笹のいえ

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なんでー?

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末っ子(二歳半)が「なぜなぜ時期」に突入し、もう数週間になる。一般的には二歳から六歳に起こる行動で、人生で一番好奇心旺盛な期間であるらしい。

僕はこれまで四人分の体験があるが、期間や頻度、質問の内容がそれぞれの子によって違うのが面白い。

 

例えば、ある日の午前中、母屋での会話。

末っ子「なんで、にいにいとねえねおらんがー?」

(どうしてお兄ちゃんとお姉ちゃん(家に)いないの?)

僕「学校と保育園に行ってるよ」

末っ子「なんでー?」

僕「そこで、お勉強したり、運動したり、お友達と遊んだりするんだよ」

末っ子「なんでー?」

僕「うーん、なんでだろうね。行っても行かなくてもいいと思うけど」

末っ子「なんでー?」

僕「うーん、それは、、、」

 

いつも僕が答えに困って黙ってしまうか、適当にお茶を濁すかして会話が終わったり、次の話題に移ったりする。納得のいく回答が得られなくても、彼女はさほど気にしていないようで、別の遊びに夢中になってたりする。僕はやれやれと自分の仕事に戻る。

二歳児に対して、これぞ名答!という返答ができず、悶々とすることもあるが、彼女の好奇心が萎んでしまわないようにできるだけ真摯に、向かい合っておしゃべりしたいと思ってる。ただ、多くの場面において、たまたま忙しいタイミングだったり、他の話の途中だったりして、「ちょっと待ってて!」と彼女を置いてけぼりにしてしまうこともしばしば。後になっていつも反省する。

そんな頼りない父ちゃんを見限ってか、最近の彼女はひとり遊びをする時間が増えた。

おもちゃや人形を両手に持ち、それぞれの役になりきって、お話している。親バカながら、とても可愛い。

 

写真:なんとも映えない構図で申し訳ないが、飾らない僕らの暮らしの一コマ、ということでご容赦いただきたい。洗濯物の前でぶどうを頬張る下の三人。普段しょっちゅう喧嘩するが、口に美味しいものが入っているときは物静かで、極めて友好的である。

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笹のいえ

夏休みと親ばなれ

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小笠原に住む先輩が笹に遊びに来たとき、「今度はうちにおいで」と長女長男を誘ってくれた。これは良い機会と、当の本人たちが返事をする前に、僕は「行きます!」と言っていた。そんなわけで、長女と長男と付き添いの友人が、早めの夏休みをスタートさせて、小笠原村父島へ滞在することになった。

高知から小笠原へ行くには、なかなかの長旅となる。

夜8時過ぎ高知駅で深夜バスに乗り込み、翌朝に東京八重洲着。そこから電車で浜松町に移動し、11時に出港するおがさわら丸に乗船する。さらに24時間、南へ南へ船を進め、やっと父島に到着する。家を出発してから約41時間、移動距離1,800キロを経て、やっと現地に着く。交通網の発達した現代で、世界のどんな場所よりも遠い場所のひとつだろう。でもここは東京都。走る車は、品川ナンバーだ。

父島は以前僕が数年間暮らしていたところで、奥さんと出合った思い出深い場所でもある。僕たちの第二の故郷だ。その島で自分の子どもたちがどんな経験をしてくるのか、お土産話をとても楽しみにしてる。

 

一方、留守番組の五名は、上のふたりが不在なことで、いろいろ気づきがありそうだ。

長男長女には洗濯物の片付けやお風呂や部屋の掃除、食器洗いなどを担当してもらっていたが、これを僕ら夫婦でこなすことになる。これが地味に時間を取られて、ふたりが家庭において大切な「働き手」であることを身をもって感じてる。

