家から裏の細い山道を、子どもの足で1時間以上かけて登った所に叔父の家があり、そこは家囲いの古い木にかこまれて暗いような茅葺屋根の大きな家だった。
納屋には馬がいた。坂の途中に建てられた一軒家。その傍に隠居を建てて祖父母が住んでいた。
隠居は茶の間と寝間の二間。下半分が板戸で上半分が障子の入り口の戸を開けると小さな土間があり、あがりかまちを上がると、じざい鍵をつるしたいろりがあって、薪をくべていたので部屋はふすぼっていた。じざい鍵には汁物の鍋がかかり、いろりの淵には竹串に刺した里芋が焼かれているという昔話の情景。家というより小屋だった。
祖父を「おじいやん」祖母を「おばあやん」と呼んでいた。
おじいやんはいろりのそばに座っている姿しか思い出せない。片膝たてた足がとても長かった事を覚えている。おばあやんは腰が曲がっていたけれど肌のきれいなひとだった。
残念ながら二人のいいところは爪の先ほどももらってない。
父にくっついて何度かいったことがある程度で、祖父母に甘えた覚えがない。
孫は数えたことはないけれど30人ほどもいたろうから無理もないけれど。
父は女4人男4人の長男だったけれど一番下の弟に跡を頼んで家を出たらしい。義兄弟がたくさんいて、わがままに育った母は、戦争でいない父に代わって祖父母に孝行等ようせんかったと、私が娘になった頃話してくれた(こんなきれいな言葉じゃなかった)
祖父母が亡くなって60年以上過ぎ、跡をとった叔父一家もいなくなり、父の13回忌も終わった。山の中に残った祖父母のお墓に「これからはお墓まいりにもよういかんなるし、山の中に埋もれてしまいそう」と気にした私の兄弟がお寺にお願いして共同墓地に入れてもらった。
その夜は「お爺やんお婆やんは喜んだろうけれど、なによりおやじが喜んでくれたろう」と、昔話にはなをさかせながら遅くまでお酒をくみかわしていた。