鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「小春日和にぽっかぽか」 砂浜美術館

美しいキルトが掲載されたこの冊子は、1996年11月に高知県黒潮町の砂浜美術館が発行したものです。砂浜美術館が地元の女性たちと企画した「こどもたちが選ぶ・潮風のキルトコンテスト」への思いを残しておきたいと作った一冊だそうです。

掲載されている受賞作品の中に、土佐町の山中まゆみさんの作品があります。

藍色の布を一つずつ繋ぎ合わせた「旅立ちの時」。

「早明浦の湖底に眠る柿ノ木の部落。山里のその小さな集落には、秋になると赤い実をたわわにつける柿の古木があり、いつの頃からかそう呼ばれるようになっていた。

大きな柿の木をいつでも見ることのできる段々畑には藍が穫れ、綿が育った。庄屋が住む広い屋敷の一棟は機屋になっており、おまつばあさんが主人の寝床をぬくめるために藍染の布を織った。

百年を経ても変わらぬ藍の青。柿ノ木の部落は古木と共に人造の湖の底に沈んでしまったけれど、女たちに愛された藍染はまるで誕生を繰り返すかのように女から女へと手渡され、その度に昔を語りながら生きてきた。」

まゆみさんは、おまつばあさんが藍を育て染めただろう布を川村千枝子さんから手渡されたそうです。川村千枝子さんは、さめうらダムに沈んだ集落の記録を「ふるさと早明浦」と題し、一冊の本にまとめられた方です。まゆみさんは、千枝子さんに聞いたお話と受け取った藍色の布からイメージを膨らませ、このキルトを縫い上げたとのこと。

まゆみさんがこの冊子を見せてくれた時、ちょうど編集部では、連載「さめうらを記す」を始めたところで、不思議なご縁を感じたことでした。さめうらダムに沈んだ集落の人たちの元を訪ね、話を聞き記録する連載で、柿ノ木集落の方からもお話を伺いました。その中の一人、川村雅史さんは川村千枝子さんのご主人です。

ご縁というのは本当に不思議で、尊いものです。この冊子が、実はつながっていたご縁の糸をもう一度結び直してくれました。

 

川村雅史さんの場合

*「秋になると赤い実をたわわにつける柿の古木」はこちら

「柿の木」の由来

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

朝の挨拶

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「おはよ〜」

早朝、玄関先から不意に朝の挨拶が聞こえてきた。その時、私は台所で朝ごはんとお弁当の準備をしていた。パジャマだったけれど「おはようございます〜!」と出ていくと、そこには大きなカボチャを抱えた人が立っていた。

「まだちょっと早いかもしれんけんど」

ずっしりツヤツヤのカボチャを受け取る。

「はい、これも」と手渡された袋の中にもカボチャ、きゅうり。

「わあ〜!ありがとうございます!」

お礼をまだ言い終わらないうちに、その人は「あ〜!今日もぬくいぬくい!」と言いながら玄関から出ていった。

 

軽トラの荷台にはチェーンソーやロープ、私には分からない山仕事の道具が積んである。これから山へ仕事に行くのだろう。

「熱中症に気をつけて!」という声に手を上げて、軽トラはあっという間に去っていった。

 

連日の猛暑、朝から仕事へ向かう途中に立ち寄ってくれたことのありがたさを噛みしめた。

今日も頑張ろう。そんな気持ちにさせてくれた出来事だった。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「御神木に手を当てて、目をつぶってごらんなさい」

輪抜けさま」の取材の帰り、白髪神社の宮司である宮元序定さんが声をかけてくれた。

白髪神社の御神木は樹齢600年ほど、今まで何十回もの落雷を受けているそうだ。

 

御神木を見上げると木の幹同士がつながり、途中から二つに分かれ、上へ上へと伸びている。木肌は苔に覆われ、触れるとしっとり柔らか。苔と木肌の間をアリが動き、カナブンのような虫がゆっくりと歩みを進めている。

