう」とかくれんぼをすることに。きつねやりす、くまやトカゲなど森の動物たちも加わって、みんなであっちに隠れたりこっちに隠れたり。(ページをめくりながら、「あ!ここにいる!」と見つけるのが楽しいです)

くまが鬼になった時、けいことかくれんぼうはしげみの中に潜りこみます。「いきをころして、じっとして、みつからないように、いつまでも…」。

ふと聞こえてくるお兄ちゃんの歌声。そっと顔をあげると、目の前にお兄ちゃんが立っていて、けいこの住んでいる団地が広がっています。ところどころに金色の森に生えていた木が立っていて、団地ができる前はあの森だっただろうことを想像させます。

この本が出版されたのは1978(昭和53)年。昭和30年代から昭和40年代にかけて、高度経済成長期にあわせて団地の建設が盛んに行われたため、森を切り開いて作った団地に住んでいる子供たちも多かったことでしょう。

「どこかできっと またかくれんぼうさんにあえる けいこはそんなきがしてなりませんでした」

かくれんぼうや森の動物たちはどこへ行ったのか。当時も今も、この絵本を読んだ子供たちはどんなことを感じるのでしょう。

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私の一冊

鳥山百合子

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「THE NORTH WOODS」 大竹英洋 クレヴィス

「THE NORTH WOODS」は北米大陸に広がる森林地帯の呼称で、世界最大級の原生林の一つ。オオカミやバイソンをはじめ、ホッキョクグマやムースなど野生動物が多く生息し、7000年以上昔から、先住民が狩猟採集の暮らしを営んできた土地です。

写真家大竹英洋さんは20年以上この地をフィールドとし、撮影を続けてきました。その集大成としての写真集がこの「THE NORTH WOODS」です。

この一冊から、この土地に生きる動物たちの息遣いや、この土地に吹いているだろう風の音が聞こえてくるような気がします。

動物だけでなく、アカリスが岩の上に残した松ぼっくりの殻や、雪の上に残されたワタリガラスの羽の模様、湖に張ったガラスのような薄氷など、一見何気ない、でもこの地で重ねられている瞬間を映した写真の数々は、私たちが生きている大地は美しく尊いことを思い出させてくれます。

この土地の先住民アニシナべの民であるソファイア・ラブロースカスさんが、この写真集に文章を寄せていますが、その中に「彼は、わたしたちに、そして、多くのコミュニティとそのテリトリーに、いつも多大なる敬意をはらってきました」という一文があります。

アニシナべの民は、祖先からの知恵や教えを口伝えの物語として受け継いでおり、物語を語り、聞き入ることは未来への命綱だといいます。ソファイアさんは「その物語を信じてくれてありがとう」と大竹さんに伝えています。

その一文を読んだ時、この写真集から伝わってくるのは「THE NORTH WOODS」という土地の素晴らしさはもちろん、何よりも大竹さんの人間性なんだとあらためて思いました。

ある場所に足を踏み入れるとき、この地で脈々と引き継がれてきた営みや文化に敬意を払うこと。決して驕り高ぶらず、謙虚であること。目の前の人と丁寧に向き合うこと。その姿勢は人との関係を作り、互いを理解するためにとても大切なことのように思います。

「THE NORTH WOODS」。今この瞬間もこの土地で動物たちは生き、太古の昔から暮らし続けている人たちがいる。そう思うだけで、ちょっと前を向く元気をもらいます。

 

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読んでほしい

お米の精米

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土佐町内では、農協やスーパーの横に精米所が設置されています。

土佐町では農家さんでなくとも、他の仕事をしながらお米を育てている人は多く「じぶんく(自分のところ)で食べるお米は自分で作る」、すなわちお米の自給率は相当高いと思われます。

お米を作っている人と話していると、「先祖代々の田を自分の代で手放すわけにはいかない」という思いと、「じぶんくで作ったお米はうまい」という誇りを持っていることを感じます。

収穫したお米は玄米のまま、紙の米袋に入れて各家の保冷庫で保存。その都度精米所で精米して食べている人が多いようです。

 

