人口4000人弱の土佐町に来て、僕は剣道を始めた。最初は小学生の娘たちにと思ったのだが、せっかく見学したのにまったく興味を示さない娘らを見て、自分がやるしかないと腹を決めたのだ。
もともと剣道は僕にとって遠い存在ではなかった。中学校で教員をしていた時に僕が弟子入りした小関先生は、剣道を通して一流の人間を育てることに情熱を注いできた人だった。だから、 小関先生の剣道部を応援しに数多くの剣道大会に行ったし、彼の母校である埼玉大剣道部の寒稽古に、僕が顧問を務める野球部の生徒らを連れて見学に行ったことだってある。…でも、まさか43歳になって、自分が剣道を始めることになるとは。
土佐町で娘たちに剣道をやらせたいと思ったのは、ひとえに清賢(せいけん)先生との出会いがあったからだ。最初にお会いした時、なんだか小関先生と同じ匂いのする人だと思った。ああ剣道の匂いだったか、と当時は思っていたが、よくよく考えてみたら酒の匂いだったのかもしれない…。
いずれにせよ、土佐町中学校の体育の一環として剣道を教える清賢先生の授業を見て、それから少年剣道で清賢先生に剣道を教わった子どもらに会って、 この人に娘たちをあずけようと僕は決めた。共に生活し、血のつながった我が子を教育するのは本当に難しい。だから、一流の指導者を見つけ、その人に子どもを委ねる方が確実だ。
少年剣道に入部してまず驚いたのは、道着も防具も竹刀も全部無料で用意して頂いたことだ。もちろん卒部生のお古がほとんどだが、貸し出しされた物の中には、新品の面や小手もあった。そして、剣道7段を持つ先生が3人もいる超豪華な指導陣が、週3回も教えて下さる。それなのに月謝があるわけでもなく、指導者は無報酬、集めるのは1ヶ月500円の保護者会費のみ、と最初は意味がわからなかった。
2ヶ月後、その謎が解けた。土佐町少年剣道最大の収入源は、なんと草刈りだった。正確に言えば、道路の維持管理事業を年2回、県から受託していて、35万円ほどの活動費を稼いでいるのだ。都会だったらきっと笑い話だ。
草刈り当日。現役の生徒や親はもちろん、先生方や卒部生、そしてその親たちまでもが参加しているのには驚いた。中には、当日は都合がつかないと言って、前日に草刈りを進めておいてくれる親や卒部生までいた。「先生たちに世話になった」— たくさんの人々のそんな想いで支えられている土佐町少年剣道の一員になれたことを、僕は心から誇らしく思った。
(続く)