そのまま目を閉じた。

木肌の呼吸を感じる。頭上には蝉の鳴き声。山の水がかまちを流れる豊かな水音。頬を涼しい風が通り抜けていく。それまでざわざわとしていた胸のうちが、だんだんと鎮まっていくのが分かった。

この御神木は、この場所に立ちながら何を見てきたのだろうか。

そんなことを考えながら目を開けると、ふうーと深い息を吐いた自分に気付き、そのことに小さく驚いた。深い呼吸を意識したのは久しぶりだった。

ふと、来た道を見ると、しめ縄に結ばれた紙垂が揺れているのが見えた。そのもとには青々とした稲が広がっている。

 

宮元さんは言っていた。

「お白髪さまは見ていてくださっていますよ」。

来た時とは少し違う心持ちで白髪神社をあとにした。

 

 

輪抜けさま

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
山の手しごと

ハチク宅急便

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

帰宅して、うわっとのけぞった。玄関先に置かれていた何本ものハチクたち。こんなにたくさん、誰が置いてくれたのか。すぐにその人の顔が頭に浮んだ。

後でお礼の電話しようと思いつつ、このままでは食べられないハチクたちを、これからどう下処理するか?そのことに心を持っていかれる。ハチク宅急便が届くということは、これからやるべきことが新たに一つ加わったということである。

 

ハチクを茹でる

ハチクは、初春の孟宗竹や真竹に続き、今の季節に出てくる竹の一種。竹藪などに、まるでアスパラのようにニョキッと真っ直ぐ生えている。孟宗竹などと比べて苦味やアクが少なく、米ぬかを入れずに水だけで茹でることができる。

なんと言っても鮮度が命。放置しておくと周りに小さな虫がぶんぶん飛び始める。急がなくては!

(と言いながら…、この日は私のエネルギー切れ、茹でることができたのは次の日だった)

 

ハチクの先端のうねりは、美しさとちょっとした不気味さも感じ、いつもまじまじと見てしまう。ゴッホの晩年の作品「星月夜」に描かれている糸杉に似ている、と思うのですがどうでしょう?

 

包丁で真っ二つに割って、皮を剥ぐ。「丸ごと皮を剥ぐよりも、半分に割って剥いた方が簡単だよ」と近所のおばあちゃんに教えてもらってから、毎年こうしている。

 

皮と身の間に指を入れて、メリメリと剥ぐ。幾重にも重なる皮の内側の先端は柔らかく、下の方へいくにつれて固い。

 

ハチクの根元は、透き通るような若竹色。皮を剥いだハチクは大体大鍋ひとつ分で、ハチクの皮の量はその5倍ほどもあった。皮は裏の畑の隅へ運んだ。いつか土に還るだろう。

 

長いものは鍋に入る大きさに切り、水をたっぷり入れる。中火でコトコト一時間ほど茹でる。私はこの香りがたまらなく好きだ。5月、山のシイが一斉に花をつけた時に吹く、むんとした風の香りに似ていると思う。

 

一時間ほど茹でると根元の若竹色が消え、たまご色に。このまま冷めるまで置き、冷めたら水をかえて一晩水につけておく。

 

一晩水に浸けたハチクはこちら。たまらず一つ、かじってみると苦味もえぐみも全くない。あまりに美味しくてもう一つ食べた。

これで、ハチクのメンマや、ひき肉とハチクを甘辛く炒めたおかずを作りたい。数日、ハチク料理が続きそうだ。

山の恵みをわざわざ持ってきてくれる人がいることに、心から感謝。ありがとうございます!