一番大きな変化となるのは、次男だろう。

お姉ちゃんお兄ちゃんがいるときは、三番目として、のほほんとしていたが、突如としてそうはいかなくなった。

母ちゃん父ちゃんが家事や下の子たちにかかりきりになるわけだから、以前にも増して「自分のことは自分で」やらなければならなくなった。親から頼まれごとが多くなり、下の子たちからはあれしてよこれやってよとリクエストが飛んでくる。普段からマイペースでのんびり屋、小学校二年生になってもまだ幼さが残る次男の頭の中は、きっとこんがらがっているに違いない。側から見ても大変そうだと思うが、この試練?によって、彼の成長スピードが加速しているように思える。

その下の次女三女も、頼れるふたりがいないことで、何かを感じているように見える。しきりに「いつ帰ってくるの?」と聞いてくる。滞在先の友人からスマホに送られてくる写真や動画を一緒に見ながら、早く会いたいとせがんでくる。

あるとき奥さんと、子どもが三人のときってこんな感じだったかねーと思い出話。あの頃は子育て大変だと思ってたけど、三人でも五人でもやっぱ相変わらず大変だね、と笑い合う。

これまでは家族全員がひとつの単位だったけれど、子どもたちが大きくなるにつれ、今回のような「別行動」も増えるだろう。

もうはじまっている子どもたちの「親離れ」を、楽しみながら見守ることにしよう。

 

 

写真:小学校行きのスクールバスが来るバス停まで歩いて二三分だが、ひとり行くのはまだ不安とのことで、僕か妻に付き添ってもらう次男。彼の「親ばなれ」はもう少し先みたいだ。バスを待っている間、彼と二人きりのおしゃべりタイムは、大家族では貴重なひとときだ。この日は、前日に捕まえたカミキリムシをクラスメイトに見せると虫かごを持って行った。

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ミツバチ時間 寒露〜冬

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続き

 

話は前後するが、僕はスズメバチの来襲の二週間ほど前に蜂蜜を収穫(採蜜)していた。

ミツバチたちが巣箱内に蓄えた蜜は、冬の間の貴重な食事となる。蜜が足りないときは、人が砂糖を水で溶かしたものを与える。給餌が十分でないと、群れが飢餓に陥り、全滅する恐れがある。分蜂したその年は蜜量やミツバチの数が少ないことがあるので、そんな状況では採蜜せず、越冬できる糖を確保しておくが必要だ。

僕の巣箱は五段まで成長し、蜂の数も多く、活発で、多少採蜜しても問題ないと考えた。家族からの期待もあった。
ある日の午後、上から二段分、パン切り包丁で巣箱を切り離してみた。巣房の断面は等しく並んでいて、数学的だった。房内は蜜で満たされ、傾いた陽の光が反射してキラキラと輝いていた。小さな虫たちがこれほど正確かつ美しく作り上げた芸術を、驚きと感謝をもってしばらく観察した。
台所に移動して、巣を取り出し、中身をボールで受ける。黄金色の蜂蜜が自重で滴り落ちてくる。子どもたちの手が伸び、指で蜜をすくい、口に入れた。しばらくの沈黙のあと、「おいしい!」「あまい!」と口々に言い合う。僕もひと舐め。ただ甘いだけでなく、いろんな味が凝縮していると感じる。ミツバチとこの環境がつくった、オンリーワンの蜂蜜だ。

働き蜂たちが毎日何往復もしてせっせと集めてくれた自然の恵みをしばし味わう。「いまだけハチミツ食べ放題」な状況は、子どもたちにとっておとぎ話みたいなひとときだっただろう。まだ箱内にいたミツバチに刺されてしまった子もいたが、目の前にあるたくさんの蜂蜜に集中していて、痛みも気にならない様子だった。充分堪能してから、巣に重石をして数日放置。採れた蜜は全部で一升くらいだった。小瓶に分けて保存する。蜜蝋は一旦冷凍。後日湯煎して不純物を取り除き、ミツロウラップや保湿クリームなど自作する予定だ。

