鳥山百合子

土佐町ストーリーズ

ラバウル

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澤田千恵野さん(昭和2年生まれ。91歳)の話

私は6人兄弟で兄がひとりおって、兄は海軍に志願をして入ったがですよ。

戦争終わっても行方不明でわからんきね、生きているとは思われんとみんなで思ってました。

もう戦死したつもりでおったのがね、

終戦になって2年くらいしてから、兄がぽっかり帰ってきてね。

突然ふらっと帰ってきて、夢のようだった。

もうびっくりして。父と母も喜んで。

まあ、みんなでほんと、うれし泣き。

 

兄はラバウルへ行っていてね。

海軍でしたき、船に乗っておって、やられてね、敵に。

そして一昼夜泳いだいうて。

泳いでラバウルの島へついて、そしてあちこちしてるうちに帰ってきたがですわ。

ラバウルでマラリアになって、こちらに帰ってきた時、うんと熱が高かって、元気に仕事するようにはならんと言ってね。

熱が高いとビクンッ、ビクンッ、って震えるがですよ。それを私や妹で体を抑えてね。

最後は元気になって、女の子が5人生まれて、孫もそれぞれたくさんできてね。

 

戦争が終わって、ラバウルから帰ってくるまでに2年かかったのよ。

つくりごとではない本当にあったこと。

もっといろいろ話しておかんといけないことがあると思うんですけどね。

 

 

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下田昌克さんin土佐町、3日目。

 

 

本日3日目!朝からみつば保育園へ。
昨日、下田さんと一緒に過ごしていたこともあって、子どもたちはもう本当にうれしそうに迎えてくれました。
ホールで準備していると様子をのぞきに来る子もたくさん。大きな大きな紙に、みんなで絵を描きました!
そらぐみの子どもたちも下田さんも「楽しかった!」。

午後からはとんからりんの家へ。

和田守也土佐町長の絵も描きました。

そのあとは土佐町小学校へ向かいました。明日一緒に絵を描く2年生と顔合わせ。下田さんが来るのを今か今かと待っていた2年生たちは、エネルギー爆発でした!
絵を描く下田さんを取り囲みます。帰る時も、遠くから「下田さーーん!」と駆け寄ってきたり手を振ったり。明日が楽しみです!

田井地区にお住いの103歳の澤田弥生さんは、下田さんが描いた絵を「よう似いちゅう」ととても喜んでいました。

 

夕ごはんは、平石地区にある「笹のいえ」でいただきました。今日は中秋の名月で、お月見だんごも一緒に食べました。いつもありがとうございます。

もうなんだか、毎日胸がいっぱいです。土佐町で暮らす人たちが、こうやって絵に表現されていく瞬間に立ち会えて、とても幸せに思っています。

 

行く先々で「展覧会行きたい!」と声をかけてもらっています。

下田さんが土佐町で描いた絵を一堂に集めた展覧会「下田昌克アート展」は、10月8日(日)13時から。15時からは、下田さんのお話です。土佐町青木幹勇記念館にて、お待ちしています。

 

 

 

 

 

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「私が飲食店を開くに至ったのは、旅をして多くの人と出会い、飲み語った経験がきっかけとなっています。
世代や国籍、立場を超えて、皆が対等に存在している空間――。その居心地のよさとそこにいる人の笑顔が、心に刻まれています。この“非日常的な体験”を旅先から持ち帰り、日常的なものにしたいとずっと思っ てきました」

パクチーハウス東京店主の佐谷さんの言葉です。

 

パクチーハウスのみなさんが初めて土佐町に来たのは2017年2月。パクチーハウススタッフの研修のためでした。
土佐町の黒丸地区を訪れ、アメガエリの滝や星の美しさに感動、黒丸地区の仁井田亮一郎さんに出会って亮さんの大ファンになったパクチーハウスの皆さん。再訪を願っていた時「黒丸で何かやろう」と亮さんと土佐町の写真家でありとさちょうものがたり編集長の石川から声がかかり、今回の「1日限りのパクチーフェス!」が行われることになりました。

(詳しくは佐谷さんの記事をどうぞ!)

