9月6日から7日にかけて九州の西を通過した大型の台風10号は、数日前からネットニュースなどで「これまでに経験したことのないような災害が起こる恐れがある」として、繰り返し注意喚起していた。
僕らの住む高知県中央部は予報では暴風域から外れていたものの、発達しながら四国の西側を通ると予測されていて、しっかりとした養生が必要そうだった。
天気が崩れる前日から、家の周りにある飛ばされそうな物を片付け、雨樋や排水口を掃除した。大雨による山水の断水に備えて、お風呂やヤカンなどに水を貯め、普段は外にストックしてある薪と炭を数日分台所に移動させた。
台風が近づくにつれて、雲は吸い込まれるように北方向へ流れていく。雨がパラパラと降りはじめたところで、雨戸を閉めた。高知への影響はこの日の夜から朝に掛けて高まるという予報で、各市町村では避難所が開設され、警報などを発令していた。
寝るころには雨脚が強くなり、外でゴーゴーと鳴る風の音に、息子は少し興奮気味に「すごいね」と話していた。翌日は月曜日だったが、荒天のため、すでに休校が決まっている。
夜のあいだ吹き荒れる嵐に僕は何度も目を覚まし、何かの音を聞いては「あーあれが飛んだか、明日見つけられるかな」とぼんやり考えたりしていた。
翌朝、明るくなってからも相変わらず雨風は激しかった。
窓から外を見ると、いつもの風景とは何かが違う気がした。草木が雨が叩きつけられ風に翻弄されているから、だけではない。景色がなんかスッキリしてるな。それがどうしてかすぐには分からず、数秒考えてやっと気がついた。薪棚やアースキッチンの屋根がないからだ。その隣でチャーテが巻きついているはずの支柱もない。夜のあいだ、暴風で吹き飛んだようだった。
午後になり雨風が弱まってきたので、周りを見て歩いた。
幸い家に被害はなかった。が、飛んでいった屋根やら棚やらは下にある畑にひっくり返り、その一部はもう一段下の田んぼまで転がっていた。稲の倒れている方向を見ると、山から吹き降ろしが強かったみたいだ。今度は軽トラに乗って、散乱する枝を避けながら、集落に続く道をのろのろと進む。途中倒木があり、車ではそれ以上進めなくなっていた。
状況を把握しながら、頭の中で片付けの段取りを考える。必要な道具は、優先順位は、掛かる時間は、、、その一方で、自然の圧倒的な力に、驚きを通り越して「台風すげー」と感動すらしていた。
それにしても、昔の家は大したものだ。築90年の笹のいえは、あれだけの風にも関わらず、瓦の一枚も飛ばなかった。数メートル先にある自作の棚や屋根は見事に飛ばされたというのに。
家の裏は、人ひとりが通れるくらいの空間を残してすぐ山の斜面だ。土砂崩れでもあったらとても危険なのに、どうしてこんなキワに建てたのだろうと引っ越し当初は不思議に思っていた。
しかし住んでみると、斜面の近くにあることで、山からの北風が屋根の上を通り抜け、上手くかわしているようだった。さらには、東西に流れる川ぞいに吹く風の道からも少し奥まったところに位置していて、向かいの山の杉の木が折れそうなくらい揺さぶられていても、こちら側はとても静か、ということがある。ここに住みはじめた人々は、風の通り道も考えて家の場所を決めたに違いない。
先人の知恵と技術に感心するばかりだが、友人が地域の方から聞いた話では、昨今の温暖化の影響か、降雨量や台風進路の変化など気候の変動によって、これまでの経験が通じなくなってきたと言うことだった。