さて、その後さらに季節が巡り、冬がやってきた。越冬対策として、巣箱を麻袋で覆い、給餌を定期的に行った。しかし、寒さが厳しくなるにつれ、群れの元気が無くなっているようだった。連日気温は氷点下近くまで下がり、寒い冬となった。

ニホンミツバチはこの地域に昔から生存していたわけだから、人の助けを借りなくとも冬を越せるはずだ。しかし、全ての群れがそうであるとは限らないし、別の原因でその寒さに耐えられないこともあるだろう。毎日数匹の蜂たちの死骸をみることになった。寒さは続き、蜂たちは死に続ける。給餌の頻度を上げるなどして、対策してみるがあまり効果は感じられない。

負の連鎖を断ち切ろうと、僕ができることは実行した。あとは早く春が来るようにと祈るくらいしかなかった。しかしその想いが通じることはなく、一月末にやってきた大寒波のあと、群れが全滅したことを確認した。巣を取り出してみると、最後まで残った働き蜂たちは、巣房に頭を突っ込んでそのままの姿勢で冷たくなっていた。身を寄せる仲間が居なくなり、ついに自らのいのちも凍らせてしまった。その直前に彼らはどう思っていたのだろうか。また、女王蜂の姿は見つけられず、その辺も理由のひとつかもしれない。

夏の大量死やスズメバチの攻撃、採蜜過多、巣箱の設置位置など原因として考えられることはいくつかある。特に問題がなくとも越冬できない群れもいるらしい。

僕にとってはじめての養蜂は残念な結果となったが、いまでも羽音がするとその姿を探してしまうことがある。ミツバチたちのいる時間は、豊かで学び多き日々だった。

 

お終い

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笹のいえ

ミツバチ時間 夏〜初秋

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前回

 

7月下旬のある日、掃除のために底板を引っ張り出すと、板の上で数匹のミツバチが死んでいた。周辺を探すと、巣の周辺あちこちに亡骸が落ちていた。5月にやって来た群れは順調に成長し、蜂は数千匹に増えていた。その中の数えるほどが死んでいても不思議ではない、と思っていた。しかし、それから毎日死んだ蜂を見つけることになる。死んだ個体のほとんどは、舌を出したまま絶命していた。

問題を感じた僕は、蜂を飼っている友人に原因を訊いた。

彼の見解は、農薬が原因ではないかとのことだった。

蜂たちが、どのくらい遠くまで飛んで、どこの花から蜜を集めて来るのか分からない。死因がなんなのかも明確に判断する手立てもない。しかし雑草の成長がピークを迎えているこの時期、もしかすると、どこかで撒かれた除草剤などが関係している可能性はある。薬が掛かってしまった彼らが、這う這うの体で巣まで戻ってきて、命を落としたのかもしれなかった。もちろん、農薬を撒く意味も理由も理解しているつもりだ。しかし次々と消えていく小さないのちのことを考えると、なんとも切なく、やるせ無い気持ちが湧き上がる。さりとて、僕は蜂たちに「蜜集めをやめて」とも「別の場所に行っておいで」とも語れない。無力さを痛感することになった。

それから一週間ほど、日々蜂たちは死に続けた。数十匹を数える日もあった。
しかし雨が降った日を境にその数はグンと減り、ミツバチたちは何事もなかったようにまた淡々と蜜や花粉を運ぶようになった。

その後巣はさらに大きくなり、重ねた箱は五段に達した。全体の重さは15kgほどになっていたと思う。

 