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

デストロイヤー

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

近所の人が野菜の苗をくれるというので、その人の畑を訪れた。

その人の畑は、私の理想そのものだった。きゅうり、とうがらし、じゃがいも、ニンニク、ミニトマト、なす、山芋…。野菜たちが「この畑でよかった!」と言っているみたいに生き生きしていて、みずみずしい。それに比べて私の畑は…。苗を買って植えても、数日後には見るからに元気がなくなっていく。きっと明日は育っているはずと希望を持って見ても、期待通りになったためしがない。

 

「じゃがいもある?ちょっと待ってて」と、その人はしゃがみ込んでせっせと掘ってくれた。

じゃがいもの根元には籾殻が敷かれていた。こうしておくと草が生えにくいという。土は柔らかくふかふかで、スコップで一回、二回ほど掘っただけでじゃがいもの姿が見えてきた。

馴染み深い黄土色のじゃがいもと思いきや、出てきたのは赤紫色のじゃがいも。

「デストロイヤーっていう名前なのよ」

思わず聞き返した。

「デストロイヤー?!」

 

「昔、デストロイヤーっていう覆面したプロレスラーがいて、その顔に似てるからってその名前がついたんやって」

 

なんだかかわいい顔のデストロイヤー

プロレスラーの「ザ・デストロイヤー」は、1960年代から活躍した覆面レスラー。得意技は足4の字固めで、力道山やジャイアント馬場とも戦ったとのこと。

赤紫のじゃがいもが、写真で見た骨太な「ザ・デストロイヤー」さんの顔にしか見えなくなってきた。

 

デストロイヤーは、フライドポテトやコロッケにしていただいた。ねっとり、むっちり、とにかく甘い。塩味やソースと合わさると、その甘さが際立って手が止まらなかった。

デストロイヤーを、もういいというまで食べてみたい。

目指せ理想の畑。そのために、まずは基本の土づくりから始めようと思う。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
メディアとお手紙

アラスカからの手紙

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

富貴子さんから届いたカード。両方ともデナリが描かれている

ある日、編集部にエアメールが届きました。封筒にはAlaska という文字が。どなたからだろうと封を開けると、一枚の美しいカードが入っていました。富貴子ワリスさんという方からでした。

富貴子さんは「とさちょうものがたりZINE09」を手にし、読んだ感想を綴ってくださっていました。

 

とさちょうものがたりの雑誌09号を読ませていただきました。

私の親友で土佐町の立割に住んでいる上田千佳さんが送ってくれたのです。

私の叔父の筒井賀恒さんのお話が出ており、大変懐かしく思いました。

その昔、私は「伊野町清水川窪」というところから、深い植林の山道を歩いて芥川にいき、叔父の家で数日お世話になり、楽しい時をすごしました。

高峯神社にも参拝したことがあります。

そこに生きる人々のお話が思いやりある言葉で綴られて文章となり、心が打たれるものがありました。

いつの世にも人と人との心のつながりは大切なもの。一つ一つの物語は誠実に生きる人々の美しい姿であり、学ぶことも多くありました。

それぞれの物語は私たちの心の糧となります。

これからもとさちょうものがたりの出版が長く続きますよう応援しております。

富貴子 ワリス

 

一冊の「とさちょうものがたりZINE」が海を渡り、遠くアラスカまで届いた不思議を思います。

富貴子さんの元へ届いたのは、富貴子さんのご友人が土佐町にいて、本を封筒に入れ、切手を貼り、郵便局から送ってくださったからです。一冊の本は、私の知らないところでたくさんの人の手を介し、旅をしていました。そのことを思うと胸が震えます。

デナリ国立公園に聳えるデナリ(マッキンリー山)が描かれたカードは、自らの足元は常に広い世界と繋がっていることを思い出させてくれました。

調べてみると、デナリは北アメリカ大陸の最高峰。きっとアラスカの方たちにとって、デナリはいつも自分達を見守ってくれている、原風景のような存在なのかなと感じました。

いつかアラスカを訪れ、富貴子さんとお会いできたらと願っています。

 

富貴子さんにお返事を書き、記事として掲載することの許可をいただいています。

 

とさちょうものがたりZINE09が発刊です!

