たまらなく懐かしい人に会ったような気持ちで受け取った。
「野菜、取りにきいや」と声をかけてくれた人が手渡してくれたもの。長さ約30センチ、厚さ10センチ、重さ約1.5キロ。色は薄い緑で、少し黄色がかっている。その姿はまるでお腹をへこませたラグビーボールのようである。
その野菜の名は「むかしきゅうり」。
町のスーパーの野菜売り場で見かけるのは、気軽に片手で持ち、ガブッと丸かじりできる細長いきゅうりがほとんどだと思うが、「むかしきゅうり」がそういった場で売られているのをまず見たことがない。丸かじりで完食するにはかなりの根気がいる大きさであり、ましてや皮はけっこう硬い。多分、自宅用または近所の知り合い同士、その土地の間だけで出回っている野菜なのではないだろうか。
むかしきゅうりは、私にとって大切な人を思い出させる。
夏になると、「むかしきゅうり」を何度も持ってきてくれる人がいた。私が土佐町に来てから、毎年毎年ずっとだ。
その人、上田のおじいちゃんは、軽トラックの荷台にいくつも積んで来て「皮をむいて、小エビなんかを一緒に入れて炊くとおいしいで」と言いながら、手渡してくれた。その一つ一つはずっしりと重く、夏の太陽をさっきまで浴びていたんですよ、と言っているかのように内側から熱を放っていた。
大きめのむかしきゅうりを半分に割ると白い種が行儀よく交互に並んでいる。調理するときはそれを大きなスプーンか何かでこそげ取るのだが、おじいちゃんはその種を取っておいて、種の周りについてぬめりを山水で洗い、来年用の種として乾かして保存していた。夏の盛りにおじいちゃんの家に行くと、軒下にひかれた新聞紙の上にいくつもの白い種が散らばっていたものだった。むかしきゅうりを手にし、急にその風景が蘇った。
おじいちゃんは、今年の2月に亡くなった。
今年、むかしきゅうりを手渡してくれた人も「皮をむいて、煮て食べるとおいしいで」とおじいちゃんと同じことを言った。
その言葉を聞いて「ああ、上田のおじいちゃんから、むかしきゅうりを受け取ることはもうないのだ」と思った。同時に、おじいちゃんと同じきゅうりを育てている人がいるということが、どこか嬉しくもあった。
家に帰り、二人が教えてくれたように皮をむき、だしと醤油、小エビを一緒に煮て、クズでとろみをつけ、おろし生姜を添えていただいた。
「おじいちゃん、今年もむかしきゅうりと会えたよ」
そんな気持ちで、まだいくつか残っているむかしきゅうりを眺めている。