季節は進んで、10月。

今度はスズメバチが巣箱の周りを偵察する姿を見るようになった。

彼らはミツバチの巣に侵入し、蜂蜜や幼虫を食料として利用する。
だからこの厄介な天敵が巣門に近づくと、ミツバチたちは羽を震わせ警戒した。
ある日、体格で勝るスズメバチの数匹が、その強力な顎でついに巣門の木を齧りだした。入り口を広げて押し入ろうとしている。防戦一方のニホンミツバチは、なす術がないようで、周りをブンブンと飛んでいる。
このままスズメバチが箱内に入ると、ミツバチの群れが巣を放棄して逃げ出してしまうことがある。僕はネットを検索したり、友人や先輩に話を聞いたりして、対策を考えた。巣門前に石を置いてスズメバチが近づけないようにし、ネズミ捕獲用の粘着シートを箱の屋根に置いた。一匹のスズメバチがシートに引っ付くと、仲間を呼ぶ匂いを出す。その匂いに寄ってきた別の個体もシートにくっついてしまうという、彼らの習性を利用した罠だ。日を追うごとにくっついているスズメバチが増え、そのうち諦めたのか、姿を見なくなった。巣箱への粘着シートの上でもがいているスズメバチたちに対して申し訳なく思ったが、巣を守るために必要だった。

 

自然の厳しさを知った夏が過ぎ、そしてついに採蜜の秋を迎える。

 

続く

 

写真:巣門にある石の間には、小柄なニホンミツバチが通れるくらいの空間を作っておく。屋根の粘着シートは強力でスズメバチがよく捕れたが、野鳥がくっついてしまったこともあり、設置場所に工夫が必要だ。

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笹のいえ

ミツバチ時間 小満

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続き

 

ミツバチたちの住処となっている巣箱には、いろいろな形状があるが、僕は重箱式と呼ばれるタイプにした。中の巣が大きくなるにつれて、重箱を追加していく。採蜜時には蜂へのストレスが少ないとも言われる。

図にすると、こんな感じ↓

 

/屋根\

―スノコ―

|重箱|

|重箱|

|巣門|

―床板―

[土台]

 

蜂が出入りするところが巣門。その下にある床板は引き出して外せるようになっていて、掃除がしやすい構造になっている。土台にはコンクリート升を使用。

巣箱の設置に際して、どこに据えるかが大切だ。朝日が当たりやすく、西日どきには日影になる場所。夏暑すぎず、冬寒すぎない。ミツバチたちにとってちょうどよい塩梅というのはどこだろう。群れを分けてくれた方は「ミツバチの気持ちになってみる」とおっしゃっていた。彼らの立場になって、少しでも暮らしやすいようにと工夫を試みる。床板のゴミを払ったり、周囲の草を刈ってみたり。ふと、僕がミツバチを飼っているのか、ミツバチが僕を働かせているのか分からなくなってくる。

蜂と言葉が交わせたら良いのにな、と子どもみたいに考える場面もしばしばだ。

 

まだ続く

 

写真:巣門の前に落ちていた花粉団子。ミツバチたちはお団子状の花粉を両後ろ足に付けて巣に持ち帰ることがあるが、なにかの拍子で落ちてしまったものだろう。よく見ると、団子によって微妙に色が異なる。訪れた花の種類が違うのだと思う。このお団子を奥さんがひょいと口に放り込んで、「全然味が無い!」って驚いてた。それを隣で見てた僕は、彼女の食いしん坊ぶりに驚いた。

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笹のいえ

ミツバチ時間 立夏

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そんなわけではじまった、僕たち家族とミツバチたちの新しい暮らし。

 

ミツバチが生活の身近に居るようになって、僕の朝のルーティンがひとつ増えた。

それは、巣箱をチェックすること。

朝日が巣箱に当たる時間になると、巣門からミツバチが出てきては飛んでいく。

戻ってきた蜂はお腹いっぱい蜜を集めて巣箱に戻ってくる。たまに花粉を団子状にして後ろ両足に付けて帰ってくる個体もいる。

僕は、ほぼ毎日巣箱に通った。

巣箱に近づいたら、手袋した指をゆっくりと巣門に近づけて「おはよう」と挨拶する。まずは僕の存在を蜂たちに示すためだ。「怖くないよ、仲間だよ」と。それから箱の隣に座り、しばらく彼らの動きを観察するのが日課となった。週に一度くらい床板を取り出して掃除する。板の上には蜜蝋のカスなどのゴミが落ちているので、小箒でさっと払う。またスマホのカメラで箱内部の写真や動画を撮って、行動や様子を確認する。これらの作業は慌てず、落ち着いてすることを意識する。世話する人の気持ちが急いていると、それがミツバチたちに伝わり、彼らを刺激、興奮させてしまうかもしれないからだ。

