山村の子にとって、竹は遊び道具作りに欠かせない材料であった。突き鉄砲、竹とんぼ、竹馬、釣竿など、人それぞれの思い出の中に残るものである。
私もそうであった。まず作ったのは多くの子と同じように、突き鉄砲だった。
銃身となる竹筒に、紙を濡らして丸めたものや、草の実を弾丸として詰め、それを小さな竹で押して、空気の圧力で飛ばす。
的となる目標物を置き、それをめがけて射って、命中率を競ったりしたことだった。
広辞苑では「紙鉄砲」とあるが、自分たちは「突き鉄砲」だった。大抵の子がこれを作っていた。
そのあと私がのめり込んだのは、釣竿作りであった。小学校に入る前から渓流釣りを始め、まずモツゴ釣り、ついでアメゴ釣りとなっていったことは、これまでも別の機会に何度か記した。その釣竿は自分で作った。
今のように強化プラスチック製の釣竿などはもちろん無く、釣具店で売っている竿もすべて竹製であった。村には釣竿を売る店がないので、自分で作るしかなかった。
渓流釣りの入門編とも言えるモツゴ釣りには、ニガタケで竿を作った。この竹は子供がよく利用する笹竹で、広辞苑にはメダケ、カワタケ、オナゴタケ、アキタケ、シノダケ、シノベダケなどの異名があるが、村ではみんな「ニガタケ」と呼んでいた。
この竹を何本か切り、自分の手に合う太さと、力に合う長さ、重さのものを選んで釣竿にした。
木の枝が水面上に伸びたりしている所では、それに引っ掛ってテグスが切れることがあるので、広い所を選んでモツゴを釣った。
モツゴ釣りを卒業してアメゴを釣り始めると、竿に気を使わねばならなくなった。
アメゴの場合は、木の枝などの障害物がある瀬などで釣ることが多い。そんな場合にはモツゴ釣りの1本竿では長すぎる。
川だけではなく、川へ行く途中でも、長い竿は不適当と思うようになった。
モツゴの場合は、道路から川へ下りる道を通って行き、広い楽な場所で釣る。
しかしアメゴは、よいポイントに早く行きたいため、道がなくても道路から薮をくぐって、そのポイントに行くこともある。そんな時には長い竿が邪魔になって歩きにくい。
ポイントでは前述のように、障害物があると、長い竿では使いにくい。
そこで考えたのが、大人たちが使っている継ぎ竿であった。これなら邪魔な障害物があっても、竿を短かく縮めて釣れる。薮をくぐる時もそうすれば楽である。
そう思ってまず、2本継ぎの竿を作った。これは割合楽に出来た。
ニガタケを適当な長さに何本か切り、太い方を元にする。それにはまる竹を選んで穂先にした。場所によってはそれをはずして、半分の長さにして釣ればいい。薮をくぐる時も楽になった。
そのうちに同じやり方で、3本継ぎを作った。元になる竹はシチクを使うこともあったが、思考錯誤しながら作るのは、苦労というよりも楽しみが大きかった。
竹は真っ直ぐのように見えるが、意外に曲った部分がある。曲ったままでは釣竿として使いにくいので、そこを矯め直して作った。曲りを直すのは、余り難しくはなかった。
これは釣りをする大人から、
「青竹のうちに、火であぶって直せ。竹が枯れてからやったら、焼けてしまうきに」
と言われ、実地に習った。
青竹を炎であぶると、簡単に曲りが直せる。思うように矯め直して、そこに水をかけて冷やすと、元に戻らず、真っ直ぐになる。楽に出来た。
今は強化プラスチックの釣竿を使っているが、“あの頃”の思い出は消えることがない。