2018年3月

笹のいえ

くんくん(後編)

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前編

化学物質過敏症とひとくちに言っても、その症状には個人差がある。ある物質に対して近づけない人がいれば、全然大丈夫な人もいる。そのときの体調によっても許容範囲が変化するらしい。いままで平気だったのに、突然症状が出ることもある。実際に自分がどう感じるか、その場になってみないとわからないことも多い。

ある飲食店に出掛けたとき、彼女だけ建物に入ることができず、ひとり外で食べたことがあった。誘った僕らは申し訳ない気持ちだったが、彼女は慣れた様子で、家族旅行するときも屋外で食べさせてもらうことや自炊、車中泊は珍しくないと話してくれた。

日を追うごとに地域での知り合いが増え、笹ファミリーの一員として周りに認知され、溶け込んでいった。くんくんの症状を知った友人たちは、彼女を理解し、有難いことに、そのままを受け入れてくれた。日々の生活で任せられることも多くなり、家事はもちろん、その合間に長女の宿題をみたり、泣いている末っ子のご機嫌を取ったり、頼もしいお姉ちゃんといった感じだった。

滞在中16歳になった彼女は、原付免許の取得したいと考えた。試験センターに下見に行ったところ、試験会場となる建物内に長時間いるのは難しかった。職員に理由を話し、普段使っていない小さな部屋で窓を開けっ放しにして、扇風機を回す対策を取ってくれることになった。マニュアル通りが当たり前の公的な施設のとしては、人間味のある対応ではないだろうか。同行したご両親の粘り強い交渉も功を奏したのだろう、その行動力も素晴らしい。その後無事免許を取得し、原付バイクに乗れるようになった彼女。さらに行動範囲を広げ、毎日の暮らしを楽しんでいた。

そしてあっという間に11ヶ月が過ぎた。予定より早い期間だったが、里帰り出産するうちの奥さんに合わせた形となった。笹を離れる前日に友人たちを招いて、お別れ会を開いた。たくさんのひとがやって来て、彼女と時間を共有し、別れを惜しんでいた。その様子をみていて、彼女を受け入れて本当に良かったと思った。

彼女のことをよく知らない人は、症状を聞いて「可哀想に」と言う。正直、僕も最初はそう思っていた。でも、彼女と一緒に暮らし、日々を淡々と、そして楽しみながら過ごしている様子を身近に見ているうちに、そんな感情はもうどこかへ行ってしまった。もちろん症状が治ったり軽減することを望む。しかし、自分の在る状態を受け入れ、そのときできることをやる。それは、僕らとなんら変わりない。

くんくんは今後、自分に合った環境や場所、家を探す旅に出るそうだ。

たくさんの可能性を持った若い彼女にエールを送りたい。

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私の一冊

中山一利

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 「アンディ・ウォーホル展 図録」 会場:日本橋三越本店7階ギャラリー
会期:1991年1月8日~1月20日

1991年に行われたアンディ・ウォーホルの展覧会の図録です。没後すぐの回顧展だったので恐ろしく混んでいた。
アート作品って本物のほうが感動するのですが、この人の作品はそれがなかった。
商業的に印刷されたものとシルクスクリーンで刷られたものが同じように見れる。

「これがポップアートか」とポップアートが誕生して30年後の世界でそう思いました。
イラストレーター時代の作品がすごくよいです。

中山一利

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昨年もやりましたが、土佐町役場の新しい名刺、2018版を作りました。

必要な方はどなたでもこのデザインを使用できます。

 

6種類の風景はすべて土佐町の風景です。今後も、不定期に新たな写真にリニューアルします。

各写真の撮影場所は以下の通りです。

  1. 駒野(地蔵寺川)
  2. 上地蔵寺
  3. 高須
  4. 和田
  5. 台の牧場
  6. 高峯神社

 

土佐町に関連する方はどなたでもこのデザインをご使用できます。

お名前、肩書き、連絡先などの文字情報を変更したものを以下の手順で発注してください。

  1. 高陽堂印刷さんにファックスまたはメールで発注します。(Fax:088-880-8899 メール:info@koyodoinsatsu.com
  2. 1~6のいずれかご希望のデザインを選びます。
  3. 名刺に入れたい会社名やお名前、ご住所などの文字情報を伝えます。*文字情報以外のデザイン要素(写真とロゴ)の変更は受け付けていませんので予めご了承ください。
  4. お支払い方法は以下の2通りです。A,銀行振込でのお支払い(前入金)  B,ご来社(高陽堂印刷さん)でのお支払い
  5. 価格は以下の通りです。名刺印刷:1デザイン