ミツバチたちは日中、巣門を出たり入ったりしてる。単調な行動ではあるが、これが観ていて飽きない。自分でも意外な気分だった。彼らに対する興味の理由を、自問してもうまく説明できない。近くにいれば刺される可能性はゼロではないし、僕がじっと観ていたところで蜂たちが頑張って蜜を多く運ぶわけでもない。でも、日一日と彼らに愛着が湧くようになる。気がつくと彼らに話しかけていたりする。

養蜂家は、ミツバチたちをまるで家族の一員のように扱っていることが多い。蜂を飼う前はそんな気持ちがよく理解できなかった。蜂は「単なる昆虫の一種」と思っていたが、養蜂をはじめたいまは認識がガラリと変わってしまった。一匹一匹が可愛い、というより、群全体に彼らの意思を感じ取ることができるのが面白い。

 

ある日、母屋の外で家事をしていた奥さんが、ニホンミツバチを見つけて、

「あ、うちのミツバチ!」

と言った。僕は「名札が付いてるわけでもないのに、どうして分かるのさ」と笑った。

でも、きっと口をついて出てきたのであろう、彼女のその言葉は、ミツバチの存在が確かに僕たちの日常に影響を与えていることを示している。

ミツバチと暮らすことで、彼らの生態を知り、周りの環境のことが気になり、自然の中でどう暮らしていくかのヒントになる。この小さな生き物たちに、僕らが教わることは多い。

 

続く

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笹のいえ

花粉症が気づかせてくれること

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花粉が飛び交う時期がやってきた。

春には申し訳ないけれど、杉花粉症の僕にとって、気が滅入る季節だ。

 

見ると、向かいの山々には杉が立ち並び、風が吹くたびに黄色い花粉が舞っている。

年々、新たな方法を試してはいるが、僕の症状に対する効果的な対処法にはまだ出会っていない。

 

今年は、特に花粉の量が多いらしい。

それも影響してか、例年より目の痒みや鼻水の症状が酷い。スマホやPCのスクリーンを見ていると、目が充血して、痒みやゴロゴロ感が増してくる。そこを無理して続けていると、状態は益々悪化し、不快感で目を開けていられなくなるほどだ。

こうなると作業の続行は不可能。スマホをテーブルに置いて、ラップトップを閉じ、目も閉じてしばらくジッとする。

すると真っ暗になった僕の視界の代わりに、周囲の音が耳に入ってくる。

 

山から聞こえる鳥たちの鳴き声

水瓶に注がれる山水の音

台所からは包丁のリズミカルな響き

末娘が人形とおしゃべりしている可愛いらしい声

 

それらは色や温度すらも感じさせる美しい音色だった。

 

様々な音を堪能して、そっとまぶたを開ける。

暗闇から解放された目に飛び込んできたのは、どこまでも青い空と緑が芽吹きはじめた山、そして僕たちの暮らしだった。

 

スマホやPCでインターネットを操作して、遠方で起こる出来事に心と時間を消費し、溢れる情報や他人の意見に引っ張られる。そんなことに慣れてしまうと、一番大事なはずの身の回りの日常が見えづらくなっていく。

 

僕にとって本当に大切なものは、なんだ?

花粉症が、問いかけてくれた。

そう考えれば、これからもこの症状とうまく付き合っていける(かもしれない)。

 

 

読むだけで目が痒くなりそうな過去記事はこちら↓

花粉症と少食

花粉症

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笹のいえ

ミツバチ時間 春 その二

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前回からの続き。

 

巣箱に近づいてみると側面にテープが貼ってあり、そこには「第一分 3000」とマジックで書いてある。

 

え、三千(匹)?

