2025年11月

土佐町歴史再発見

石田さんとの出会い

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在りし日の石田さん

『土佐嶺北史談』創刊号 表紙

 

幻の機関誌第2号の投稿原稿

私発掘した土器片

「野本先生、お客さんです!」5時間目の空き時間に突然の来客があった。

急いで玄関に向かうと、穏やかな表情をした老紳士が待っていた。

「先生を山城へお連れしますよ

せっかくのお申し出ではあったが、6時間目もあるし、この時はやんわりとお断りした。

1ヶ月前、教育委員会からの要請で「土佐町歴史再発見」という講座をやらせていただいたのだが、その時に聴講された方らしい。私に何かを伝えたかったようで、その2日後にまた来校され、1冊の雑誌を置いていかれた。それが『土佐嶺北史談』の創刊号だった。

後で分かったのだが、件(くだん)の老紳士は、石田保範(いしだ・やすのり)さんといい、「土佐町史談会」の会長さんだった。恥ずかしながら、私はそれまで土佐町に史談会があることを知らなかった。

「土佐町史談会」とは、「土佐町を中心として、周辺を含めた地域の歴史、地理その他これに類する調査及び研究発表をし、地域の文化の向上に努めること」を目的として、1997年9月20日に結成された。

当初の会員は103名で、土佐町だけでなく、大川村、本山町、南国市、高知市在住の方や、埼玉・愛媛県など、県外の人たちも入会していた。

結成後、2年近く地道な活動を続け、1999年に待望の機関誌を刊行した。この創刊号では、朝倉慶景氏をはじめ、15名の会員の玉稿が並び、石田さん自らも5本の文章を寄稿している。A5版が主流の時代にA4版の機関誌はなかなかの迫力だ。

昭和59年(1984)に『土佐町史』が刊行されて15年が経過したせいもあるのだろう、新史料や新解釈に基づく投稿が散見され、創刊号の初々しさが伝わってくる。

例えば、朝倉氏は従来の森氏の来歴に異を唱え、潮江庄(現高知市)本拠説を展開。高石寛氏は、昭和36年(1961)に本山町から編入された大河内地区の歴史に触れ、下川鉱山のことを記述している。西村福蔵氏は、石鎚山の遙拝所「瀧倉さん」と、付近の洞窟に住む大蛇の伝説を語り、次回に続く内容となっている。

石田さんはというと、他の史談会との交流を重視し、土佐山田史談会の土佐町訪問を実現させた時の内容を詳細に記述している。また、愛媛の歴史研究家・信藤英敏氏(1)に「伊予から見る参勤交代道(土佐街道)」という論考を依頼するなど、史談会運営を多角的にしようとしていた。

石田さんは『大豊史談』30号(2)の「土佐町史談会設立のご挨拶」のなかで、「嶺北の歴史を知るには一町村単位で考えても充分ではない、」と述べている。

この思想は、機関誌のタイトルが『土佐史談』ではなく『土佐嶺北史談』であることからも明らかだ。

だが残念ながら、私が土佐町中学校を退職した翌年、石田さんは亡くなられた。

程なく息子さんから委員会に蔵書類の寄贈のお申し出があり、引き取りのための事前調査をすることになった。当時、土佐町民具資料館の資料整理ボランティアとなっていた私にも声がかかったが、何とも言えぬ不思議なご縁を感じたものだ。

息子さんによれば、石田さんは郷土史愛好家というだけあって、山林経営の傍ら、町内の旧家の系図や墓碑銘をほぼ調べ尽くしていたという。60年のライフワークだったというから脱帽だ。確かに書斎に遺された遺品のなかには、それをうかがわせるものが数多く遺されていた。

町内各地で私発掘を行って収集したものとみられる土器片や、地蔵寺の磨崖仏調査を行った時の記録など、今となっては貴重なものも多い。

だが、何より心を惹かれたのが、『土佐嶺北史談』第2号の原稿の入った封筒だった。第2号は諸般の事情により刊行されなかった幻の号である。(3)

遺された原稿一覧によれば、原稿の8割方は集まっていた。内容的には、野中兼山と地域開発に関するもの。シリーズ化しようとしていた戦争体験記。民俗学的な事例報告。土佐町郷土史研究の課題といった内容で占められている。

これがもし刊行されていたなら。何とも惜しい話である。

今振り返ると、私は石田さんのような本物の歴史家(郷土史家)との出会いに恵まれた人間だったが、それを十分に生かし、先輩たちのご恩に報いることができていない。

本当に情けないことだ。

「先生を山城へお連れしますよ

あの時、石田さんは私に何を伝えたかったのだろう?

(1)愛媛県東予の郷土史研究者。著作に『川之江合戦録』(自家版 1975)、『川之江城の研究』(自家版 1982)などがある。

(2)大豊史談会『大豊史談』30号 2000年

(3)土佐町史談会は創刊号を刊行した後、自然休会となり現在に至るという。

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