30㎏のお米

かくいう私は、土佐町の農家さんからお米を購入させてもらっています。このお米がツヤツヤで甘く、「ああ、お米って美味しいなあ〜」としみじみします。毎食このお米が食べられるなんて相当な贅沢です。大体2ヶ月に一回くらい、30㎏を届けてもらっています。

そして精米所に行き、精米します。30㎏は相当気合を入れないと持ち上がらない重さです。ぎっくり腰にならないように注意を払いつつ、よろよろしながら、ヨイショ!と自ら掛け声をかけ、機械に玄米を投入。30㎏精米する場合は、300円お金を入れます。

白米にするか、7分米か3分米かなど、お米の精米度合いを選んでボタンを押すと、ゴーッという大きな音がして精米がスタート。

もう既に、お米の甘い香りが広がっていきます。

 

1俵、ここにあり

土佐町に来て驚いたことの一つに「お米の単位」があります。スーパーや宅配で販売されているお米の多くは5㎏、または10㎏の袋でそれが当たり前だと思っていました。

土佐町のスーパーでも、5㎏、10㎏の袋は売っていますが、地元の人の間でやりとりされるお米は30㎏の米袋。この30㎏の米袋を1袋(いったい)と呼び、これが多くの人にとっての一単位になっています。さらに、この30kgの米袋が2袋(にたい)になると「1俵(いっぴょう)」となります。

「いっぴょう」!!

昔話で聞いたことがあった「いっぴょう」、おじいさんとおばあさんが藁で編んだ俵をつい想像してしまいますが、土佐町では「1俵」という単位もまだまだ現役。さすが米どころと言われるだけあります。

 

精米終了

精米が終わると、目の前には山のようなほかほかのお米が。手を入れるとぬくぬくと暖かくて、まるでこたつのよう。甘い香りで満ちています。

取り出し口の下に袋を設置して、ペダルを踏むと、ザーッと精米したお米が落ちてきます。

精米してもまだ重い30㎏のお米。私は空袋を持っていって、半分ずつ袋に入れます。そうすると15㎏ずつになるので、腰の心配をすることなく余裕で持つことができます。

やはり精米したてのお米は格別です。子供たちも「あれ?お米変えた?」と聞いてきます。

この味が日常。そのありがたさ、贅沢さ。忘れないでいたいと思います。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「えんどうまめばあさんとそらまめじいさんのいそがしい毎日」 松岡享子 原案・文 , 降矢なな 文・絵

えんどうまめばあさんとそらまめじいさんは、畑やウサギ小屋のある家で、毎日「くるくると まめまめしく」働いて暮らしています。

とても仲の良い二人だけれど、一つだけ困ったことがありました。それは、何かをしていて、他にやりたいことが見つかると、すぐに始めないと気がすまないこと。

「えんどう豆に棒を立てて、蔓を巻き付けてやらなくちゃ」と思い付き、畑へいくと草はボウボウ、おばあさんは草取りを始めます。その草をウサギに食べさせてやろうと小屋へ行くと、金網が壊れている。修理してもらおうとおじいさんを呼びに行ったら、穴のあいた作業着につぎをあてようと思っていたことを思い出し、針と糸を出してちくちく…。おじいさんもおじいさんで、ウサギ小屋の修理をしている途中に、納屋の屋根を直し始めたり。最初の「棒立て仕事」は一体どこへいったやら。

そんな二人の姿に、こういうこと、よくある、よくある!と何だか嬉しくなってしまいます。

肝心の「棒立て仕事」は、ベッドに入ってから思い出し、懐中電灯を持って畑へ向かう二人。えんどう豆に棒を立てて蔓をしっかり巻き付けます。そして「今日もよく働いたね」と話しながら眠り、また新しい朝を迎えます。

生活の中にはやることが色々あります。仕事、家のこと、子供たちのこと。自分だけの時間ってほぼありません。でも、その一つずつを解決して、片付けて、粛々とやっていく。地道な積み重ねですが、それが暮らしそのものなんだなと感じます。

 

