こずえです。
私の家はごく一般的な田舎の家庭でしたが前回のお話の頃までは幸せな日々を過ごしておりました。
それがある日を境にその幸せが一変します。
平成20年4月12日。
母、和子が亡くなったのです。享年69歳でした。
元々膠原病(リュウマチの一種の難病)を患っていたのですがそれでも農作業を休む事が無く、今思うと相当無理をしていたんだと思います。
父、義雄も母の死からほどなくして床に伏せるようになりました。
病院で肺ガンと診断されました。
病気のせいもあると思いますが、母の死が相当ショックだったのがそばで観ていて分かるほど父は日に日に元気が無くなってしまいました。
私は平成22年7月に当時住んでいた高知市のアパートから住所を土佐町の実家に移し、父の介護をしながら高知市内に通いで仕事に行く事にしました。ちょうど前夫と離婚が成立したあとで、生活のために働かなければならなかったのです。
そしてブドウ園の仕事も市内の仕事の合間にやっていかなければなりませんでした。どうしても農作業に手が回らない時は友人にアルバイトに来てもらってしのいでいました。
家で一人っきりの父の事も心配でその時はそうするしか手立てが無かったのです。
しかし、平成23年12月22日。
介護の甲斐もなく父、義雄も他界してしまいました。享年77歳。
まさに母のあとを追うようでした。
3年足らずの間に両親がいなくなってしまい、大きな実家とブドウ園には私一人になってしまいました。
姉二人がいますがどちらも嫁いでいるので必然的に私が後を継ぐ事になったのです。
父母が居なくなってあらためて感じます。
本当に素晴らしい両親でした。
愛情に溢れて争いを好まず、好き勝手な事をしてましたが地域のたくさんの人に慕われ、家庭でも家の外でも裏表なく温厚な、そんな父が私は大好きでした。
そして、その父をいつも影で支えて家の仕事、農作業を黙々とこなしながら私たち3人娘を育ててくれた母を誇りに思います。
大好きな両親が愛情いっぱいに育てた葡萄の木。
これから私が守っていきますね。
どうか天国でも一緒に仲良く暮らしてください。
お父さん、お母さん、本当にありがとう。。