「パクチーが好き」。

その思いを持って仕事を作り出してきた佐谷さんの姿から「好きなことを仕事にしていい」「今、『ない』ことを仕事にする」、その可能性を伝えたい。それは職種や進路の選択肢の少ない田舎だからこそ、そしてこれからの世の中にとっても重要な視点だと思います。

そして、パクチーと土佐町の食材をかけ合わせたらどんな料理が生まれるのか?
黒丸地区は16世帯28人の集落。いわゆる「限界集落」と呼ばれる場所で土佐町の食材を使い美味しいものを生み出して、たくさんの人に土佐町の底力を感じてほしい。

「パクチーフェス」はそんな思いから、スタートしたのです。

 

当日まで土佐町側のスタッフとパクチーハウススタッフの間で、スカイプやメールを使い何度も打ち合わせをしていた。
メニューも材料も事前に準備できることは全部できていた。
あとは当日、一緒に作るだけ!

 

そのはずだった。

 

高松空港から2時間、くねくねした山道を車酔いしながらやっと到着した土佐町黒丸地区。

にこやかに自己紹介、昼食を食べて、用意された会場を確認。

左から、仁井田亮一郎さん(黒丸地区長)、前田清美さん、私、三富楓栞さん(パクチーハウススタッフ)、佐谷恭さん(パクチーハウス代表)、牛田うっしぃさん(パクチーハウス店長)

 

この時、パクチーハウスの皆さんは、相談して考えたメニューの品々はもう全てできていると思っていた。
土佐町側でもう作ってくれている、と。
パクチーハウスメンバーで作るのは、材料を見てから決める「即興料理」だけだ、と。

しかし、土佐町側スタッフは、料理は「これから作る」つもりでいたのだ。

料理はなにひとつできていなかった。

 

え!!!

お互いに絶句。

開始は15時。あと2時間しかない。

あれだけメールやスカイプで打ち合わせしていたのに!
材料も数も量も大丈夫、準備万端だと思っていたのに!
まず根本のところが違っていた!

できていると思っていたものが、何もできていなかった。パクチーハウスのみなさんも、さぞかしショックだったに違いない。

(準備期間中、2時間でメニュー16品を作れるのか?という疑問は全く浮かばなかった。なぜ浮かばなかったんだろう、ちょっと考えたらわかったのにな、と今は思うのだけれど、できると思い込んでいた。黒丸地区の亮さんは「俺は2時間でできるのかな?と思っとったで」と後から言っていた。思っていたなら言ってほしかった笑 )

 

食事ができるのが13時からだと思って、すでにお昼頃から来てくれていたお客さまもいた。食事会場のスタッフが「何か出せる料理ある?」と聞いてきたけれど、何もない。だってこれから作るのだから!

東京と高知県土佐町。距離にして約800㎞。「実際に会って話す」ことができていればこんなことは起きなかったかもしれない。でもそんなことを今さら言っても仕方がない。

 

それでも笑顔!

 

ここからがすごかった。
そんなハプニングを感じさせないほど、パクチーハウスの皆さんは、にこやかに、しなやかに、料理を作った。たくさんの助っ人と共に。

パクチーフェスのポスターには「13時から料理セッション」と書かれていた。「料理セッション」は、パクチーハウスのみなさんにパクチーハウスならではの料理の仕方を習う、技を近くで見ることができる、一緒に料理を作る、そんなゆるやかなイメージで考えていた。そんなおしゃれな(?)名前が付いていたが、それに申し込みをしたばかりに、まさに「戦力」として駆り出されてしまったお客さまたち。

そう、台所はまさに「戦場」だった(笑)

幸いたくさんの人から「料理セッション」への申し込みがあり、当日も飛び入りで参加したいと台所へ来てくれる人もいて、本当にありがたかった。あらためて、本当にありがとうございます。
みなさんがいてくれたからこそ、100人以上来てくれたお客さまのお腹がいっぱいになる料理をあの時間内で作ることができました。


台所中がパクチーの香りでいっぱいに!

台所には、7キロという量の新鮮なパクチーたちがひかえている。長野県と千葉県の農家さんからパクチーハウスさんが仕入れて黒丸地区に送ってくれていた。とてもいい香り。そしてとにかく山盛りのすごい量。

パクチーを洗い、根っこを切り(根っこも使うから大事に取っておく)、食べやすい大きさに切る。この仕事も一苦労。切っても切ってもまだあるパクチーたち。

他にも仕事は山ほどあった。野菜を洗う。切る。刻む。盛り付ける。ゆでる。焼く。揚げる。炊く。使った食器を洗う。ふく。元の場所へ戻す。

包丁もまな板もボウルもざるも、全て数が足りなかった。調理台の全ての面積が、食材と道具で占められている。何か置きたくても置く場所がない。4つのガスコンロはいつもフル回転。台所にいる全ての人が、何かしらの仕事をしている。


頼もしい助っ人のみなさん

「包丁どこかにありますかーー?」「まな板、使い終わったのはありませんかーー?」

声が飛び交う。人もあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

ごはんを炊くガス釜の火加減も使い方もわからなくて、ああじゃないか、こうじゃないか、まあやってみようか、と祈るような気持ちで炊いた。(うまくいった!)