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読んでほしい

旧正月のお祝い

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旧正月のお祝いのお餅をいただきました。

よもぎ、たかきび、白いお餅がふたつ。白いお餅の一つには「ウ」と書いてあり、うるち米ともち米を混ぜて搗いたものだそう。うるち米を混ぜて搗くと、もち米だけで搗いたお餅よりも柔らかくなるのだそうです。

「旧正月」とは旧暦のお正月のことで、毎年その日は異なり今年は1月22日。旧暦は月のみちかけを主な基準にして決めた暦で、日本では1872(明治5年)まで旧暦が使われていました。お餅を届けてくれた人のお家では、先祖代々、旧暦のお正月にはお餅を搗いて家族で食べてきたそうです。

よもぎ餅は、春に摘んだよもぎを冷凍しておいて、蒸したもち米に加えて搗いたもの。

お餅を搗く時は、まず白いお餅から搗き、最後によもぎを搗くのがポイントだそう。よもぎ餅を最初についてしまうと、よもぎの緑が白いお餅に入ってしまうから「見た目が何かイヤやろ〜」とのこと。何か、納得です!

土佐町の各地で行われている神祭も旧暦で行われているとのこと。旧暦が暮らしの中に生きている。そのことがなんとも豊かだなあと感じています。

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私の一冊

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「伝えたい!昭和の食卓」 松﨑淳子 飛鳥出版室

高知県立大学名誉教授の松﨑淳子さんが、かつて担当していた「調理学」の必修科目「調理実習I」を再現した本です。松﨑淳子さんは、以前紹介した「聞き書き高知の食事」や「土佐の食卓」にも携わっており、高知の食についての生き字引のような方です。その松﨑さん手書きのレシピが掲載されているこの一冊が出版されたと知り、すぐに購入しました。

40年かけて仕上げたというレシピは、まずはご飯の炊き方からほうれん草の胡麻和え、厚焼き卵など、身近な料理がいくつも。でもレシピをよくよく読んでみると、ほうれん草の胡麻和えの「胡麻和え」では、「ごま炒りに胡麻を入れ、強火にかけ、終始よく振る。パチっと音がし始めたら、火を止め、なおそのまましばらく振り動かして、全体をふんわりと炒る」、とのこと。

胡麻を炒る道具「ごま炒り」は我が家にありません。今まで何度もほうれん草の胡麻和えを作ってきましたが、恥ずかしながら胡麻を炒ったこともありません。

でも、レシピを読んだら「ごま炒りを買って、ごまを炒ってみようか」という気持ちになりました。ちょっとした手間暇を省きがちな私ですが、ちょっとした手間暇をかけてみようと思いました。

他にも、茶碗蒸しのレシピにある「すまきの入った茶碗蒸しに柚子皮をのせる」、ハンバーグのレシピの「ハンバーグの肉にナツメグを入れる」のもやってみたいです。

松﨑さんが見つめる食卓への愛情がひしひしと伝わってきます。このレシピは「無断複製大歓迎」で大いに広めてほしいとのこと。そんな心意気も本当に素敵だなと思っています。

 

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私の一冊

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「聞き書き 高知の食事」 「日本の食生活全集 高知」編集委員会 農山漁村文化協会

高知ならではの海の恵み、山の恵みや県内各地で培われてきた食の文化が紹介されています。1981(昭和61)年に出版されたこの本を編集制作するため、県内各地へ聞き取り調査をし、料理の再現や写真撮影など、各地の数多くの人に協力してもらったと書かれています。取材協力者の中には、明治44年生まれの方のお名前も。今もご存命なら112歳。大正時代の終わりから昭和の初め頃の高知の食生活が記された、貴重な本です。もう今では失われてしまったことも記録されていることでしょう。

高知県は祝い事があれば寿司がつくられる「寿司文化」の土地であり、海山にはその地の食材を活かしたさまざまな寿司があることも記されています。さばの姿寿司、山菜寿司、巻き寿司、あめご寿司や鮎寿司など、多種多様。高知県の最東端東洋町には「こけら寿司」と呼ばれる、人参や薄焼き卵で彩られた四角いケーキのようなお寿司もあります。