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

山の良心市

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

ゴールデンウィーク中のある日、土佐町から高知市へ向かっていると、山の道先に棒に結ばれたリボンが揺れているのが見えた。

新緑一色だった視界にピンクが加わると、視線はそちらに向かう。

そこには良心市があった。良心市は、手作りの棚に野菜や果物などが売られている無人販売所。販売している人はいないので、代金は置かれている箱や瓶の中に入れる。

台の上にはピンクの傘がさしてあって、「いらっしゃいませ」と呼びかけてくれているかのよう。吸い寄せられるように市の前に立つと、いたどりと茹でたけのこ、クレソンが並べられていた。

茎はまっすぐ、しなやかないたどり。いたどりは収穫した次の日には茎がシナッとしてくるので、これはついさっき収穫されたばかりなのだとわかる。隣には、傷まないよう、発泡スチロールの中に入った柔らかな茹でたけのこ。そして、きれいな水が流れる場所で育つクレソンが小さな花束のように並べられている。

丁寧に束ねられた結び目に心を掴まれ、私はいたどりを買った。娘が瓶のふたをあけ、100円を入れるとチャリンと音がした。いたどりを抱きかかえ、掲げ見せてくれた娘の姿を見ながら、日々の道の途中でこのような買い物ができる楽しさと幸運を忘れないでいてほしいと願った。

数日後、良心市の前を通ると傘の代わりに鯉のぼりが立っていた。5月の今日という日が、ちょっと特別な日に思えた。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
山の手しごと

桜の塩漬け

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町の青木幹勇記念館に育つ八重桜が、今年も見事な桃色の花を咲かせました。

「何人かの人が、桜の花を塩漬けにしたいからって取りにきたよ」

記念館の田岡三代さんがそう話してくれました。

「桜の塩漬け」と聞いてまず思い浮かぶのは、あんぱんの真ん中に乗っている桜の塩漬け。なんと、お茶にもできるとのこと。お祝いの時に飲み、「桜湯」と呼ばれているそうです。

これは、ぜひ作ってみたい!

次の日の天気予報は雨、今日取らないと散ってしまうのは確実です。ということで、急遽、桜の花の収穫をしました。

 

目の前の花は満開!本当は五〜七分咲きの時に塩漬けにすると良いそうですが、これで作ってみましょう。木に登って摘んでいたら、記念館のお客さまが一緒に摘んでくれました。

 

桜の塩漬けの作り方

桜の塩漬けの材料は、桜、塩、酢の3つです。

摘んだ桜は、なるべく花びらが散らないよう、そっと水洗いして水を切ります。(手で絞らないように)

 

水切りした桜に、桜の量の半分くらいの塩をまぶします。ボウルをそっと揺らして、全体に塩が行き渡るようにします。30分程すると水が出てくるので、その水を捨て、また塩をまぶします。

 

しばらくすると、また水が出てくるので水を捨てます。

今度は、桜と同じ分量の塩をまぶし、酢を50mlほど加えます。(すみません、かなり適当です…)

バットを揺らして全体に行き渡るようにします。

 

密封できる袋に入れて、涼しいところへ置きます。時々ひっくり返したり、出てきた水分が全体にいくよう馴染ませます。

 

こちらは、塩漬けしてから1週間経ったもの。ピンク色が鮮やか!塩漬けすることで、香り高い桜へ変化します。

 

気持ちの良い風が吹く天気の良い日に干します。一つずつ広げながら干すのは少し大変ですが、とにかく香りが素晴らしいので頑張れます。

 

干した後ふと思いついて、袋の底に残った水分をビンへ、水分を吸ってどろりとした塩はバットへと分けました。

ビンに入れた水分は、勝手に「桜水」と呼ぶことにします。緑茶に少し加えてみたら、何とも上品なお茶になりました。

 

バットに広げた塩は、1日干したら水分が抜け、桜色の塩に。まるで満開の桜の色のよう。こちらは「桜塩」と名付けました。この塩を少し手に広げ、塩むすびならぬ「桜塩むすび」を握ってみたら、ほんのり桜の香りが。お花見をしているような気持ちになれます。