そんな綱渡りもいくつかあった。にぎやかな、バタバタな台所。
そんな台所から、少しずつ、確実に、美味しいものはうまれていった。


いつもこの場所で、私たちを見守ってくれていた瀬戸小学校の校歌碑

食事をする場所へできた料理を運んだ。大皿を両手で支えながら階段を登る。ふと見上げると、大きな窓の向こうに、真っ白な入道雲と天高く抜けるような青空があった。
思わず立ち止まる。
そこだけ時間がとまっているみたいだった。

よく見ると雲がゆっくりと形を変えながら動いていく。

ふぅ・・・。
思わず深呼吸。

外はこんなにもゆっくりと動いている。セミがのんびりと鳴いているのが聞こえた。ミーンミンミンミン・・・・

台所での時間、外の時間。同じ時間であるはずなのに、こんなにも感じ方が違うものなのか。

もう一度、深呼吸。
うん、大丈夫。みんながいるから大丈夫。

そんな風に思った。

 

 

「パク天食べたかった〜」という声を何人かの人から聞いた。パク天はパクチーハウスの名物料理。丸くて厚さが5センチくらいあるパクチーでできたかき揚げ。(専用の丸い型があってそれに入れて揚げる。その型は東京のお店に一つしかないそうで、その一つを今回持って来ていた。帰り際、パクチーハウス店長のうっしぃさんが「パク型持った?」としっかりと確認していたくらい大切なもの。)

揚げる鍋の深さが足りなかったこと、そして油が足りなかったことで、パク天は2つだけしかできませんでした。すみません…。

 

それ以外の料理は全て作りきった。本当に来てくれたみなさんのおかげ。台所のスタッフはやりきった感でいっぱいだった。

土佐町産野菜のパクチーサラダ

 

時間がたってから振り返ると、こんな状態だったのに、台所の「戦場」には、なぜだかある種の「楽しさ」があった。みんなの体が自然に動いてしまうような、動きたくなるような、よき空気が流れていた。

ものすごく忙しくて、やらなくてはいけないことが山ほどあるのに、隣で野菜を切っている人と話したかった。土佐町の美味しい野菜でできたサラダのカラフルさを見た時、心が踊った。大皿に盛られた美味しい料理が運ばれていき、空っぽになった大皿がまた戻ってくる時、喜んでくれているんや〜、よかった!と思った。

台所のスタッフは、食事をする会場へ行く時間は全くと言っていいほどなかったのに、そう感じられたのは、心の中にちょっとした余裕があったのだと思う。それは「よき空気」があったからこそ、のことだった。

この「よき空気」は台所の司令塔であるパクチーハウスのみなさんが作ってくれていた。

料理が一つもできていないことがわかった時、きっと心の中では「えええ!!!!!!」と悲鳴に近いものがあがっていただろう。でも、それを全く感じさせず、いつも笑って、手伝ってくれている隣のお客さまと話しながらあっちこっちを回り、聞かれたことに丁寧に答えながら体を動かし続けていた。それはもう、見事としか言いようがなかった。パクチーハウスのみなさんの人柄と、いつもどんな風に仕事をしているのかが見えるようだった。


佐谷さんはこの後すべてのテーブルを回り、来てくれたお客さまと乾杯していた

今回のイベントにも、東京にあるパクチーハウスのお客さまが何人も来てくれていた。東京、香川から、わざわざ高知県の土佐町黒丸まで。ある人は「思ったよりも山奥ですねえ」と言っていた。それでも足を運び、再会を喜ぶ。

人と人とのご縁を結んで、楽しんで、出会いを心から喜んでいるパクチーハウスのみなさんの姿がとてもまぶしかった。こんな風に人は在ることができるんやなあ、と。

 

準備期間中、何を作るか相談している時、パクチーハウスの皆さんがわりとアバウトなことにもだんだん気がついた。事前に用意しておくものの作り方を聞いても「当日考えます〜」ということも多かった。