かしの実の渋を抜いて粉にし、水を加えて煮てかためた「かしきり」の説明や作る様子も。海には海の食、山には山の食。ページをめくればめくるほど、高知がどれだけゆたかな土地であるかを実感します。

2021年に高知県庁から委託された「土佐の郷土料理」動画制作のお仕事で、県内9市町村の郷土料理を撮影して回ったことは貴重な経験でした。海山の恵み、季節ごとの野菜、果物、山菜など、その土地ならではの食材があること。そして、その土地でその土地に根ざした料理を作り続けてきた人たちの存在。それが掛け合わされてその土地の食文化が守られ、作られていることを知りました。その営み自体が高知のかけがえのない財産です。

先人たちが培ってきた食文化を次の世代へ繋ぐ。そのようなことができたらと思います。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「もりのどうぶつ」 おおたけひでひろ 福音館書店

写真家 大竹英洋さんの写真絵本です。

この本との出会いは今から10年程前。「東京のことり文庫(本屋さん)で、写真家の大竹さんが話をするから一緒に行こう」と友人に誘われて行き、購入しました。この時に大竹さんがどんな話をしたのか実はあまり覚えていないのですが、大竹さんは目がとても綺麗な人だったことはとても心に残りました。

本に出てくる動物はとても可愛らしくて、優しげで、穏やかな優しい気持ちになります。写真は、大竹さんがこの動物たちを見つめる眼差しそのものなのでしょう。

今この瞬間にもこの地球上のどこかで、リスが木の実をかじり、雷鳥が羽を広げ、ヘラジカが水草をむしゃむしゃ食べている。それを知るだけで、周りの風景が少し違って見えました。

それから本屋さんや図書館で「大竹英洋」さんのお名前を見るたび、勝手に懐かしい気持ちになっていました。

昨年12月、高知市の高知こども図書館で大竹さんがお話をすることを知り、行きました。大竹さんは10年前と変わらない真っ直ぐな目をしていました。大竹さんは初の写真集『ノースウッズ 生命を与える大地』で、昨年3月に第40回土門拳賞を受賞したとのこと。それまで写真絵本は数冊出版していたけれど「これが初めての写真集なんです。初めての写真集を出すまでにとても時間がかかってしまいました」と話していました。

「もりのどうぶつ」との出会いから10年、大竹さんが積み重ねてきただろう時間の層を感じ、ただただ拍手しました。

 

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読んでほしい

春は待っている

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寒い寒い、土佐町の冬。足元からの冷気に身震いし、ついつい手を擦って背中を丸め「冷やい冷やい」と呟いてしまう。つい数日前も、朝起きるとうっすら雪が積もっていた。おかしなことに、特に家の中が寒く、吐く息は白い。外に出た方が暖かいのはどういう訳なのだろう。

 

春への準備

こんな冬真っ盛りの土佐町でも、既に春に向けた準備が始まっている。

1月7日、近所の田んぼに堆肥の山ができていた。朝日を浴びて、表面からゆらゆらと湯気が立ち昇っている。堆肥はちっとも臭わず、しっとりとした土の粒はきらきらと光り、とてもきれいだった。そっと手で掘ってみると驚くほど柔らかく、中に入った指先はじんわり暖かくて気持ちがいい。きっとまもなくトラクターで田をたたき、この堆肥をすき込んで、今年の稲を育てる土壌をつくるのだろう。

私がストーブの前から離れない間に、お米を育てる人たちは春に向けての段取りを考えて行動しているのだ。そうと思うと、冷やいなんて言ってばかりいられない、と背筋が伸びた。

この地の循環

田んぼの持ち主の人に聞くと、それは土佐町の堆肥センターで作られたもので、主に牛糞でできているのではないかと話してくれた。

堆肥の中には藁も入っていた。土佐町で育つ牛の糞が集められて堆肥として生まれ変わり、お米を育てる土壌となる。「この辺の人は、この堆肥を使っている人が多いよ」と教えてくれた。もし何か一つでもなかったらこの循環は成立しない。この地のゆたかさをあらためて感じる。