    100枚:3,000円

    200枚:4,000円

    300枚:5,000円

    400枚:6,000円

    500枚:7,000円

    ※送料・消費税別途 ※制作費込(名前・住所・社名)※用紙:ミセスB スーパーホワイト 180kg

 

以下は2017版です。

誰でも作れる土佐町の名刺

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みんなのアルバム

消防車

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西峯洋子さん談(昭和13年8月生)

私が小学校1年か2年生の頃(昭和20~22年)父が高知市へ消防車の新車を引き取りに行ってきた事を覚えています。

父は当時タクシーの運転手をしていました。フォードの自家用車を所有していました。

 

よく見てください。
この写真に写っているのは、土佐町という場所を守ってきた人たちの姿。

こういう人たちが土佐町を守り、次の世代に手渡してくれた。いま現在の私たちの暮らしは、その地面の上にあると思うのです。

彼らが私たちに手渡してくれたように、私たちもまた次の世代に手渡すときがやがて来る。

その時にどんな町を渡せるのだろう、とこの写真を見ながら思うのです。

編集部

 

 

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笹のいえ

くんくん(前編)

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笹のいえに約11ヶ月間滞在していた子が、3月のある日に笹を卒業した。

満月(みつき)さんは16歳。あだ名は「くんくん」。まだ赤ちゃんのとき、名前を呼ばれると自分で「みつき」と言ってるつもりで「くぅんくぅん」と返事したので、以来こう呼ばれているとか。

土佐町に移住してきた知り合い家族を訪ねてやって来て、笹のいえにも泊まってくれたことからご縁がはじまった。

ここの生活を気に入ってくれた彼女は、中学を卒業するころ手紙をくれた。そこには、笹で一年間暮らしたいと手書きで丁寧に書いてあった。その字から彼女の想いが溢れている気がして、心がじんわりと温かくなったのを覚えてる。

それまでも何度か笹に遊びに来てくれたので、子どもたちは彼女に懐いていたし、田畑の経験もある。料理上手だし、うちら的には大歓迎。が、ひとつ考えなくてはいけないことがあった。

彼女は、化学物質過敏症なのだ。

ケミカルなものに身体が反応して、気分や悪くなったり、体調不良になったりする。

例えば、化学的な建材が使われているは建物には入ることができない。香料や除菌剤入り洗剤や柔軟剤で洗濯された服を着た人には近づけないなど。

繁盛はしていないけれど、いちおう「宿泊業」な笹のいえにはいろんな人の出入りがある。彼女の苦手な香料を使用した服を着た人もやって来るだろう。お客さんに「その服ではうちに泊まれません」なんて宿はない。そもそも、化学物質過敏症のことを全く知らなかった僕は、一緒に暮らせるのかどうかもイメージできなかった。

それでも、ここで暮らしてみたいという彼女の強い意志を受けて、僕らも「どうなるかわからないけれど、これもご縁だし、とりあえずやってみよう」と決めた。

一緒に住みはじめてみると、当たり前だけど、普通の子と変わらない。いや、それ以上だった。薪の扱いには慣れてるし、家事もこなし、子どもの相手もドンとこい。畑や田んぼの作業では効率的に動き、笹の暮らしにピッタリだった。

後編へつづく)

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私の一冊

中山一利

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 「篠原有司男 ボクシングペインティングとオートバイ彫刻」

会場:神奈川県近代美術館鎌倉 会期:2005年9月17日~11月6日

2005年に神奈川県近代美術館で行われた篠原有司男の展覧会の図録です。

1960年代から第一線で活躍している大御所アーティスト。ボクシングローブに絵具をつけてキャンバスを殴っていく作品は迫力があり大好きでした。立体作品や絵画も大迫力で面白い。

そんな彼のお話が聞ける機会が横浜の画廊でありました。

アトリエのあるニューヨークの話を聞けました。

「おまえも作品作ってニューヨークに来いよ!」「ニューヨークはいいぞ!」と。

サインをもらって作品も購入してしまいました。

中山一利

 

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みんなのアルバム

今ちゃんと三代さん

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お揃いのズックを履いて学校へ行く前の一枚。この時、嶋村今子さん4年生、田岡三代さん1年生。
家が近所で、毎朝今子さんが三代さんを迎えに行っていたそうです。

この写真から60年後の今もふたりは仲良し。
今子さんがずっと大切にもっていた写真を前にして、昔の話も弾みます。

そして60年後の同じおふたり、同じ場所の写真がこちら。

 

三代さんが、今子さんとの思い出を書いています。
そのお話はこちら。

今ちゃん

 