実際、それでよかった。むしろ、かえってその方がよかった。そうか、それくらいの立ち位置でいいんやなあと思えた。

決まったこと、こうしなければならないなんてことは実はなくて、それは誰かが決めたり自分で思い込んでいるだけのことがほとんどなのかもしれない。

「楽しむ」ことも「気持ちがいい」ということも実はとても大切で、どんなことを楽しくて気持ちがいいと感じるのかを自分でわかっている、ということは大事なことだなと思った。そのことはきっと、人との向き合い方や、仕事への向き合い方、もっと言えば町の雰囲気にもつながったりするのだと思う。
「気持ちがいいかどうか」は、思っているよりも、その場所の空気を左右するようなちからがある。

 

何度も言うけれど台所は「戦場」だった。でも、気持ちがよかった。よき空気が流れていた。
そのよき空気は、その場にいた人たちが目の前にあることを、その場の空間を楽しんでいたからこそつくり出せたのだと思う。

パクチーマン!

佐谷さんの「こだわり」にもびっくりした。佐谷さんはパクチーが本当に大好きで「89」(「パクチー」の意味)と大きく書かれたグリーンのTシャツ、グリーンのズボン、グリーンの靴。お客さまが作ってくれたというパクチーの葉っぱの帽子をかぶって黒丸に到着した。(空港でもその格好で到着した!

参加申し込みの人数がもうすぐ「89人」に届きそうな時、とても喜んで「目指せ!89人!」とメールが届いた。(実際はそれ以上、100人を超えた)

もちろん料理すべてには、パクチーが入っている。

パクチーを乾燥、粉末にして塩に加えたものを開発。塩は一番美味しいものを、と探し回り、青ヶ島のひんぎゃの塩と出会って「パク塩」が誕生。

私が知っているだけでも、これだけこだわっている佐谷さんはとても柔軟でしなやか、どこかおっとりしているようにも感じた。

自分の「こだわり」にこだわり続けることは、簡単なことではないだろう。
好きだからこそ、こだわる。楽しんで、こだわる。

好きなことをやり続け、かたちにし、仕事として続けて来た佐谷さんの「こだわり」と、自分が大切に思うことをわかち合おうとする姿は、とても気持ちがよかった。多くの人がパクチーハウスに心ひかれる気持ちがわかる気がした。

 

最初は周りに理解されにくかったことも、信念をもって行動を積み重ねていくこと。最初は一人だったとしても、続けていくことで、きっと共感する誰かと出会える。点と点が結ばれて線になるように、一人と一人が出会って新しくかたちになっていくことがある。今あるものだけが「選択肢」ではないのだ。その選択肢はきっと自分でもつくることができる。

自分はなにを選ぶのか、自分の限られている時間をどんなことに費やすか。今ある自分の姿は、今までの自分の選択でできているのだな、と思う。

会場入り口には「NO Paxi,NO Life」

パクチーハウスは「Paxi House」と書く。「Paxi」はラテン語の「Pax」(平和)と「i」(旅人の象形文字)を組み合わせた佐谷さんがつくった造語。「気持ちがいい」ということは、きっとどこかで「平和」にもつながっている気がする。

きっと誰もが、自分のいる場所で気持ちがいい環境をつくり出せる。
ひとりひとりにとっての「気持ちがいい場所」がつながって、広がって、いつか町中に、日本中に、世界中にめぐりめぐっていったらいいなと思う。

土佐町でつながったご縁が、それぞれの人の場所で、気持ちがいい場所をつくるちいさなきっかけになれたらうれしい。

パクチーハウスの皆さん、土佐町黒丸地区の皆さん、来てくださったお客さま、みなさん本当にありがとうございました。

 

「一日限りのパクチーフェス!」レシピ

 

パクチー銀行土佐町支店オープンです!

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下田昌克さんin土佐町、2日目。

 

 

この日の最初はみつば保育園へ。明日そらぐみさんと一緒に絵を描くので顔合わせ。のつもりが急遽子どもたちの絵を描くことに!子どもたちの歓声と笑い声が部屋いっぱいに広がりました。

雨上がりでキラキラした黄金色の田んぼを眺めながら、相川地区の川井一穂さん・信枝さんご夫妻の絵を。

そして立割地区の筒井博太郎さん・苗子さんご夫婦に、山に放牧しているあかうしも見せていただきました。

美味しいお昼ごはんを近藤泰之さん・久野兆佳さんのお宅でいただき、遊びに来た澤田清敏さんの絵を描きました。

伊勢川地区では澤田誠一郎さんの絵を。

完成した絵をみなさんが嬉しそうに眺めている姿は、ぐっときます。

美しい夕焼けを眺めながら山を降り、10月8日(日)の展覧会で販売する「土佐町グッズ」の絵を描きました。

何が出来上がるか、楽しみにしていてくださいね!

