今は簡単に米が搗けるようになって姿を消したが、かつては山峡の村のあちこちに水車があった。それは生活に大変必要な役割を持っていた。
川のほとりの適当な場所に水車小屋を作り、近くの水を堰き止める。その堰を「車堰」といった。そこから小屋へ水路や樋で水を引き、小屋に付いた水車を回す。その水車の回転力が、小屋の中の杵を持ち上げて搗く。
水車は何戸かが共同で持ち、交代で使った。朝から翌朝まで使うのが普通だった。
小学生の頃から、祖母を手伝って、よく水車に行った。朝、玄米の入った米袋を、祖母の半分ぐらい背負って行き、夕方か翌朝、搗けた米を取りに行く。
時には夜になって、
「朝まで置いたら搗き過ぎるかもしれん。水路の水を半分ぐらいに減らしてきて」
と言われ、一人で提灯を持って水車小屋に行った。戦時中で懐中電灯などはなかった。提灯を持って一人で行くのが妙に楽しかったので、子どもが処理できる用件の時は、夜でも大体一人で行った。
提灯はろうそく一本の明かりだから、少し離れた場所は薄ぼんやりとしか見えない。
歩いて行く途中の岩や木などが、動物や人などに見えたりする。提灯を動かすと、それが微妙に変わるのが面白かった。その先は真っ暗だが、怖いとは思わなかった。
ある時は、歩く後ろの闇に青白く光るものが動いていた。動物の目だと思ったが、猪のように大きいものではなかった。
それが段々と近付いてきて、姿がぼんやりと見えるようになると、家からついてきた猫だった。淋しかったのか、私の足に身をすり寄せて鳴いた。抱き上げるとまた鳴いた。
水車小屋に入ると、ねずみの気配でも感じたのか元気に走り回ったが、ねずみは見えなかった。
蛍のシーズンには、提灯の灯を消してやると、幾つかの蛍が寄ってきて、目の前で舞ってくれた。
秋には、くつわ虫とすず虫がよく鳴いた。
くつわ虫は、提灯を近付けると一瞬鳴き止むが、またすぐに鳴いた。とまった葉をかすかに振動させて、ガチャガチャと賑やかに鳴いた。
くつわ虫と対照的なのが、すず虫である。
リーンと鳴く音はどこから来るのか判らず、提灯を突き出して探し回り、やっと石垣の中で鳴いているのを突き止めた。明かりが弱いので、姿は見えなかった。
そのため、ろうそくをはずして石垣に近付け、中を見るとすず虫がよく見えた。灯を逃げるように後ずさりしながらも、鳴き続けていた。限られた区画での幻想のようだった。
これよりも少し地味だが、こおろぎも鳴き続けていた。
冬には道端の雪が、提灯の明かりで薄黄色に変わったりした。
春にはふきのとうの影が、五重の塔みたいに見え、さらに提灯の位置をあちこち変えて、影が微妙に変化してゆくさまを楽しんだ。
このようにして水車への夜の行き帰りに、足をとめる楽しみが季節ごとにあった。
水車のきしむ音も、杵が米を搗くリズムのよい音も、山村での欠かせぬ生活音とでも言えるものだった。
それは相当な年数を経た今も、耳にこびりついている。
撮影協力:和田登美恵さん