 

この疑問が解決より先に、「運ぶのには、こうするのが一番安全」と、飼い主さんは僕の軽トラの助手席に箱を置き、毛布で包んでシートベルトを掛けた。

 

え、助手席?

 

ありがとうございましたと頭を下げつつ、僕は内心かなりビビっていた。三千匹のミツバチとドライブという、人生でなかなかできない体験がはじまったからだ。

蜂たちを刺激しないよう、道路の段差に気をつけつつ、なるべく振動を与えないように、家まで超慎重に運転した。「車内で巣箱がひっくり返ったら」なんて想像しただけでも恐ろしすぎる。

気持ち的にも長い道のりだったが、なんとか無事に帰宅。準備しておいた台の上に巣箱をそっと設置し、深呼吸を一度して、巣門(出入口)を塞いでいた新聞紙を静かに除けた。蜂は昼行性なので、刺される心配はない。

作業を終えて、僕はぐったりと疲れていた。でも布団に入っても気分がまだ昂っていて、なかなか寝付けたかったのを覚えてる。

 

翌朝、いよいよミツバチとご対面の時間となった。

巣箱に近づくために、僕は上下レインコートを着て、頭にはヘルメット、顔まわりに防虫ネット、厚手のグローブを着用という、万全の格好をしていた。それを見た子どもたちは「とうちゃん、宇宙飛行士みたい」とからかったが、僕は蜂たちとの初対面を前に緊張していて、全然笑えなかった。

倉庫の裏に設置した箱のミツバチがどんな状態か不明だったので、子どもたちは連れずにひとりで行った。しかし、そこに蜂の姿はなかった。

夜の間に死んでしまったのか?と一瞬不安になったけど、巣箱に耳を近づけてみると、時折、ザザっ、ザザっと羽音がする。

ミツバチたちも新しい環境を感じ取り、警戒しているみたいだった。

「ここはどこなんだろう」「安全な場所なんだろうか」そんなふうに彼らの気持ちを想像したら、僕の肩の力が抜けた。一旦その場を去って、様子を見守ることにした。

数時間後、再び宇宙飛行士になった僕が現場に行ってみると、数匹のミツバチが巣から出ていて周辺を飛び回ってた。あるミツバチは巣箱を這い回り、またあるミツバチは巣門を行ったり来たりしてる。しばらく観察していると次々と蜂たちが外に出てきた。

柔らかな春の日差しに照らされる巣箱とその周りをクルクルと飛行するたくさんのミツバチたち。羽音がすぐ近くに聞こえては、遠ざかる。

その光景に少し興奮しながら、僕は、

 

「はじめまして。これからどうぞよろしくね」

 

と挨拶していた。

 

続く

 

写真:文中に登場した「ビビり宇宙飛行士」によるセルフィを晒します。絶対刺されたくないので、毎回できる限りの防備で臨む。

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笹のいえ

ミツバチ時間 春 その一

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去年の春から飼っていたミツバチの群れが、この冬を越せずに全滅した。

原因はいくつか考えられる。

秋の採蜜、スズメバチ襲来、厳冬の影響など。

どんな理由にせよ、飼い主である僕が死なせてしまったという反省と後悔をずっと引きずっている。でもそんなことを言っていても蜂たちが生き返るわけではないから、振り返ることで気持ちの変化を期待しつつ、記憶を辿ってみよう。

 

この地域で、養蜂は珍しいことではない。集落の道沿いには蜜堂と呼ばれる巣箱をよく見かけるし、そこからミツバチが盛んに出入りしている姿も観察できる。秋には彼らが集めた貴重な蜂蜜を頂戴することができて、うちもいつか自家製蜂蜜を採ってみたいなあと思い続けていた。

