小学校の4年生か5年生の頃、アメゴ釣りに行き、瀬で釣っていた。
その時、対岸から伸びている柳の枝が邪魔で、瀬を渡ってナイフで切った。すると、
「柳を切ったらいかん、いかん」
川の上を通る道路から、声が降ってきた。見ると近所のおじさん・大崎清道さんだった。
“いかん、いかん”というように手を左右に振り、そして川を指さして、“そこへ行く”というしぐさをして下りてくると、
「柳の下はアメゴが隠れる所じゃきに、切ったらここから逃げて、釣れんようになるぞ」
と言った。
「テグスが柳に掛かって切れるきに」
と、柳を切った理由を言うと、
「柳をよけて放ればええ。貸してみ」
と私の釣竿を取り、それを振って餌を飛ばした。テグスがするすると伸び、餌がみごとに柳を避けて水面に落ちた。驚く私に、
「練習して、練習して、そうして慣れていくしかない。そうせざったらテグスを切らすだけじゃ。こっちへ来てみ」
と言われ、広い河原へ連れていかれた。そこで清道さんは目立つ色の石を1つ拾い、10メートルほど先に置いて、
「あの石を、餌を放り込む場所じゃと思うて、色々の角度から放り込んでみ」
と言って帰りかけたが足をとめて振り返り、
「帰ったら庭に茶碗を置いて、それを狙うてやったらええ」
と言ってくれた。
家に帰るとすぐ、欠けた古茶碗を探した。そしてその日からすぐ、庭で茶碗を狙って、上から、斜めから、横から竿を振った。
もちろん最初からうまくゆくはずもなく、餌代りの重りは茶碗の右や左や向うや手前に落ちた。
それでも毎日やっているうちに、重りがカチンと音をたてて茶碗に入る回数がふえていった。その音がすると、独りで手を叩いて喜んだ。
この練習は高校の頃まで、折りにふれてやった。練習という堅苦しい感じのものではなく、趣味を生かした遊びだった。
ただ、清道さんに言われて庭でやった頃は、懸命に取り組んでいた。これは本当に真面目な練習であった。その結果、柳などに引っかけてテグスを切らすことも減っていった。戦時中、戦後の物資不足の折りだっただけに、釣り具の損失が減ったことは嬉しかった。