奥さん、妻、嫁、家内、パートナー、、、
女性配偶者の呼び方はいろいろあるが、僕は彼女の本名の「シネマ」と呼び、子どもたちは「かあちゃん」と呼ぶことも多い。
今回は、そんな彼女の話。
うちではできるひと総動員で家事をする。理由は明快で、そうしないと暮らしが回らないからだ。掃除洗濯食事つくりに後片付け。その家事の大部分を担ってくれるのが、シネマだ。名もなき家事の数々もこなしている。
暮らしの大黒柱と言おうか、生活における縁の下の力持ちと言おうか、ともかく、家族が健康に過ごせるよう、毎日献身的に動いてくれている。
特に日々の食事は彼女が賄う。
毎日三食作るだけでも大変なことだが、うちは釜戸や七輪を使い、火を熾すところからスタートだから当然時間が掛かる。
薪の火加減によって調理方法も変わってくるし、他の家事や用事と併せて、時間との戦いでもある。それこそ一日中台所に立ち、美味しい料理をあれこれ作ってくれていることもある。段取りから片付けまでテキパキとこなす彼女の姿に見惚れる。
約十年前この町に引っ越してくる前、移住先を探していた僕たちは、高知県はおろか、四国に縁もゆかりもなかった。土佐町にはひとりの知り合いもいなかった。しかし、自然の豊かさや空気の清々しさに魅了され、なにより地域の人たちのたくさんのサポートがあってこの地に根を下ろすことを決めた。
三歳の長女と乳児の長男を連れた僕ら夫婦は、右も左もわからないまま、町営アパートを借り、新しい暮らしをスタートさせた。
千葉の住み慣れた実家を離れ、慣れない環境での生活。幼子ふたりと誰もいない公園で遊ぶ日々は、彼女にとって寂しさの連続だったに違いない。子どもを保育に行かせる前で、どこにも所属していない不安もあったそうだ。それでも文句ひとつ言わず、家族の暮らしを支え続けてくれた。
そのときの罪滅ぼしとしてはいまさらながらで、大変恥ずかしいことなのだけど、最近(本当にここ最近)僕は彼女の負担を減らそうと、意識的に家事や子育てのフォローをするようにしてる。いままで自分の作業や仕事にほとんどの時間を費やしていたことへの償いもある。
そうすることで思わぬ効果があった。
僕自身の家族との時間が増え、より親密になったと感じる。自分の仕事は進まないが、得られる充足感はこれまでより大きい。
シネマ自身も地域活動に積極的に参加したり、出かけたりするようになり、子供会やPTAの役員を引き受け、コミュニティに溶け込んでいる。下の子にかつてほど手がかからなくなってきたことも要因だが、子どもたちの成長と共に、僕ら家族が新たな段階に入ったことを実感する。
母として、また妻として彼女の姿を見るにつけ、感謝し愛おしく感じる。照れくさくて、なかなか口に出せなかったけれど、言葉や行動にして伝えることが大切だと今更ながらに気づいた。
言葉で伝えると共に、ハグをしたり手を繋いだり、より彼女を身近に感じる表現をしている。これまでの隙間を埋めていくように、ふたりの時間も増やしている。
シネマとの出会いは僕の人生最大の幸運だ。
健康的で美味しい食生活、五人の子どもたちとの暮らし、やりがいのある生き方。全ては彼女と一緒にいるおかげで実現している。これからも一緒に歩んでいきたい、そう強く願う。