そんな願いが届いたのか、数ヶ月前に知り合いのツテからある養蜂家と繋がり、群れを分けていただく約束を取り付けた。

ニホンミツバチはある条件が整うと、群れが分かれ、先にいた女王蜂の群れが新居を見つけるために元の巣を離れ移動する。これを分蜂と言う。その群れを捕まえて用意した巣箱に誘導し、彼らがその箱を気に入れば、女王は新しい家族を増やし再び蜜を集めるようになる。

分蜂するのは基本的に春の間。しかし蜂たちがいつ行動するかはわからず、「そのときに連絡する」という手筈になっていた。とはいえ、分蜂しないこともあるし、せっかく箱に入っても逃げてしまうこともある。僕にとってはじめての体験であることもあって、そのへんの確率というか段取りというか塩梅というか、とにかく右も左も分からない。もらえたらラッキーと思いつつ、そのうちそんな約束のことも忘れてしまっていた。

しかしゴールデンウイーク最中のある晩、携帯が鳴り、「群れが入ったから取りに来るように」と知らせがあった。

通話を切った僕は躊躇していた。突然すぎて気持ちが準備できてなかったし、自分がミツバチたちの面倒を見られるのかどうか不安だった。「ください」と言っておいて、無責任な奴だと自分でも思う。

急いで車を走らせて現地に行ってみると、真っ暗な庭にぽつんと、出入口を塞がれた重箱式の巣箱が用意されていた。

 

 

続く

 

写真:初期の巣箱。巣箱にはいろいろな種類があるが、これは「重箱式」と呼ばれるスタイル。巣の大きさに合わせて、枠を足していく方式だ。この時点では二箱しかないが、この数ヶ月かけて五段まで成長した。

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笹のいえ

最後の舞

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今年ももう12分の1が終わろうとしていて、なんとなしに気が急く。しかし焦っていても、なにか変わるわけではないから、今年一年も相変わらず、僕は僕のペースで過ごすことになるだろう。

 

さて今回のお話は、去年12月神社の神祭で披露された「浦安の舞」のこと。

うちの長女は、対象となる小学三年生から習いはじめて、六年生の今回で最後の舞となった。

10月、舞の先生から練習開始の声が掛かる。地域のコミュニティーセンターでもある元小学校の一室で、週に一度19時半から一時間、一年ぶりの動作を再び身体に染み込ませる。別段踊りが得意でも興味があるわけでもない長女はこれまで渋々参加していたが、最後の参加を意識してか、今回は前向きに取り組んでいたように見えた。励まし合った仲間たちや辛抱強く指導してくださった舞の先生にも、お礼を申し上げたい。

練習を重ねて約二ヶ月後、本番の日を迎えた。

神社には祭りに参加する老若男女が集まり、舞がはじまるのを待っていた。

舞妓衣装を身に纏った五人の少女たちが会場に現れると、場の空気が変わり、辺りは静粛に包まれた。

スピーカから神楽が流れ、彼女たちは淡々と、ひとつひとつの動作を確認するかのように丁寧に踊りはじめた。それは神に捧げる舞として、相応しいほどの出来だった。

長女の踊る姿を目で追っていた僕は、ひとり胸があつくなっていた。

うちの第一子として生を受けて12年間、いろいろありながらも今日まで無事生きてくれたことに感謝した。そして、これからも僕のいのちある間は彼女を見守っていきたいと決意のような感情が湧いていた。

やがて曲が終り、会場からの拍手を背中に受けつつ、踊り手たちは舞台を降りた。

ほっとした表情で、他の踊り子たちとおしゃべりする長女。我が子が地域の一員としてしっかりと育っていると実感できたのは、親としてとても嬉しいことだった。

 

高齢少子化やマンパワー不足によって、昔からの神事やイベントの規模が縮小されたり、できなくなってしまうのは、仕方ないことかもしれない。そんな状況ではあっても、残っている行事を続けるのには、大きな意味を見て取ることができる。参加することで地域への愛着や絆を持てたり、世代を超えて関係を築けることはコミュニティの存続に関わる大切な場なのだから。

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