 

干した桜は、瓶などに入れて保存します。

友人は塩抜きした桜を刻み、イタドリも加えて混ぜご飯にするとのこと。こちらもぜひ試してみたいです。

 

春の桜を一年中楽しめる、桜の塩漬け。塩漬けすることでできる副産物の「桜水」と「桜塩」もうれしい。

おにぎり、お茶、混ぜご飯、パンやお菓子…。これから、色々と活躍してくれそうです。

毎日をちょこっと楽しくしてくれるものが、またひとつ増えました。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

苗床づくり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町のあちこちで「苗床」の準備が始まった。

「苗床」は「なえどこ」ではなく、「のうどこ」と皆は言う。
この時期に顔を合わせると、大抵の人は「のうどこもやらんといかんし、山菜も取らんといかん。忙しい忙しい!」。そう言って足早に自分の仕事へと向かう。

「苗床」は苗の床、すなわち苗の赤ちゃんを育てるベットのこと。そのベッドに種籾をまいたトレーを並べ、保温のためシートをかける。お米を作っている友人によると、大体4〜5日後にシートを少しめくり、芽が1センチ位に生え揃っていたらシートを剥がすそうだ。そして、そのまま田植えにふさわしい大きさの苗になるまで育てる。

長年の経験と知識が問われるこの作業は、その年のお米の出来を左右すると言われるほど重要な仕事だ。

 

4月22日、午前9時。空気はまだひんやりとしているが、雲の間から差し込む光が今日は暑くなると教えてくれている。

麦わら帽子を被った人が、苗床の準備をしていた。整えられた土の床には肥料が撒かれ、周りは水で囲まれている。その人は、柄の先にローラーのついた道具を水にじゃぶんと浸し、勢いそのまま床の上をコロコロと動かしていた。

ジャブン、ジャブン。

土と水が重なり合い、床は水をたっぷり含んでいく。

「こうやって土に水分がいくようにするのよ」

その人は手を休め、教えてくれた。

あたりは土と水が混じった、むんとしたにおいで満ちている。あちこちでカエルの鳴き声が響き、空にはトンビがくるくると舞っていた。

ジャブン、ジャブン。

その人はまた田と向き合い、床を整え始めた。

毎年繰り返されてきたこの営みが、この土地を支えている。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
とさちょうものづくり

【土佐町の絵本】資料集め④

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。

絵を描くために必要なことはいくつもありますが、その内のひとつは「資料を集めること」。

土佐町の絵本には、宮古野地区で行われる行事「虫送り」の場面が出てきます。土佐町の伝統行事の一つで、その絵を描いてもらうためには必要な資料がいくつもあります。

ほら貝や太鼓を持った人たちがつくる行列の並び方、田んぼの畦に立てる「五色の旗」の意味については、前回の記事「資料集め③」でお伝えしました。

今回は、「五色の旗」の元に置かれる「お供え物」についてお伝えします。

虫送りのお供え物

この写真は、ある年の虫送りの日、田んぼの畦に置かれていたお供え物です。

お供え物は、柿の葉の上に置かれたみかんとしば餅。他にも、柿の葉とお菓子、お米を供えている場所もありました。

柿の葉など、各場所に共通して置かれているものもあり、「お供え物のひとつひとつは、一体何を意味しているのだろう?」という疑問が新たに生まれました。

編集部は再び、「五色の旗」についての話を伺った宮元千郷さんの元へ伺いました。宮元さんは、宮古野にある白髪神社・第41代目の宮司さんです。

 

お供え物の意味

宮元さんによると、お供え物はそれぞれの場所や家によって違うのだそうです。「何をお供えしても、それは祈りのかたち。何が正しくて、何が間違いということではない」と話してくれました。