 

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2017年7月30日に土佐町瀬戸コミュニティーセンターで行われた「一日限りのパクチーフェス」の日のレシピを公開します!

 

使った食材は、土佐町産の野菜、果物、アメゴ、地鶏、山菜、お米、地酒。高知県産の四万十豚、カツオ、田舎豆腐、酒盗、厚揚げ、おから…。

私たちが暮らしている地は、なんてゆたかなのでしょう。

このことを実感できたのは、土佐町の生産者さん、生産者さんとつないでくれた「sanchikara」の釜付さんと上堂薗さん、「使いなさいや」と野菜を提供してくれた黒丸地区の皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。

何を作ろうか考えている時、あの野菜もこの食材も使いたいとひとつひとつ書き出していきました。ずらりと並んだ食材の数々と、その食材を作っている人の顔が心に浮かぶことにあらためて驚きました。

それだけ「食べるものを自分たちでつくる」ということが身近にあるのです。土佐町という土地のゆたかさと、人とのつながりのありがたさをしみじみと感じました。

 

美味しい食材たちと「パクチー」をかけあわせて、こんなレシピが誕生しました!

 

1.パクパクピッグパクポークビッグパクパクパクポークしまんと豚

材料…四万十豚バラ肉ブロック、くず野菜、ローリエ、唐辛子数本、パクチー根

①大きな鍋に水とくず野菜を入れ、豚肉をかたまりのままコトコトゆでる。沸騰したらお湯を捨てる。

②もう一度、水からとろ火で3時間以上ゆでる
(しょうが、ねぎ、酒、パクチーの根を加えて。パクチーの根を入れると風味がよくなる)

③ゆでた豚肉を食べやすい大きさに切る。

④ラー油、ごま油、穀物酢、醤油(1:1:3:6)の割合でたれを作り、③に回しかける。

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2. パクチーサラダ 

材料…夏野菜(ミニトマト、オクラ、カラーピーマン、コリンキー、きゅうり、なす、パクチー)

①野菜を食べやすい大きさに切る
ミニトマト…半分  オクラ…1センチくらいの輪切り きゅうり…うすぎり
カラーピーマン…みじん切りより少し大きめに  コリンキー…薄い短冊切り  なす…うす切りして塩もみ

②ドレッシングを回しかける

*秘伝!パクチーサラダドレッシング(材料全部をよく混ぜる)
・ 粒マスタード     450g
・ パク塩         20g
・ ブラックペッパー   10g
・ 穀物酢        400cc
・ EVオリーブオイル   500cc

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3. パクライス

 

材料…お米、鶏がらスープ(ここでは豚の茹で汁も加えた)、パクチー根っこ、パクチー、
パク塩、ごま油、ごま、万能ネギ

①お米をとぐ

②水、鶏がらスープ、豚の茹で汁を入れ、パクチーの根っこをたくさん加えて炊く

③②が炊けたら、パクチー、パク酒、パク種、しょうゆ、ごま油、黒コショウ万能ねぎを加えて和える

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4.酒盗パクチー豆腐

材料…田舎豆腐、酒盗、パクソース、パクチー 

①豆腐を冷ややっこくらいの大きさに切る

②豆腐の上にしらすをのせ、パクチーソース、酒盗をのせる

③パクチーをお皿の真ん中において、パクチーも一緒に食べるともっとおいしい

*秘伝!パクチーソース
・アンチョビ      1缶
・にんにくのみじん切り 20g
・塩          13g
・ブラックペッパー粗挽  5g
・松の実        20g
・ピュアオリーブオイル 200cc
・パクチー       500g

①小鍋に材料(パクチー以外)を入れ、一番弱い火でにんにくの香りが立つまで火にかける。*焦げないように時々鍋をゆする
(ここでにんにくが生だと後々臭くなる)

