社会科、特に歴史分野の鬼門に中世という時代がある。南北朝の対立だの、OO一揆だの、生徒たちは複雑怪奇な時代展開についていけず、半ば茫然自失状態で授業を受けている姿をよく見た。
私の授業が拙いせいもあり、何回やってもこの時代を上手くこなせたことはなかった。過ぎたことだが、当時の生徒たちには申し訳なく思う。
だが、中世も後半になると俄然生徒の瞳が輝いてくる。特に西洋文化との出会いは、ビジュアルな教材により、様々な授業展開が可能になるから授業者側も楽しい。
「南蛮文化」の授業では、ポルトガルやスペインからもたらされた様々な文化が、当時の日本人にいかに受容され、今日に至るかという内容で、必ず外来語を取り上げる。
パン(pan)・キャラメル(caramero)・ビスケット(biscoito)・カステラ(castella)(1)・コンペイト–(confeito)などの食品や、マント(manto ※異説あり)・カッパ(capa)・メリヤス(meias)・ボタン(botao)など、服装に関するものが多いが、実はこれらはすべてポルトガル語由来のものだ。
そして、忘れてはならないのが、「南蛮屏風」などに描かれるポルトガル人・カピタンや船員たちの服装だ。彼らの多くは、腰から太ももにかけて大きく膨らんだ短めのズボンをはいている。これこそが「カルサン」だった。

長崎の町を見物するカピタン
「カルサン」はポルトガル語の「カルソン」(calsao)が訛ったもので、本来は半ズボンを意味するらしい。
近世以降、日本人に広く受け入れられた「カルサン」は、「軽衫」という文字を当てられ日本語化した。そして、明治以降、本格的にズボンが流入しても、地方では山仕事などの作業着として使い続けられたのである。
土佐町民具資料館にある「カルサン」は、外来語(ポルトガル語)を由来にもつ貴重な資料であることが分かった。
外来語に由来を持つ資料は他にもあるのだろうか?
そんなことを考えながら今日も資料の山と向き合う。
註
(1)ポルトガル人によってもたらされたが、ポルトガル由来の菓子ではないという。