水は山水、かまどや五右衛門風呂では薪を使い、コンポストトイレの排泄物は自分で処理する。お米や野菜を自給し、味噌や醤油、酢を仕込む。廃油をろ過して車の燃料にする。僕らが実践してる、笹のいえのむかし暮らしだ。
「どうしてこの暮らしを選んだんですか?」
と聞かれることがある。
「大変じゃないですか?」「不便でしょ?」とも言われるが、これが日常なので、こんなもんだと思ってる。もちろん手間や時間は掛かるが、もう無理!と考えたことは、今のところない。
手づくりな暮らしをしているのは、自分たちでやった方が安いという経済的な理由もあるけれど、手を動かすと仕組みがわかるし、技術や知恵が身につく。何か不具合があっても自分で対処できることが多い。なにより、手が届く範囲の暮らしは安心感がある。
どんな暮らしをするのか、メリットデメリットを天秤に掛けたときに恩恵が多い方を選んでる。
そう、僕らは、常に選択して生きてる。
いまの暮らしは、これまで「何を選んできたか」によって形づくられている。
忘れがちではあるけれど。
例えば、料理するのに、ガスを使うか、IHか、薪かそれとも炭か。その方法は、(現在の日本では)個人の自由だ。僕たちは薪と炭をチョイスしたが、ガスやIHが駄目だ、ということではない。稲刈りだって、手に鎌を持ち一株ずつ刈っていくこともできるし、コンバインで一気に収穫することもできる。それぞれ長所と短所があるから、状況によって代わってもいいし、複数でもいい。その時々でより気持ちの良い道を選べばいい。人生はもっと柔軟だ。
選択の岐路に立ったとき、それが楽しいかどうかってことを自問することが多い。ときに気の進まない選択もあるが、その先に「ワクワクすること」が待っている方を選ぶようにしてる。そうすれば、嫌なこと苦手なことも頑張れるからだ。
いまの生活も自分の体力や子どもの成長によって変化していく。複雑で難しい理想を追うよりも、より楽チンで持続可能な道を選択していくだろう。