12月某日、僕らの住む地域の神社の大祭で、七五三を祝ってもらった。
次女・月詠(つきよみ)と三女・たねは、早朝から寝ぼけ眼のまま、事前に用意していたレンタル着物を着せてもらった。着付けはシネマが担当してくれ、同封されていた着方の説明書や着付け動画を見ながら、出発時間が迫る中、ぎりぎりまで時間を使って、なんとか仕上げてくれた。ふたりの着物や帯を微調整をしながら、何度も確認するシネマ。さすがである。
我が娘たちは、化粧も施された自分の顔を鏡に映しては嬉しそうにはしゃいでいて、いつもより少しだけ大人びたその様子に、「ふたりとも大きくなったね」と、夫婦で言い合う。
準備を済ませて神社へ向かうと、既に会場にいた関係者の方々に挨拶をしてから、七五三を祝う他の家族と一緒に本堂に招かれた。中では、宮司さんが神様に祝詞をあげてくださる。厳かな空気の中、月詠とたねは最初おとなしく座っていたものの、着物の帯や足袋が窮屈になったのか、そのうちそわそわし始めた。「あと少しだから」と耳元でそっと声をかけると、いっときは静かになるが、またすぐに身体をもぞもぞさせる。どうなることかと心配したが、最後に千歳飴を手渡されると、ふたりともすっかり機嫌を直し、なんとか大役を果たすことができた。
境内では、地域の人たちが焚き火に当たりながら世間話をしたり、お参りをしたりしていた。雪がちらつきそうな寒い日だったけれど、大人用の神輿や子ども用の小さな神輿が静かながらも力強く練り歩いた。小学生巫女による浦安の舞は、冷たい冬の空気に一層凛とした雰囲気を漂わせた。祭りの最後には恒例の餅投げがあり、月詠とたねも着物姿のまま地域の子どもたちに混ざり、投げられる餅やお菓子を夢中で拾い集めていた。係の人が餅を放るたび、人々の歓声や笑い声が大きく響いていた。
無事に祭りが終わり、家に戻ると、午後の日差しが母屋に柔らかく差し込んでいた。
「洋服に着替える前に写真を撮ろう」ということになり、家族全員で縁側に並んだ。付き添ってくれた友人がシャッターを押してくれる間、月詠は扇子を握った手で顔を隠し、たねは照れくさそうに笑っていた。しかし、ふたりともどこか誇らしげでもあった。
写真には、赤い寒椿や古びた家の土間や干しっぱなしの洗濯物、積まれた米袋までがそのまま写り込んでいる。雑然とした風景だけれど、ここの暮らしそのものが映っているようで、僕ららしくもある。
写真を撮り終えると、ふと11年前のことを思い出した。引っ越してきたばかりの頃、家族はまだ4人だった。それが今では7人。長女もいつの間にか14歳になり、僕自身も52歳。築90年だったこの家も、いまでは百年を超えている。僕らが過ごした日々もまた、これまでここに住んでいた家族の暮らしの続きとして、この家の記憶の中にそっと積み重なっていくのだろう。
そう思うと、今日という日もまた、この家の記憶のひとつに加わる気がして、胸の奥が少しじんわりとなる。
Photo by Shota