②パクチーをフードプロセッサーにかけ、①を加える

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5. パク塩藁焼きカツオたたき

材料…カツオ、パク塩

①カツオを藁焼きして食べやすい厚さに切り、パク塩をつけて食べる。

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6.ゼンマイパクチー

材料…ぜんまい、パクチー、パクチーの種、ごま油、パク塩、しょうゆ

①戻したぜんまいを3〜4㎝の長さに切る

②パクチーを葉っぱ、根っこ、茎に分けて2〜3㎝の長さにカットする

③深めの鍋にごま油を熱し、ぜんまいを炒め、全体に油が回ったところで火を止める。

④だし汁、しょうゆを入れて、汁気が半分になるくらいまで中火で煮る

⑤煮汁が半分くらいになったらパクチーの根っこを入れて、しんなりするまで炒め煮する。

⑥パクチーの茎、葉を入れてパク塩としょうゆで味付けする(時間がたつと味がなじむので少し薄めに味付けする)

⑦パクチーの種をひいたものをふりかけてひと混ぜしたら火を止める
(そのまますぐに食べる場合は少し濃いめ、時間をおいてから食べる場合は少し薄めに味付けする)

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7. あめごパクソースのせ

材料…アメゴ、パクソース

①アメゴを炭火で焼く

②焼いたアメゴにパクソースをのせる

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8.地鶏パクチー

材料…地鶏、にんにく、パクチーの種(ひく)、パク塩、コショウ、パクチー

①地鶏に適量のパク塩、コショウ、パクチーの種をふり、なじませる。

②フライパンにオリーブオイルをひき、にんにくを炒め、強火にして①を入れる。

③お皿にパクチーをじゅうたんのように敷きつめ、②をのせる。
こしょうとパクチーの種を上からふる。

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9.厚揚げパクチー

(黒丸地区の方たちに届けたお弁当。左側に写っているのが「厚揚げパクチー」)

材料…厚揚げ、パクチー、かぼちゃ、マヨネーズ、ガラムマサラ、パク塩、パクチーの種、黒こしょう

①厚揚げを食べやすい大きさに切り、お湯をかけて油抜きする。

②かぼちゃはうす切りにして素揚げする。

③マヨネーズ、ガラムマサラ、パク塩、黒こしょう、パクチーの種を混ぜ、①と②を加えて和える。

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10.おからとパクチーのひろうす

材料…おから、パクチー、人参、ごぼう、米粉、卵

①人参は短めの千切り、ごぼうはささがきにする

②①におから、米粉、卵、パクチー、塩を加えて全体をよく混ぜる

③小さめに丸く形を整えて油で揚げる。崩れやすいのでゆっくりじっくり両面をきつね色に揚げる

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11.じゃがいもパクチー材料…じゃがいも、パクチー、砂糖、しょうゆ、みりん、サラダ油

①じゃがいもは少し柔らかくなるまで茹で、皮をむく。

②鍋にじゃがいもを入れ、だし汁、砂糖、しょうゆ、みりんをひたひたに加える。

③弱火でコトコトと煮詰めていく(時々じゃがいもを転がしながら)

④汁がなくなったらサラダ油をとろりと回し入れ、全体にからめる。

⑤刻んだパクチーを入れ混ぜ合わせる。

*この日のじゃがいもは高知県土佐町のお隣、いの町本川で昔から育てられている種類のじゃがいもを使いました。
土佐町黒丸でも作っている人がいて、毎年種を取り継いでいます。煮崩れしにくい品種です。
お家で作る時、煮崩れしにくいメークインなどで作ってみてくださいね。

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12.パクチースープ

材料…トマト、オクラ、じゃがいも、パクチー、鶏ガラスープ、塩、レモン汁

①鶏ガラでだしをとる

②鶏ガラスープに食べやすい大きさに切ったじゃがいも、オクラ、トマトを加える

③塩で味を整え、レモン汁を加える

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とにかく台所がバタバタしていたので、写真があるものとないものが・・・。写真がないものは想像してみてください(笑)。味は保証します!

 


もちろん飲み物だって、パクチー入り!

土佐町の誇るべき地酒、桂月。
パクチーを加えただけの「桂月パクチー」の美味しさは、一升瓶を持ち帰りたくなるほどでした。
これはお家でも気軽に楽しめますね。

「桂月パクチー」作り方
桂月に、根っこを切り落とし、洗って、水分をよくとったパクチーを
葉っぱの方からびんに入れる。いっぱいいっぱいまで。

 

この「桂月パクチー」に一工夫加えると、また新しい味に!