でも、基本となるお供え物の形はあるとのこと。それぞれの意味を教えてくださいました。

柿の葉

上の絵が基本のかたちです。
まずは「五色の旗」の元に立てられている「柿の葉」について。

「田んぼの畦によく柿の木が植えられていますね。それはなぜだかわかりますか?」

宮元さんにそう聞かれ、そういえば宮古野地区に限らず、土佐町のあちこちの田んぼの畦に柿の木があるな…、と思い当たりました。

「柿渋というものがあるでしょう?渋柿を発酵させて作るもので、防虫作用がある。昔から、漆の下塗りや衣服を染めたりと使われてきたものです。田んぼの畦に柿の木があると、田んぼに落ちた柿が柿渋となって土に染み込む。柿渋の染み込んだ土には、畦に穴を開けるオケラが潜らなくなる、そう言われていた。だから皆、田んぼの畦に柿を植えたんです」

オケラは、地中に穴を掘って生活しているバッタの仲間です。畦に穴が開くと水が漏れて米が育たない。畦に穴を開けるオケラは、人間にとって厄介な生き物だったのでしょう。

昔は農薬なんてありません。そのオケラを何とか追い出したい。その一心で考えた策だったのかもしれません。

 

栗の葉

「栗には、あのチクチクしたイガグリがあるでしょう?あのイガグリが田んぼに落ちて、畦に穴を開けるモグラに当たりますように、モグラがいなくなりますように。そんな願いが込められているんです」

と宮元さん。

土の上にちょうど顔を出したモグラに、ちょうどイガグリが落ちて、「イタタタ…」。

…なんて漫画のようですが、お米を作る人の苦労や願いが痛いほど伝わってきます。

田んぼの畦を守ること。それは稲を育てる水を守ることであり、すなわち米の実りを守ることでもあったのです。それがどんなに大切なことだったか。今のように機械も農薬もない、人間の力だけで何とかしないといけなかった時代、藁にも縋る気持ちだったことでしょう。

「なんとかこの一年の実りを得て、皆が食べていけますように。生きられますように」

栗の葉も柿の葉も、その時代の人々の切なる願いそのものです。

 

お盆の上のお供え

その柿と栗の元には、丸いお盆に載せたお米、御神酒、しば餅が置かれています。

なぜ、この3つをお供えするのでしょうか?

 

・お米

現在は白米を供えることが多いそうですが、以前は種籾や黒米を供えていたそうです。

「これはお米の種を意味するものです。どうか良いお米をください、という祈りなんです」

と宮元さんは教えてくれました。

なるほど!

・しば餅

しば餅は、サルトリイバラの葉(しばの葉)でお餅を挟んで蒸したものです。この辺りでは、産直市やスーパーでよく売っています。

餅はお米の収穫があって初めてできるもの。逆を言えば、お米の収穫がないとお餅はできない。だから、しば餅は「収穫」の象徴なのです。

「『どうか、今年の収穫を授けてください』。お米を作る人々の願いが込められているんですよ」

と宮元さん。

なるほど、なるほど!

 

・御神酒

お酒もお米があるからできるものです。しば餅と同様、お米がないとお酒もできない。だから御神酒を供えることで、今年の実りを祈る。

御神酒、お米、しば餅。全てはお米があるからこそできるものです。

「全てのものに、その時代の人々の願いや祈りの心がつまっているのです」

宮元さんはそう話してくださいました。

お米があれば。
お米さえあれば。
生きていける。
生きたい。

この地を耕し続けてきた人たちの声がこだまのように響いてきます。

 

宮元さんは何度も「祈り」「願い」という言葉を口にしました。

当時の人々は、何に向かって祈っていたのでしょう?自然に対してでしょうか?それとも、何かの神さまに対してでしょうか?

 

次の記事ではその「祈り」について、宮元さんに伺ったお話をお伝えしたいと思います。

 

宮元千郷 (宮古野)

 

【土佐町の絵本】資料集め③

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone