「精霊の守り人」 上橋菜穂子 偕成社
初めまして。名字でお気づきの方がいらっしゃいましたら、さすが土佐町、田舎のネットワークの凄さでしょうか。私の母は私がとても小さな頃から物語を語り読ませてくれました。母の1冊は私の1冊でもあります。
『まゆとおに』『14ひきのかぼちゃ』次は私が、誰かに物語るのでしょう。
さて、私の1冊目は私の運命を変えた本。この本がなかったら、私はわたしではなかったという本。『精霊の守り人』。この本はアニメ化や漫画化、NHKで実写ドラマ化もされ、知る方も多いのではないでしょうか。『守り人シリーズ』として外伝も含め10冊以上の物語でもあります。
私がこの本に出会ったのは忘れもしない、4年生の晩秋の放課後でした。今は廃校になった森小学校の図書室。昼休みに友人から勧められ、この本を手に取りました。ちょっと様子を見るつもりで、面白くなかったら返そうと思いながら、西日にページをあてました。ランドセルも背負ったままで。そして気がつくと見回りの教頭先生が、肩を叩いていました。周りは真っ暗で日が暮れていました。急いでその本と続編を借りて、家の勉強机で必死にページをめくっていました。
『精霊の守り人』は児童書ですが、主人公の凄腕女用心棒バルサのシンプルな強さ。タンダの包容力。トロガイ師の深い知性。チャグムの成長。登場する人物全てを引き立てる世界観。今まで読んだどんなファンタジーとも違うと感じました。作者がどのような人か、知りたいと思ったのもこの本が最初でした。著者は、民俗学研究をしておりアボリジニについて研究していました。しかし、彼女はアボリジニの文化に敬意を払い、決して自分の著作に流用はしないそうです。私はゼロから物語を作り出した著者のように、既成の価値観にとらわれないように、自分で自分の考えを持とうと思うようになりました。そしてバルサのような強くてカッコイイ女性になりたいと強く憧れました。中学校から大学まで剣道を続けたのも、バルサのような女性になりたいというのがあったからです。大学選びの時にも、民俗学に触れてみたい、世界を包む文化を学びたいという理由から、文化学部を志望し、志望動機にこの本の事を書きました。
『精霊の守り人』との出会いから10年以上経ちますが、今まで何度も読み返しました。読む度に理解が深くなり、新たな解釈が出来るようになっていきました。ジェンダーについて、差別について。宗教観についてetc. その度に私は初心に帰り、自分の視野の狭さを知ります。そしてバルサに憧れて始めた剣道でも、大学時代になぜ剣の道なのか改めて考えるようになりました。物語の中でバルサはひとかどの武人として、その界隈でも有名な人物として描かれています。しかし用心棒として人を守るために殺し恨まれ、命を天秤にかけ、その行為に深く傷つき、それでも戦いたいという内に眠る凶暴性が彼女を苦しめます。この衝動や暴力的な気持ちは、実際に剣道をしていても感じる時があります。つまり、体の強さや技術に伴って強くなる“勝ちたい“という衝動性や“勝つためなら手段を選ばない“という凶暴性を抑えるからこそ、道になるのではないかという理解にたどり着きました。更にバルサの深い苦しみと業を、ここまでリアルに描くことの出来る著者の見識と、観察眼は滅多なもので手に入るものでは無いと思いました。
さて話はかわりますが、今私はバルサのような女性になれたのかと、いつも考えています。なぜなら、もう少しでバルサが物語に登場する年齢になるからです。どう転んでも、バルサのようになれていない。私は心を患ってしまったし、他に持病も持っている。剣道も弱い。でも今まで、自分はベストを尽くした選択の末にここにいる、という気持ちは強くあります。バルサも小学生の頃憧れた、清く正しい正義のヒーローではありませんでしたし、等身大の同じ女性でした(※ただし、とんでもなくカッコよくて強くて思い切りがいい)。
何度も読んで、私も大人になって、それがわかって本当に良かったと思います。私はまだまだ頑張れる。バルサのような強くてカッコイイ女性になれると思えます。そしてまた私は何かのきっかけで『精霊の守り人』を手に取るのでしょう。あの、西日の当たる図書室でワクワクした気持ちを思い出すために。
矢野ゆかり