・桂月マルゲリータ
かち割り氷とすももシロップに、桂月パクチーを加える
*すももシロップ…すももの砂糖漬けを煮詰めて柚子酢を加えたもの

桂月パクチーモヒート
桂月パクチーに柚子酢とザクロのシロップを加える
モヒートはラムをベースにライムシロップとミントを加えることが多いが、今回はベースがパク酒だったため、苦味が強いかも…とザクロシロップを加えてみた

・パク酒
桂月にパク酒を加える
*パク酒…ウォッカ(750㎖)の瓶のふたを開け、パクチー種を入るだけ入れ、何度か上下さかさまにひっくり返して置いておく

 


水もお茶もパクチー入り!ミント水やレモン水と同じように、パクチーを加えるだけで完成です。

・パクチー南川ウォーター
水に生のパクチーを適量入れる

・パクチー茶
水出しした南川茶に生のパクチーを適量入れる

 


土佐町の生姜、桃、ブルーベリーもパクチーと合います!

・パクチージンジャーエール
ジンジャーシロップにパクチーウォーターを加える
*ジンジャーシロップ…水に黒糖、薄く切ったしょうが、シナモン、カルダモン、唐辛子を入れて煮詰めたもの

・フルーツビネガー(桃・ブルーベリー)
フルーツを適当な大きさに切り、フルーツと同じ重さの氷砂糖とリンゴ酢、パクチーの種ひとつかみを入れて一晩以上おく。これにパクチーウォーターを加える
*この日のフルーツは、土佐町産の桃とブルーベリーを使いました。


 

パクチー料理、ぜひお家でも作ってみてくださいね!

とは言ったものの、パクチーはスーパーや産直市ではなかなか見つからないかもしれません。

パクチーを育てたら、いつでもパクチー料理を楽しめます!
パクチーはちょうど今が種の蒔きどきです。

パクチーを育ててみませんか?
土佐町にはパクチーの種を取り扱っている「パクチー銀行 土佐町支店」がありますのでご利用くださいね!

パクチー銀行土佐町支店オープンです!

監修:パクチーハウス東京

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土佐町の人々

お山のお母さん 4

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麹が完成するまでの3日間は、麹の存在を常に心に置きながら過ごすことになる。

麹づくりは温度管理がとても大切。計美さんの作り方は、この時は布団が何枚と決まっているわけではなく、麹の温度によって着せる布団の枚数を増やしたり減らしたり、その日の気温によって部屋にストーブを焚いたりと、その日の空模様や気温、麹の様子と相談しながら臨機応変にお世話をする。
まるで生まれたばかりの赤ちゃんを育てるみたいに。

床に広げた白い布の上に蒸しあがったお米をひろげ、麹菌をまぶす。熱が逃げないように布の端も丁寧に折り入れてお米を包み、新聞紙をかけ、最後に布団をかける。

「昔ながらの綿の布団がいちばんいいのよ。お布団を着せてやるの。」と計美さん。

布団の上から手をあてるとお米からの熱がぽかぽかと伝わってきて、冷たくなっていた手のひらが、まんなかからじんわりとあたたまっていく。

お布団をかける、のではない。お布団を「着せる」。そのほかほかした暖かさのなかで麹菌が働く。「着せる」という言葉に、麹への思いが込められているような気がする。「もう1枚かけちょこうね」と布団を着せる計美さんの顔は、お母さんの顔だった。

ぽんぽん、とお布団をたたいて「これでよし、と」。その計美さんの顔を見て、私もほっとしたような気持ちになる。

「こういう昔ながらのやりかたが、私にはいちばんえいのよ。今は麹室で温度管理してくれるものもあるけど、また香りが違うきね。」と計美さん。

できあがった麹は家中を甘い香りでいっぱいにして、くらくらするくらいだった。

 

手間も時間も労力もかかる麹づくりを計美さんは、もう30年もやってきた。昔は近所の人と一緒にやっていたけれど一人減り二人減り、最後は計美さんひとりになった。ひとりになっても毎年の仕事として、こつこつとやり続けてきたその思いはどんなものだったのだろう。

「これが私の一年の、この季節のしごとなのよ」と計美さん。

ひとつ仕事をやり終えたという満足感と、ほっとした気持ちがまじったような感慨深い表情だった。

こつこつと自分のできることを自分の場所で続けることが、ひとつの文化を引き継ぐということでもあるのかもしれない。ひとつの文化が誰かへと引き継がれていくなかで、それぞれの人が工夫してきたことや思いは、少しずつかたちを変えながら次の人へとバトンタッチされていく。
その根底に流れているだろう普遍的な何かは変わらずにそこにあって、それがあるからこそ引き継いでいこう、続けようという思いが生まれるような気がする。

