西石原の家に風を通したり、彼岸参りをしたり、シーズンにはイタドリや梅や柚子などを採りに帰る。
高知から正蓮寺に上り、土佐山に下りて工石山に上り、工石山トンネルを抜け、相川に下りて帰ることが多い。
その途中、相川の「高相橋」を渡る時に、必ずと言っていいほど思い出す人が居る。相川出身で、県議会議員だった近藤正弥さんである。近藤さんは大阪で吹田、東成の警察署長を歴任されたあと帰郷し、昭和22年(1947)から6期24年間、県議を務められた。高知から相川への県道の拡張整備も、近藤さんの功績が大きかったということを色んな人から聞いた。
思い出というのは約70年前の、私が中学、高校時代の話である。
春休みに時々、自転車で相川へアメゴ釣りに行った。途中で近藤さんに会うこともあったが、いつも笑顔で、
「どっさり釣れたらええねや」
と言ってくれた。
私の祖父は旧地蔵寺村の収入役をしていた関係から、近藤さんとは親しかった。西石原の自宅へも何度も見えていたので、私も早くから顔なじみになっていた。
高相橋の近くで釣っていると、近藤さんが、
「釣れるかや」
と、橋の上から声をかけてくれることがあったが、ある時、
「高知で菓子を買うてきたきに、食いながら釣れや」
と言って、菓子を投げ落としてくれた。
「ありがとうございます」
と、お礼を言いながら菓子を受け止めようとしたところ、菓子が風に煽られて、ポチャンと川に落ちて流された。すると橋の上から、
「流れたねや、ちょっと待ちよれ」
と、笑いを含んだ声が降ってきた。
余り待つこともなく、
「こんどは大丈夫じゃ、食いや」
という声と共に、たこ糸に結んだ菓子がゆらゆらと下りてきた。大きな声でお礼を言いながら、糸の結びをほどいた。
また、ある時は、
「これ、じいちゃんに渡してや」
と、糸に結んだ手紙が下りてきたりした。
そんなことが何度かあった。
私もアメゴがよく釣れた時は、橋まで上って行って、近藤さんに渡した。
渡るたびに懐かしい色々のことを、昨日のことのように思い出させてくれる橋である。