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4001プロジェクト

石川直・咲・吾朗・寛大・すみれ

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今回は、田井に住む石川さんファミリー。

撮影場所は高峯神社のてっぺんです。

ある晴れた日の午後、登山道のような高峯神社の山道を一家でヨイショヨイショと登ったところで撮ったのがこの一枚。

ポストカードにはお兄ちゃんふたりの駆け回る後ろ姿が写っていますが、その後ろで見守っているこの3人もいてくれて初めて撮れた写真です。

2018 Feb.

 

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笹のいえ

椎茸栽培

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母屋の裏山の一部はもともと段々畑だったのだが、その後、現金収入が見込まれる椎茸栽培のために原木となるクヌギの苗を植えたそうだ。それから何度か伐採しているらしいが、今は十年以上成長したクヌギがたくさん立っている。母屋のすぐ裏にあるので、幹があまり太り過ぎても伐採が難しくなるし、落ち葉が雨樋に溜まるので、大家さんに相談して数本切らせてもらった。

せっかくなので、僕も椎茸の原木を作ることにした。

木を切ったら葉が落ちるまで放置し、1mほどに長さに切って小口にヒビが入るまで乾燥させた後、椎茸菌の駒を打ち付けていく。

まず林から木を運び、専用のビットを取り付けたインパクトドライバーで穴を開け、種駒を木槌で打ち込んでいく。駒はホームセンターや森林組合などで手に入る。椎茸以外にもナメコやヒラタケなど数種類ある。

今年は2,000個近い駒を打ち込むことになった。

穴開けて、駒打って、、、果てしないひとり作業になるはずだったが、ありがたいことに助っ人数名がお手伝いに来てくれた。駒打ち作業は子どもたちが気に入ったようで、飽きるまでトントンしていた。

ほだ木(菌打ちをした木)は風通しの良い日影に横積みしておき(←イマココ)、小口に白い菌が見えたら、収穫しやすいように立てかける。

決して楽な仕事ではないが、これで翌年の秋には椎茸が採れるようになる。木の太さや種類によるが、二年から三年間、春と秋に収穫できる。

この地域では椎茸栽培が身近だ。自家栽培している方は多いし、椎茸農家さんもいる。山道を歩いていると、そこここでほだ木がある。旬になると、地域の道の駅やスーパーでパック詰めされた原木椎茸が売られる。

新鮮な原木椎茸の旨さは栽培者の特権だ。はじめて食べたときは、その美味しさにびっくりした。旨味がギュッと詰まってて、滋味がある。採れすぎても天日乾燥させれば、長期保存できる。

今、去年菌打ちしたほだ木から椎茸が出てる。まだ小さいと思っても、雨や朝露で一気に大きくなるので、小ぶりのうちに収穫しておく。採り忘れて大きくなりすぎてしまったものは、バター醤油でステーキ風にして焼くと、まっこと美味だ。

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私の一冊

鳥山百合子

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「魔術師のおい ナルニア国物語6」 C.Sルイス作,瀬田貞二訳 岩波書店

 

本の左側に貼ってある丸いシール、これは「カンガルーハウス」という児童書専門店のシールです。私が生まれ育った神奈川県伊勢原市にあるお店で、本を買うとこのシールを貼ってくれます。今でも帰省した時にはお店に立ち寄りますが、お店の中は昔と変わらず、本という本があっちこっちに積み上げられ足の踏み場もないほど。本の匂いが立ち込めていて、一気に子どもの頃にタイムスリップするような感覚を覚えます。

子どもの頃、兄弟とカンガルーハウスへ行き、母が「好きな本を選んでいいよ」と言ってくれて、自分の好きな本を選ぶことがとても楽しみでした。

「魔術師のおい」はカンガルーハウスの人が勧めてくれた一冊。
どの本にしようかと迷っていた私を見て、本棚から緑の箱に入ったこの本を抜き出し「これは6巻だけど、ナルニアのお話の一番最初なんだよ」と話してくれたことを今でも覚えています。
ナルニア国のお話は全部で7巻あるのですが、これが長い長いナルニア国のお話と出会った最初でした。

「魔術師のおい」以外の本は図書館で借りて読んでいましたが、3年前、サンタさんが長女のクリスマスプレゼントにと、残りのシリーズ6冊を贈ってくれました!
長女が「サンタさんすごいね!うちにあるのが「魔術師のおい」ってちゃんと知ってるんやね!これで全部揃ったね!」と言ったことを覚えています。サンタさんは誰だったのかな…?
この本を手にするといろんなことを思い出すのです。

鳥山百合子

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