 

麹づくりの時に心が何より動かされたのは、麹を作る部屋へ行く途中にあるこたつの上に書きかけの年賀状が置かれていたことだ。こたつの上には今年の年賀状の束も置かれていて、きっとそれを見ながら来年の年賀状を書いていたのだろうということがわかった。
あ、あのこともやっておかなくては、とやるべきことを急に思い出して席を立ったのか、ふたが開いたままのペンも置かれていた。
夜、計美さんがその場所に座って、どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、どんなに眠たくても年賀状の宛先を眺め、その人のことを心に浮かべながら年賀状を書いている姿が目に見えるようだった。蒸したお米を部屋へ運び入れながら、その計美さんの背中が思い浮かんで、胸がいっぱいになった。

 

私にとってのお山のお母さん、和田計美さん。
今日もあの山の向こうのあの家にいて、くるくるといそがしく、誰かのことを思いながら働いていることだろう。私にはその姿がありありと思い浮かぶ。目の前にいるかのように計美さんが働く姿を思い描けるということは、私はこの地で暮らしている、という深い実感につながっている。

いつも計美さんは「またいつでもあがってきなさいよ」と言いながら見送ってくれる。「はい、また来ます」という気持ちでいっぱいになりながら、お山のお母さんからの贈り物をいただいて私は私の場所へ帰る。

人をしあわせにするしごとや人の心に届くしごとは、大切な誰かの顔を思い描き、自分のするべきことを毎日こつこつと真摯に積みあげる人がつくることができるのかもしれない。

計美さん、また季節のしごとを学ばせてください。めぐりめぐっていく季節の手しごとを引き継ぎ、そして、計美さんのような心意気も身につけて、私もいつか誰かにとってのお山のお母さんになりたい。

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土佐町ストーリーズ

きのこ雲の記憶

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澤田千恵野さん(昭和2年生まれ。91歳)に、戦争中のお話を伺いました。

 

まあけんどね、人生というものはね、いろいろありましたぞね。わたしたちの人生は。

18歳の時から2年間、挺身隊で、長崎の川棚(かわたな)海軍工廠へ行っとったが。

大川村から6名呼び出されて、6人一緒に行った。男の人は徴用で、女は挺身隊。

 

私は、魚雷よね、後方魚雷を組み立てたりね。魚雷のいろいろな部品を組み立てる。

その工場で組み立てて仕上がったものは、試験場で試験しよりました。

大きな建物の中からその航空魚雷を飛行機に積んでいって、落とすがですよね。

試験に行ったこともあります。

敵の軍艦を目指して落とすような兵器でした。

仕上げ工場の最後のはしの方で、航空魚雷の心臓部を私は受け持ってね。それが私の仕事。

航空魚雷の心臓部の「しんどき」という、人間でいうと心臓のところ。

 

原子爆弾も見たしね、この目で。

私がいたのは長崎の市内でなかったですけどね、長崎の原爆が落ちた時は、この目ではっきり見てね。

 

「空襲警報ーー!総員退避ーー!!」と言ってね、みんな防空壕に入ったの。

私がおった工場は海岸ぶちで、離れたところに防空壕があったき、防空壕へ入ることができなくって、原子爆弾が見えた。

 

まっ黄色い、黄色い、黄色い玉が一番はじめですわね、火の玉。

そして黄色からね、赤い、赤い火の玉になる。

それからきのこ雲、もくもくもく…。
音がしました。むろんね。

一瞬。
一瞬のこと。

 

 

空襲にもおうたぞね、毎日、ほんとね。

爆弾が落ちたところをあくる日に見に行ったりしました。すごい穴になってました。

あっちもこっちも、馬がいっぱい死んでました。馬がおりましたね、あの時。

川棚はちょっと山でしたきね、兵隊さんが馬を飼ってたんじゃないでしょうかね。

馬が何頭も爆弾の破片でやられてね。

 

(地元に)帰ってくるのは帰ってきたんですけど、原爆症ではないと思うけど、みんな年がいってほとんどの人たちが亡くなってね。残っているのは私ぐらい。

 

魚雷をつくっている時、もうそれこそ18歳、19歳くらいの娘ですきね、まだほんとね、こどものように思ったけどね。

いろいろあったんです。今考えてみたらね。

 

 

澤田千恵野 (高須)

 

 

 

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