ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。
絵を描くために必要なことはいくつもありますが、その内のひとつは「資料を集めること」。
土佐町の絵本には、宮古野地区で行われる行事「虫送り」の場面が出てきます。土佐町の伝統行事の一つで、その絵を描いてもらうためには必要な資料がいくつもあります。
ほら貝や太鼓を持った人たちがつくる行列の並び方、田んぼの畦に立てる「五色の旗」の意味については、前回の記事「資料集め③」でお伝えしました。
今回は、「五色の旗」の元に置かれる「お供え物」についてお伝えします。
虫送りのお供え物
この写真は、ある年の虫送りの日、田んぼの畦に置かれていたお供え物です。
お供え物は、柿の葉の上に置かれたみかんとしば餅。他にも、柿の葉とお菓子、お米を供えている場所もありました。
柿の葉など、各場所に共通して置かれているものもあり、「お供え物のひとつひとつは、一体何を意味しているのだろう?」という疑問が新たに生まれました。
編集部は再び、「五色の旗」についての話を伺った宮元千郷さんの元へ伺いました。宮元さんは、宮古野にある白髪神社・第41代目の宮司さんです。
お供え物の意味
宮元さんによると、お供え物はそれぞれの場所や家によって違うのだそうです。「何をお供えしても、それは祈りのかたち。何が正しくて、何が間違いということではない」と話してくれました。
でも、基本となるお供え物の形はあるとのこと。それぞれの意味を教えてくださいました。
柿の葉
上の絵が基本のかたちです。
まずは「五色の旗」の元に立てられている「柿の葉」について。
「田んぼの畦によく柿の木が植えられていますね。それはなぜだかわかりますか?」
宮元さんにそう聞かれ、そういえば宮古野地区に限らず、土佐町のあちこちの田んぼの畦に柿の木があるな…、と思い当たりました。
「柿渋というものがあるでしょう?渋柿を発酵させて作るもので、防虫作用がある。昔から、漆の下塗りや衣服を染めたりと使われてきたものです。田んぼの畦に柿の木があると、田んぼに落ちた柿が柿渋となって土に染み込む。柿渋の染み込んだ土には、畦に穴を開けるオケラが潜らなくなる、そう言われていた。だから皆、田んぼの畦に柿を植えたんです」
オケラは、地中に穴を掘って生活しているバッタの仲間です。畦に穴が開くと水が漏れて米が育たない。畦に穴を開けるオケラは、人間にとって厄介な生き物だったのでしょう。
昔は農薬なんてありません。そのオケラを何とか追い出したい。その一心で考えた策だったのかもしれません。
栗の葉
「栗には、あのチクチクしたイガグリがあるでしょう?あのイガグリが田んぼに落ちて、畦に穴を開けるモグラに当たりますように、モグラがいなくなりますように。そんな願いが込められているんです」
と宮元さん。
土の上にちょうど顔を出したモグラに、ちょうどイガグリが落ちて、「イタタタ…」。
…なんて漫画のようですが、お米を作る人の苦労や願いが痛いほど伝わってきます。
田んぼの畦を守ること。それは稲を育てる水を守ることであり、すなわち米の実りを守ることでもあったのです。それがどんなに大切なことだったか。今のように機械も農薬もない、人間の力だけで何とかしないといけなかった時代、藁にも縋る気持ちだったことでしょう。
「なんとかこの一年の実りを得て、皆が食べていけますように。生きられますように」
栗の葉も柿の葉も、その時代の人々の切なる願いそのものです。
お盆の上のお供え
その柿と栗の元には、丸いお盆に載せたお米、御神酒、しば餅が置かれています。
なぜ、この3つをお供えするのでしょうか?
・お米
現在は白米を供えることが多いそうですが、以前は種籾や黒米を供えていたそうです。
「これはお米の種を意味するものです。どうか良いお米をください、という祈りなんです」
と宮元さんは教えてくれました。
なるほど!
・しば餅
しば餅は、サルトリイバラの葉(しばの葉)でお餅を挟んで蒸したものです。この辺りでは、産直市やスーパーでよく売っています。
餅はお米の収穫があって初めてできるもの。逆を言えば、お米の収穫がないとお餅はできない。だから、しば餅は「収穫」の象徴なのです。
「『どうか、今年の収穫を授けてください』。お米を作る人々の願いが込められているんですよ」
と宮元さん。
なるほど、なるほど!
・御神酒
お酒もお米があるからできるものです。しば餅と同様、お米がないとお酒もできない。だから御神酒を供えることで、今年の実りを祈る。
御神酒、お米、しば餅。全てはお米があるからこそできるものです。
「全てのものに、その時代の人々の願いや祈りの心がつまっているのです」
宮元さんはそう話してくださいました。
お米があれば。
お米さえあれば。
生きていける。
生きたい。
この地を耕し続けてきた人たちの声がこだまのように響いてきます。
宮元さんは何度も「祈り」「願い」という言葉を口にしました。
当時の人々は、何に向かって祈っていたのでしょう?自然に対してでしょうか?それとも、何かの神さまに対してでしょうか?
次の記事ではその「祈り」について、宮元さんに伺ったお話をお伝えしたいと思います。