しばらく前、用事があって久しぶりに訪ねた集落のおばあちゃんが杖を付いていた。室内の段差に足を引っ掛けて転び、膝を悪くしてしまったという。そんな話がきっかけで、彼女の体調や地域のことなどを玄関先でとりとめもなくおしゃべりした。
年配の方との会話では、歳をとった、身体のどこが痛い、しんどい、という話題が多くなる。加齢とともに今までできたことができなくなり、若いときと比べてしまうのは、僕も実感するところだ。「昔は良かった」という心持ちになるのは当然。でも、そんな話のあとはどことなく寂しい気持ちになる。
時が経てば皆同じように歳を取る。集団として考えれば、単純にその分だけマンパワーが減少し、できることが限られてくる。実際、地域の草刈りは年を追うごとに、参加者ひとりひとりに掛かる負担が大きくなっている。今年できた行事が来年はできないかもしれない。そんな不安はいつも頭の隅っこにある。
一方で、集落に住みはじめた若者が家庭を持ち、子どもの声が聞こえるようになった。「子どもは地域の宝」という気質のある土地柄だから、新しいいのちが増えると皆自分ごとのように喜んでくれる。こんな環境で育つ子どもたちは、この時代をどんな風に生きていくのだろう。
若い世代が身近にあると、「これから」を考える機会が増える。彼らが活躍する将来のためにいま何ができるのかと考えることは、僕らの生き甲斐となり、地域活性にも繋がるだろう。
止まることのない時間はときに無慈悲だが、だからこそ世代の移り変わりを受け入れ、未来を想像し、今を楽しみたい。
写真:うちの四兄弟近影。希望のカタマリ。