家族7人で暮らしてきた「笹のいえ」を、この春、僕たちは離れることになる。
この地に越してきたのは11年前。当時、僕たちは四人家族で、長女は三歳、長男は一歳になるかならないかというタイミングだった。縁もゆかりもない土地で、知り合いもいない。そんな中、最初の一年間は町営のアパートで暮らしながら、知り合った人や友人たちの手を借りて家の改修を進めた。ようやく電気工事が終わり、部屋に灯りがともった日、僕たちはここでの暮らしをスタートさせた。それから10年以上、この家とともに歩んできた。
ここに引っ越して来たとき、地域の人々にとって僕らは不思議な家族だったに違いない。関東からやって来た四人家族が、釜戸で調理し、五右衛門風呂を沸かす。会社に勤めるわけでもなく、農業を本業とするわけでもない。そんな僕たちを見守り、少しずつ距離を縮めてくれた地域の人々。今では「結(ゆい)」とも呼べるつながりがたくさんできた。
思い返せば、ここでは本当に多くの人に助けられた。玄関先に置かれたたくさんの野菜、台風で水が止まったとき大雨降るなか届けていただいたタンクいっぱいの水、「臼が欲しい」と言ったら数日後に家の前に置かれていたこともあった。こんなにも親切にしてもらって、僕たちは何を返せただろうか。はじめのうちはそれがもどかしくもあったが、やがて気づいた。「お返しはできるときにすればいいし、その人当人でなくても、別の誰かにできることをすればいい」。そう思えるようになって、肩の荷が下りたのを覚えている。こうした日々の積み重ねが、僕たちをこの地域に馴染ませてくれたのだと思う。
今回の引っ越しにはいくつかの理由がある。東京にいる年老いた両親のこと、子どもたちの成長と家族の新しいステージ、そして何より「家族が近くにいること」を大切にしたかったからだ。しかし、長年暮らしたこの土地を離れるのは、やはり後ろ髪を引かれる思いだ。
いま、引っ越しの荷造りをしながら驚いている。11年間で増えたものの多さに。頂き物もあれば、自分たちで増やしたものもある。それを今度は、使わなくなったものは必要な人へ譲り、それでも余れば処分していく。
持っていけるものなら持っていきたい、そう思うものがふたつある。
ひとつは「田畑の土」。ここで耕し続けた土は、僕好みの土になった。千葉でもこの続きをやれたら、、、そう願ってしまう。
もうひとつは友人や地域の方々との「信頼関係」。この土地で築いた絆は何ものにも代えがたい宝物だ。
田畑の「土」も「結」も、千葉ではまた一から築いていくことになる。時間をかけて、土地と人に寄り添いながら、また少しずつ。
なんとも後ろ向きな文章になってしまった。想いはまだこの地とともにあるのだから、仕方がない。しかし同時に、ここを離れることは、実は僕の想定範囲内だったとも言える。ここに来たように、いつかまたどこかへ行くことは、不思議ではなかった。
でもやっぱり、寂しいものは寂しいのだ。
後編に続く
写真:2015年撮影。米麹を仕込んでいるところ。みな幼くて、カワイイ。
自分を捨てて子供達を伸ばして‼️
雅信さん、コメントをありがとうございます。家族を持ちはじめて「親として何ができるか?」と考えるようになりました。自分を捨てる、までの覚悟はまだありませんが、僕の時間と心身を彼らのこれからのために使いたいと思います。
お久しぶりです。
千葉に戻るんですか?
最近志摩さんの大がっかりなDIY?TVERで見てます。千葉みたいなので。
五右衛門風呂見に行きたかったですが、とうとう叶わずでした。
でもまあ、それなりにネット光回線を今月で切り、失われた自分の人生や個人情報にさよならを言いました。
私にとってのマクロビってほとんど断食と治療だけど楽しいです。それをまとめようと思ってます。
恭子さん はい、千葉に行きます。ブラウンズフィールドまでは車で13分くらいの場所です。この家には普通の風呂があるのですが、五右衛門風呂を自作したいと思っています。機会があればぜひ見に来てください。情報が溢れている現代において、自分にあったものを適切に利用するスキルが必要だと感じています。上手に使って、人生を豊かにしたいです。