この冬を抜けた先には、ちゃんと春が待っている。そのことがはっきりわかるのは、自然を相手に仕事をしている人たちがこの土地にいるからだ。その人たちの仕事や姿を見聞きするだけでも季節を感じ、時の流れを知る。それは、私にとって欠かせない、ありがたい体感となっている。

 

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「てぶくろ」 エウゲーニー・M・ラチョフ絵 , うちだりさこ訳 福音館書店

絵本「てぶくろ」が日本で翻訳出版されたのは1965年、58年前から読み継がれている名作です。

表紙を見るたび、母が何度も読んでくれたことが蘇ります。私も3人の子供たちと何度一緒に読んだことか。この絵本とのお付き合いはもう何十年にもなるのに、昨年初めて知ったことがありました。それは、このお話がウクライナの民話であったことでした。

このお話は、森を歩いていたおじいさんが手袋を落としてしまうところから始まります。その手袋に、森の動物たちが次々ともぐり込んでいきます。ねずみ、かえる、うさぎ、きつねが順番に登場し、「入れて」「どうぞ」を繰り返していく。手袋の中は当然狭くなっていくのですが、さらに交わされる動物たちのやりとりが興味深いです。

おおかみが「おれもいれてくれ」とやってきて、既に中にいる動物たちは何と答えるか?これまで同様「どうぞ」と言うかと思いきや、そうじゃありません。出てきた言葉は、「まあ いいでしょう」。本音はきっと「狭いんだけどな…、でもな…、まあいいか…」といったところでしょうか。ちょっとした複雑な心境が伝わってくる場面です。

次に来るのは、きばもちいのしし。同じく「いれてくれ」という彼に、動物たちは「ちょっとむりじゃないですか」。でもいのししは「いや、どうしてもはいってみせる」と入ってくる。すると「それじゃ どうぞ」と中に入れる。

最後にくまがやってきた時には「とんでもない まんいんです」とさすがに断る。でもくまは負けずに「いや、どうしてもはいってみせる」。すると、「しかたがない でも、ほんのはじっこにしてくださいよ」と折れ、くまは中に。結局皆が入って、手袋は「いまにもはじけそう」になる。

 

今まで「てぶくろ」を何十回と読んできましたが、表紙に「ウクライナ民話」と記されていることを全く意識していませんでした。

昨年2月に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻。「ロシアとウクライナは兄弟国」とメディアでよく見聞きしますが、なぜ兄は弟の国へ攻め入ったのでしょうか。

1991年のソビエト連邦崩壊に伴って独立したウクライナ。その国の歴史は複雑に絡み合い、私が簡単に言えることではないのですが、ロシアやウクライナに暮らす人たちは、かつて「てぶくろ」の動物たちのように一つの大陸に集い、共に暮らしてきたのではなかったでしょうか。相手を「どうぞ」と受け入れ、「ちょっと無理じゃないですか」という時も、相手の言い分にも耳を傾け、何とか折り合いをつけてやってきた。この民話は、この土地の人たちはそういった営みを繰り返し生きてきたんだよ、と伝えるために作られたのではと想像します。

このお話の結末では、手袋が片方ないことに気づいたおじいさんが戻ってきます。そして、吠えた子犬の声に驚いた動物たちは手袋から這い出して「もりのあちこちへにげていき」、「そこへ おじいさんがやってきて てぶくろを ひろいました」と終わります。

最後におじいさんが手袋を探しに戻ってきたのはなぜか?それはきっと、おじいさんにとって、手袋が大事なものだったからではないでしょうか。森に落ちた手袋が、動物たちにとって新たな居場所となり、おじいさんにとっては変わらず大切なものであったのです。手袋をどう捉えるか?一つのものごとを考える時、ある一面だけでなく、多面的に見る必要もありそうです。

未だウクライナとロシアの戦争は続いています。一刻も早くそれぞれの国の人たちが、あちこちへ逃げないですむ状況になりますように。自分の場所で安心して暮らせるようになりますように。大切なものを大切にできる日常に戻りますように。心からそう願っています。

 

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